オックスフォード通信(187)コンピュータフェア

コンピュータフェアに行ってきました

といってもフラットの横のFerry Pool Leisure Centerでの開催です。行ってみてビックリ。朝10時開会でしたので少し早い目に行ってみると(といっても5分前の9:55)すでに大行列。皆さんの関心の高さがうかがわれます。

ジムの中の体育館での開催でしたので、ついでにジムに行こうと思って携帯はもっていたのものの手ぶらで行ってみてまたビックリ。入場料が £5も。でも流石にコンピュータフェア。Apple Payで手にスタンプを押してもらって無事入場。

マック、ウインドウズのデスクトップマシン、ラップトップマシンをはじめ、内蔵ハードティスクからマウス、イヤホンからありとあらゆる付属品までのセール。

最初は何も買うつもりはなかったのですが(手ぶら)、見ている内に段々欲しいものが見付かってきて慌ててアパートにお金を取りに戻りました。

最初に購入したのが、車にスマートフォンを固定するアダプター。スマートフォンがナビになっているのであると便利だと思っていたのですが、丁度いいものがあって購入しようと思ったところ現品限りと言うことで £7を値切って(これが大事) £6で購入。

次にBluetoothの小型スピーカーを見ている内に欲しくなり、 £15だったので値切ろうと思ったのですが、中学生くらいの男の子がお父さんの手伝いで販売していたので値切らずに購入(’いい子でした)。

もう一度最初のパーツの売り場に戻って、延長コードがあったので、こちらは £12を £10に値切って購入。これで毎週月曜日のiSeminar毎にコンセントの付け替えをしなくて済みます。

半分はマックのラップトップでかなり綺麗な状態のものでも £300(約4万5千円)くらいで売っていました。セカンドハンドのコンピュータは恐いので購入しませんでしたが、半分はマックというところにアップルの浸透度が分かりました。その他はiPadが多く販売されていました。

帰ってきてBluetoothの小型スピーカーでiPhone経由でApple Musicの音楽を聞いてみました。体育館は広かったのでそれほど音量があると思わなかったのですが、8畳くらいのアパートの部屋では十分。これまではiPhoneで聞くのと差はないと思っていたのですが、スピーカーが少し離れた場所にあってそこから出る音を聞くのと、手元のiPhoneで聞くのとではかなりの違いがあることに気づきました。やはりスピーカーはスピーカーです。

プラハで聞いたドボルザークのスラブ舞曲を繰り返し聞いてみました。いい曲です。いい音楽です。

(2018.9.30)

★今回の教訓:9月も終わろうとしている。いよいよ後半戦へ。

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オックスフォード通信(186)博士論文

オックスフォードで博士論文を提出されたAさんをお祝いする会におじゃまさせて頂きました

知り合いの方はいないはずなので正直どうしようかと思ったのですが(一応迷います)、ひと言お祝いが言いたくて参加させて頂きました。行ってみるとM先生がスーパーバイズしておられる他の院生の方達が集まっておられまた。初対面の人ばかりでしたが、パブでリラックスしたムードのいい感じのお祝いの会でした。V先生のお人柄がにじみ出ているのでしょう、みなさんフレンドリーで楽しいムードでした。

やはり博士論文の執筆はどの国でも大変のようです。私が修了に6年半かかったというとV先生もかなりの時間がかかったとおっしゃっておられました。Aさんは博士論文の完成と同時に母国のドイツで大学教員のポストを射止められたようです。ダブルの祝杯です。

夏にお会いした韓国人のJさんもアメリカの大学院を修了されると同時に、アジアの有名大学でのポジションがオファーされています。博士論文の執筆が大変なだけにこのように修了と同時に大学教員のポジションを得ることができるのは当然のようにも思いますが、日本ではなかなかそのようになっていないのが現実です。

アカデミックな環境で、論文や研究に集中できるのは厳しいですが、その知的な喜びは何物にも代えがたいのだと思います。人の幸せな姿をみるのはイギリスでも日本でもいいものです。

(2018.9.29)

★今回の教訓:論文を書くのは大変だが得られる喜びもひとしお。オックスフォードでは修士論文を Dissertation、博士論文を Thesis と呼んでいる(北米と逆)。PhDではなくてDphil。ここにも英米の相違が。
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オックスフォード通信(185)オックスフォードの日本人研究者

オックスフォード大で研究をしている先生・研究者の会に入れて頂いています

月に一度の会が開催されています。丁度今夕、9月の例会が開催されると言うことで大学病院(John Radcliffe Hospital)の近くのパブ(The White Hart)に行ってきました。なかなか日程がうまくあわず4月以来の2回目の参加でしたが行ってみて良かったと思います。

幹事のK先生がいつもいいパブを選んで頂いているので(今日のパブは庭がいいということで天気予報を見ながら日を選んで頂いたということです)素敵な場所でビールを飲めます。

本日の会合には出入りはありましたが(私自身1時間ほどで退席させて頂きました)約10名くらいの先生方が集合しました。なかなかオックスフォードでこれだけの日本人が集まることがありませんので、いろいろとお話をして楽しかったしほっとするところがありました。

本日の場所柄もありますが、お医者さんや化学系の理系の先生が多かったように思いますが、Y先生のように同志社女子大学のK先生の知り合いであるような小さな発見もあって面白いものです。

分野が違うのがいいのでしょう。仕事や研究の話はしませんが、オックスフォードで各々頑張っている姿が伝わってきます。オックスフォードに居を構えるまでの苦労(銀行口座、家探し、携帯の契約など)を交流しながら大笑いするのもいいものです。何かイギリスの不合理を笑い飛ばしているようで愉快でした。笑うことは大切ですねまた明日から頑張ってみようという気になるところが同朋のよさだと思います。

乾杯は新しくメンバーが到着するたびにしましたが、誰かが挨拶をするわけでもなく、途中で帰るのもよし、途中から来るのもよしとイギリス風のリラックスした感じのパーティーは無駄な力を使うこともなく楽しくていいものです。

できれば来月も行ってみたいものです。

PS. それにしても今日話に出ていたローンテニス、してみたかったなあ。

(2018.9.28)

★今回の教訓:世界は少しずつ広がっていくものだと実感。
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オックスフォード通信(184)Coffee Morning

久しぶりに学部のコーヒーモーニングに参加してきました

10月からこちらの新学期もスタートするという事もありこの朝の行事も復活という感じです。教員、事務職員、大学院生(ポストドクター)など多様な人達が参加していました (10:30-11:00頃まで)。ほんの30分ですがいろいろな情報交換ができます。コーヒーと紅茶がセルフサービスになっています(正直それほどおいしくありません)。

4月のCoffee Morningで出会ったSさんに久しぶりに再会し(名前何だったっけ?から始まりました)、その横にいたSさん(大学院ポストドク)、また後から会話に加わった Cさんと主に話をしていました。

Sさんは学部がオックスフォード出身ということもあり(大学院はシェフィールド)、オックスフォード独特の Tutorial システムについて話が盛り上がりました。Tutorial とは一人の先生に2-3名の学生がセットになって週1回ペースで指定読書についてのディスカッションやレポートを提出したりそれについて論文の書き方などを個人(グループ)教授という形で指導されるというものです。やはり、先生の個人差はあるようで、レポートを出しても「いいんじゃない」くらいのフィードバックしかしてくれない先生もいるようです。でも一応に学生はこのシステムを気に入っているようです。その一方で講義タイプの授業はあまりでなくていいようです。単位はどうなっているのかな?(また次の機会に聞いてみたいと思います)

この学期は1-2個の授業を聴講してみたいと思っているのでその話をしていると、北米では聴講は audit という言葉で表現されるはずですが、Sさんはその言葉を聞くと、何かをチェックしているようなことに聞こえると言っていました。ではイギリス英語では何というの?という話になったのですが、Sheena も含めて一語ではないのではないか、という返答でした。確かに辞書をみると、検査するとか監査するという意味がでてきます。すると、イギリスでは、May I participate in you course without any obligations or grades? と言わないといけないそうです。

今回の在外研究の目的の一つに(たくさんあるのですが)オックスフォード大学の授業の様子を探ることがありますので、お邪魔にならない程度に参加させていただこうと思っています。

PS. スケジュールを聞きに事務室に行ったついでに、IDなどを首から下げる紐(イギリスではlanyard と言います)をくれないかと言ったのですが、残念ながらよくあるオックスフォード大学の名前がの入ったものは学部では持っていないそうです(その予算がないと言っておられました)。

(2018.9.27)

★今回の教訓:30分くらいのCoffee Morningがいいのかもしれない。長過ぎず短過ぎず。帰国したら同志社女子大学でもやりませんかと提案してみようと思うが、みんなのってくるかな。案外、学科でするといいかもしれない。毎月第一水曜日は4回生、第二水曜は3回生というように学年を分けてやってみてもいいかもしれない。
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オックスフォード通信(183)スポーツジム

近所にいつも車や自転車で多くの人がスポーツウエアでやってきます

なんとフラットの横(徒歩、100歩のところ)にスポーツジムがあります。オックスフォードでの生活も折り返し地点となりました(早い!)ので体力増強も兼ねて柄でもないですが、スポーツジムの会員になりました。

面白いのは会費の支払い方法です。一番安いのはDebitカードでの直接支払い。カード払いとは料金が異なるようにしてジムが望む支払い方法へ誘導するあたり巧みなところでです。しかし、実際にはにカードをもらいにいくと(隣ですが)、明日からの利用を申し込んでいるにも関わらず月末の日曜日からと。この辺りの整合性がないところが惜しいところです。

午後にマネージャーが来るので1時半から2時半の間に(このpastとtoの時間の言い方はいつまでたっても慣れません。いつも頭の中で計算します。thirty minutes past one or thirty minutes to three)来いということなので気合いを入れていったら、こちらの手違いでした。はい、アクティベーションしたので今日から使ってくださいとのことです。いろいろと言うことを考えていたのですが少し拍子抜けしました。

何かとお世話になっていたD大学のK先生(9月上旬ご帰国)からジムを勧められていましたが、やっと約束を果たせたような気がします。シューズがないということで昨日は少し離れたショッピングモール(Templars Square Shopping Centre)までランニングシューズを買いに行ってきました(車で行きましたが、少しラウンドアバウト=ロータリーにも慣れてきました)。同じ店でもオックスフォード中心部のショッピングモール(Westgate)とは品揃えも金額も大違いなのが面白かったです(£25、約3500円のFilaのシューズを購入。フィラは大学時代の憧れのブランドです)。

プールもありますが、まずはバイクからはじめてみようと思っています。何事も経験ですね。

PS. よくみると写真禁止ですね。イギリスは写真禁止の場所が(e.g., 図書館)多いです。愛用してたPanasonic LX-100のセンサーにゴミが入ってしまい少し凹んでいます。撮った写真をみるとハッキリと大きな影が。このような時に海外生活は困ります。イギリスではこのブログもそうですが、なるべく多くの写真を撮ることを一つの目標にしていたのでどうしようか考えているところです。これからはiPhone X中心になるかと思いますが、画質はいいのですが、あのシャッター音が大き過ぎます。

(2018.9.26)

★今回の教訓:フラットの横がジム。言ってみるとJR二乗駅前のゴールドジムの上のマンションに住んでいるようなものか。これも天啓だろう。さて、このオックスフォード通信も183回目。一年が365日なので365÷2=182.5、つまりマラソンで言えば丁度半分の折り返し地点。時間を大切にしながら有意義にイギリスの経験を深めたい。
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オックスフォード通信(182)i-Seminar 16回目: Eureka !

インターネットゼミはカッコ良く言うと、iSeminar といえるのかもしれません

English Playbook(同志社女子大学英語英文学会刊, 2017) の本日の英単語(勝手にコーナーを作りました)は、“Eureka !” (303, p. 79)だったのですが、まさに「分かった!」というひらめきの瞬間です。ひらめきとは実にかしこまった場所では起きないもので、昔から「三上」(馬上 [ばじょう:馬や乗り物にのっている時]、枕上 [ちんじょう:枕の上、つまり寝ている時]、厠上 [しじょう:トイレ])がひらめきがおきやすい場所と言われています。これに付け加えるとお風呂に入っている時があると思います。2017年に同志社女子大学に講演に来て頂いた作家の三浦しをんさん(「舟を編む」の本などで有名。ちなみに同僚のジュリエット・カーペンター先生がこの英語翻訳をされました)もシャワーを浴びている時にいい考えが浮かぶとおっしゃっておられました。私もオックスフォードに来てからずっとシャワー派ですが、しをんさんと同じくシャワーを浴びていると不思議にいい考えが浮かびます。先日も、来年度のゼミテーマ、何かいいものがないかと考えていたのですが、シャワーを浴びている時に、“Eureka !” の瞬間がやって来ました。ただ、シャワーの問題点はメモを取れないことです。しをんさんは思いついたらそのまま走って行ってメモを取るとおっしゃっておられましたが、私は呪文のように思いついたことを復唱して覚えるようにしています。あと、もうひとつ付け加えると、朝の祈りの時ですね(毎朝心静かに祈っています)。あとは今日のように食事をしている時ですね。私の場合はまとめると、シャワー、祈り、食事となるでしょうか。

私はどこで “Eureka !” と思ったかというとゼミ後にパブにご飯を食べにいったのですが(昼からビールは飲んでおりません。食事だけです。念のため)、そのパブにiPubというゲーム機を見つけてピンときました。あ!これだ!という瞬間です(そのほか、ソフトドリンクとして飲んだ、ジンジャービアがこれまでで最高のものでした。帰りに近くのスーパーで見つけて1ダース購入しました[Old Jamaica Ginger Beerです。日本でも売っているかもしれません。香りが最高です])

さて、7/23以来のゼミ再開です。

日本は祝日にも関わらず17名全員、北尾先生、TAの加藤先生、そして私と1名も欠ける事なく全員そろって秋学期をスタートすることができてとても清々しい気持ちになりした。

秋学期のiSeminarのスタートに合わせて、新しいデバイスとして Air Pods(Apple)が加わりました。当初はBluetooth Speakerを購入しようかと考えていたのですが、いわゆる「ワイヤレス・イヤホン」を導入しました。

本日のゼミは通信状態もまずまずで(2-3回フリーズしました)Facetime (Apple) を利用して、午後3時から午後6時半すぎまで(イギリス夏時間:午前7時すぎから午前10時半頃まで)セッションが行われました。前半の4コマ目は英語、5コマ目は日本語でのゼミでした。

同志社女子大学側ではそれほど違いが分からなかったのかもしれませんが、オックスフォード側では、 Air Pods を使うことによってまず、音が以前よりも(MacPro内蔵のスピーカー、iPhoneに付属の有線のイヤホンと比較して)クリアに聞こえました。そして、 Air Pods 内蔵マイクを通して話ができるため、マイクを気にする事なく(以前はコンピュータのマイクに向かって話す感じがありました)対人コミュニケーションの姿勢で話が出来た点は大きな違いでした。

秋学期はゼミの集大成。3回生から始まったゼミは卒論という大きな山を目指してこれまで培った、英語スキル、応用言語学の知識、ゼミとしての切磋琢磨する成長ムードなどを総結集して行きます。17名がこれまで先輩が書いて来たような質の高い卒業論文を作成することは並大抵なことではありません。ただ、本日のゼミで強調したように「卒論だけに終わらないように」大学行事にも積極的に参加しながら最高峰を目指したいと思います。最近思うのですが(上記のヒラメキについても書いた通りですが)少し力が抜けて、楽しんで取り組む方がいいものができるのではないでしょうか。これは人生においても同じかもしれません。要は、どうすれば楽しむことができるか?ということになるかもしれません。

私は不在ですが、スポーツフェスティバルにも参加しEVE祭 (11/23-25)にも出店します(今年は「豚汁」です!)。SPにも5名参加しています。また伝統の地獄の冬合宿も同志社びわこリトリートセンターで11月に開催します。来年度ゼミである若ゼミ19期生(4回生からのスタート)、20期生(3回生)への若ゼミの案内方法についても画期的なものを考えてくれています。

若ゼミ卒業の諸先輩におかれましては是非後輩である若ゼミ18期生をこれまで以上に温かくサポートしていただきたくお願い申し上げます。

さあ!卒論に向かって! Never miss an opportunity to be fabulous!

(2018.9.25)

★今回の教訓:iSeminar なかなかいいかもしれない。(c) を取っておこうかな。Googleで検索すると眼医者さん関係が出てくる。なるほど、アイか。
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オックスフォード通信(181)Back to Oxford

オックスフォードに戻ってきました

昨夜、夜10時過ぎにベルリンからGTW (ガトウイック)空港に到着したのですが、不思議にイギリスの空港やコスタコーヒーを見ると(ウイーンにもありましたが)懐かしく思えました。

旅先で一番尋ねられた英語は、”Where are you from?” 普通なら “I’m from Japan” と答えるところですが、時々 “I’m from UK” と答えることもありました。この何処からというのは出身を聞いていますが、何処に住んでいるのという質問も含んでいます。

さて、質問。私は今回1年間のビザ(Academic Visa)をもらっているのですが、ドイツからイギリスに入国するときは、a) イギリス人 b) EU枠 c) No-EU

私は b) ではないかと思ってパスポートコントロールのところにいた係員に聞いてみたのですが、日本人は日本人ということで、c)となりました。また入国カードを書いてパスポートのところへ。オックスフォードは学者がたくさん来ているよね。イギリスは楽しい?くらいの楽しい感じで無事通過。よかったです。このパターンなら楽です。

夜の道路は空いているのか、GTW からヒースロー空港も経由して、午前1時過ぎに車を駐めている Thornhill Park and Ride に到着。驚くのはその時間にも結構他のバスから降りてくる人もいて、深夜という感じはありません。

今回はPark and Rideを経由しているのでどの時間でも(GTWからのバスは24hr、深夜でも1時間おきに発車している)帰る事ができて良かったのですが、ひとつ問題があります。それは駐車料金の問題で、私は料金さえ支払えば何日でも駐車できると思っていたのですが、Park & Ride に着いてから3日が限度であることを知りました。インターネットで追加料金を支払おうと試みたのですが、3日以上の駐車は違法駐車扱いになるそうで、罰金として £100(約15000円)課せられるとのこと。Park and … というなら飛行場へ行くのに車を駐めることもあると思うのです。その場合3日以内ということはほぼないですよね。ああ、罰金の通知が来るのがこわい。

その他、帰ってきて思ったことは、イギリスは霧につつまれている、ベルリンよりも10℃くらい気温が低いということです。すでに10月下旬から11月の気候です。

でも英語だけ(チェコ語やドイツ語ではなく)の生活はほっとするのも事実です。これで日本に帰国したらどれだけほっとすることでしょう。

若ゼミの秋学期の授業も開始します。インターネットゼミを更に発展できるよう可能性を探りたいと思います。

(2018.9.24)

★今回の教訓:イギリスの労働党大会が開かれている。そこで真剣にBrexitの再住民投票が議題になっている。メイ首相は、No result is better than bad result. と開き直っているようにEU離脱問題は困難極まる状況。ルールに厳格なイギリスがどの段階でどのような突破口を開くか。イギリスの底力が試されるとき。
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オックスフォード通信(180)ベルリンで自由について考える

私達は生まれてから自由な環境に育っているので分からないのかもしれませんが、行動、旅行、仕事や住まいの選択の自由は、水や空気と同じくらい重要なのかもしれません

今日の午後、チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)に行ってみました。ここでベルリンが東西に別れ自由に行き来ができなくなっていたのか思いながらそのボーダーを眺めていました(米兵風の軍服を着用した2名の兵士風の人が立っていました)。東ドイツの人にとっては、住む家も仕事も食べるものもあったけれど、自由に国外に出たり、自由にものを言ったりする自由がなかった(秘密警察に逮捕される)ことが耐えきれなかったのだろうと思います。

では、自由はあるけれど貧しい生活と、食べるものや住む場所など豊かな生活があるけれど自由がないのはどちらがいいのでしょう。今日、ベルリンの壁やこのチャーリーを訪れた人は後者だというかもしれませんが、なかなか難しい問題かもしれません。

話は飛びますが、日本では近年、高齢者の万引きなど軽犯罪が増えているというニュースを聞いたことがあります。その理由は刑務所では住む場所も食べるものも無料で提供してくれるのでわざわざ再犯を犯して戻ってくる高齢者が多いとのことです。近年の刑務官は高齢受刑者の介護までしなくてはならず大変な状況だとその記事は伝えていました。

ベルリンの壁やシュプレー川(Spree)の国境を命をかけてまで超えてきた東側の人達には共感も同情もしますが、本当に「西側」ではいい人生が待っていたのでしょうか。本日は、元ソ連共産党委員長・大統領のゴルバチョフがプロデュースした壁の博物館(The Wall Museum)も参観してきましたが、壁を打ち壊すまでの過程やその意義については述べていましたが、では東西ドイツが統合してドイツ国民がより幸せになったのか、という点については疑問を持たせないような持ち上げ方が気になりました。

イースト サイド ギャラリー(East Side Gallery)の壁に描かれた有名な絵画群を見終わった後、ベルリン・ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(Bahnof Warschauer Straße)からポツダム広場へ行くべく、U(地下鉄)に乗ったのですが、次の駅を過ぎるとなぜか電車は反対方向へ。そういえば、次の駅でほとんどの人が下車していたのを不思議に思っていたのですが、Schlesisches Tor 駅から先は通行止めで、バスの代行運転になっていました(後からわかりました。ベルリンでは何度も反対方向の電車に乗ったりも含めて地下鉄とS・トラムの乗り間違えが何度もありました)。何とか代行運転のバスに乗ったのですが、よほど迷っているように見えたのでしょう、ベルリン在住のクリスチアーナさんが流暢な英語でどこでどう乗り換えたらいいか、分かりやすく説明をしてくれました。

その際、ベルリンの壁のことについても聞いてみましたのですが、クリスチアーナさんによると壁がなくなったことも東西ドイツの統一も良かったとおっしゃておられました。クリスチアーナさんはハンブルクの生まれで子供の時に西ベルリンに移ってこられたそうです。同じベルリン市内の反対側の東ベルリンには親戚もいて分断時代は苦労したとおっしゃっておられました。このような話が無数にあるのだと思います。

市民の目線から見ると同じ街の中に壁があって行き来ができないのは不自然すぎるのは事実だと思います。「では統合してみんながハッピーになったと思いますか?」という質問には難しいことだとおっしゃっておられました。そう出ない人もいると思うと正直におっしゃておられました。

社会主義は歴史の遺物のように扱われていますが、資本主義はその代替としてうまく機能しているのか、という問題についてはフランスの経済学者ペケティが「21世紀の資本」で厳しく批判していますし、2016年のアメリカ大統領選挙前に「1-99%」の議論がありました。

壁は自由を束縛するものとして絶対悪であると思います。またそのような壁を今後作ることを許してはいけないと思います。しかし壁がない世界はそれだけでいいかというとそうでもない。壁はなくても自由でないことがたくさんあります。水・空気・自由と並べられるように壁がないのは絶対必要条件ですが、自由とは壁がないだけではないと思います。

旅行しようとするとお金もかかりますし、大学に行こうと思うと授業料も必要となります。私達の周りを縛っている目に見えない壁はたくさんあると思います。そのような壁が減ってくると人はより自由に楽しく生きることができるのだと思います。この中には外国語を自由に使いこなすスキルも含まれると思います。

2日間のベルリン滞在で、ベルリンの壁記念館と壁の博物館、それにチェックポイント・チャーリーを訪れました。その中で特に胸を締め付けられるのはベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された人達のことです。多くは若者でした。ドイツが統合された後、その責任追及が始まったとベルリンの壁記念館の展示は示していますが、国防大臣ですら自分の意思ではないとその責任を否定していることにビックリします。トップであったホーネッカー国家主席はキューバへ亡命し、誰も国境線を乗り越えようとした人を殺した責任を自ら認めた人がいないことはどう考えればいいでしょう。

これは、ハンナ・ アーレントがナチスの犯罪を「banality of evil」(悪の陳腐さ)と呼んだこととよく似ています。悪というものは大罪人が行うのではなくて、ごく平凡な人間が自分で何も考えることなく、官僚的に処理するところから起きる、とアーレントは述べています。

今回のベルリンの壁についていろいろと目にする中で、官僚的に、ではなくてみんなが「兵隊」になってしまったからこのようなことが起きたのではないかと考えるようになりました。それは国境線を守る兵隊だけでなく、国防大臣やホーネッカー国家主席に至るまで「思想の兵隊」になってしまったのではないか、だから嘘を言っているわけでもなく、本当に罪の意識がないのだと思います。兵隊とは言い方を変えると「何かを守る」ために「何かを犠牲にする」ことだと思います。

その犠牲が人の命であっても「仕方がない」と思う。でも、その思想も突き詰めると玉ねぎのように芯は何もないのですね。ナチスの思想がそうでしたし、戦前の日本の国体がそうでした。

そうならないためには3つだけ対策があると思います。ひとつは「納得のいくまでむやみに人を信じないこと」(映画『戦争と人間』、山本薩夫監督)です。かっこ悪いからわかったふりをする、これが道を誤るもとだと思います。かっこ悪くても分からなければ、安易についていかないことです。

もうひとつは「笑う」ことです。兵隊は絶対に笑いません。官僚も笑いません。人間的感情の最大の発露は笑いと泣くことです。笑うとこれまで悩んでいたことがバカバカしくなります。笑うことで人間的感情を取り戻すことができます。変な思想は、笑うことを恐れます。そのような考え方は間違っている証拠です。

最後は、いろいろな世界を見ることです。旅をすることです。今回、ウイーン、プラハ、ドレスデン、ベルリンと4つの都市、3つの国を旅する中でいろいろなものを見たり、人の姿を見たり、話を実際にして見たりする中で、自分の考えがまだ狭いことがよくわかりました。あのような姿がいいと思うことも、あれはいけないな、と思うことも含めていい刺激を受けました。

いい機会をあたえて頂いたことに感謝します。

(2018.9.23)

★今回の教訓:壁を作らざるを得ないような社会主義は失敗、でも資本主義も不十分。その2つを乗り越える第三の思想ってあるのだろうか。
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オックスフォード通信(210)i-Seminar 第20回目: 卒業アルバム

本日のゼミは卒業アルバム用ゼミ写真撮影でした

毎年のことですが、全員そろって写真を撮ることが最大の目標。次が撮影場所の工夫。卒アル委員のNさんとMさんが粘り強く学生支援課と交渉を重ねてくれたおかげで、通常立ち入り禁止の楽真館ラーニングコモンズ屋上での撮影をすることができました。越ケ谷さんも立ち会いありがとうございました。

長年、アルバム写真を撮って頂いている長浜スタジオさんとインターネットでお久しぶりの挨拶をさせて頂いてから、ラーニングコモンズ教室内での撮影。ゼミメンバーの配慮が行き届いていて、私もインターネット経由で教室内集合写真に参加させて頂きました。

イギリスに行くことになってからこのゼミ写真が気がかりの種でまさか参加できるとは思っていなかったのでインターネットの威力をあらためて認識したよりも、私も入れてあげようといろいろと苦心してくれたゼミメンバーの温かい気持ちに感動しました。おかげさまでこれまでのゼミで撮ったことのないようなユニークなゼミ写真を撮ることができました。

屋上にも携帯経由で連れて行って頂き、ゼミの集合写真風景をLINEビデオ経由で中継して頂きました(最初は教室の荷物番をしていたのですが=大魔神のように(知らないか)教室の大スクリーンに私の顔を中継して誰も入ってこないようにしていただけ)。

久々にみる京都の北山は綺麗でした。大文字山、比叡山もくっきり。いい天気で小道具の風船も効いていて最高のゼミ写真撮影となりました。その素晴らしい背景にゼミメンバーの最高の笑顔が映えました。みんないい顔をしていました。

秋はこれから本番ですね。スポフェス、SP、冬合宿、EVE、そして卒論の完成・提出が待っています。この笑顔でゼミを世界一に押し上げていきたいです。

Never miss an opportunity to be fabulous!

PS. 本日よりワカモトナツミHPから「若ゼミインスタ」「若ゼミFAQ」のリンクをオープンしました。来年度若ゼミに興味のあるひともそうでない人も是非ご覧下さい。

(2018.10.23)

★今回の教訓:写真はいい。と再認識した一日。卒論のフィードバックをコマ目に、一方チャプター毎にフィードバック方法を変化させることが必要。
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オックスフォード通信(179)ベルリン

ドイツ人の英語は分かりやすいとおもっていましたが、朝のチェックアウトの際の女性の英語はピンと来ませんでした。女性特有のピッチの高さから来るとところがあるのかもしれません。外国を旅行していて英語がピンと来ないと少し嫌なものですが、考えてみると日本語でも話をしていてピンと来ないことはよくあることなので英語だからどの人の英語もよく分かるということは考えない方がいいのかもしれません。

ドレスデンで宿泊した NK Connections というホテルは私が泊まるホテルとしては珍しく高級ホテルのようでいいバスタブがありお湯もふんだんにでるので(オックスフォードのフラットのシャワーの水圧は弱いですし、ウイーンのホテルはバスタブなし、プラハのホテルはバスタブがあるもののお湯をためるところまではいかず)日本と同じようにゆっくりとお湯につかることができます。お湯につかるのは大事ですね。

ドレスデンはエルベ川と沢山の教会以外にはこれといって見物はないのですが、街をぶらぶらするのには楽しいところです。ホテルの前の広場は Altmarket (=old market)として食べものの店や工芸品のお店が並んでいました(ブラシ屋さんでパソコンのキーボードのブラシを購入)。ショッピングモールの中にはアップルストアもありお馴染みのMacやiPadが並んでいました(ただし、キーボードの配列はドイツ特有。キーの数も多い)。ビールも巨大な1リットルのジョッキのものもあり(結構な人数の人がこの巨大ジョッキでビールを飲んでいました。私も調子にのって注文したのですが、重すぎて片手で持ち上げるのが大変な感じでした)食事も肉料理中心ですがどれも美味しく頂きました(スペアリブ、ローストビーフ)。本当はクリスマスマーケットの頃に(同じ広場で沢山のお店がでるそうです)もう一度来れるといいのですが、これは10年後くらい先になるかもしれません。

さてベルリン中央駅に午前11時前に到着しました。最初に迷ったのがトラムと地下鉄。今晩のホテルはホリデイ・インのアレキサンダー広場前なおので「S」というトラムに乗るのですが、通常のトラムのイメージと異なりベルリン中央駅の2Fのプラットフォームから私鉄のように発着しています。ベルリンの近未来的なイメージとは異なりSのトラムも後から乗るUの地下鉄もふた昔まえくらいの乗りもののように見えます。これは東西ベルリンの分断の影響かしらとも思うのですが、映画『Bridge of Spies』で出て来るベルリンの電車そのままです。

まず訪れたのがブランデンブルク門です。東西ベルリン、東西ドイツ分断の象徴と言われた建物です。残念ながら旧西ドイツ側はイベントの準備していて足場が組まれていましたが、東西ベルリンの中心部に立っていた建物で、東西ドイツ統合の象徴の門を見ることが出来感無量でした。すぐ横にアメリカ大使館、少し離れてイギリス大使館があるのも(イギリス大使館前はBrexitの関係でしょうか、車両通行止めになっていました)。ブランデンブルク門の土産物屋でベルリンの壁のカケラを売っていたので写真に撮ったところお店の人にこっぴどく怒られました(すいません)。

その後、苦労しながら(SというトラムとUという地下鉄の路線が分かりにくい!)ベルリンの壁記念館(Gedenkstätte Berliner Mauer)へ。その前には巨大な壁がそのまま残されていました。これを見て人は何を思うのでしょう。もちろん権力による抑圧された人々が感じる理不尽さ、自由を求める人間の根源的欲求、時代に翻弄されながらも時代を動かした人々の力の大きさ。いろいろなイメージや印象が湧いてきます。展示を見る人達(多くはドイツ人だと思われます)の真剣さ。

それにしてもベルリンは「S」といい「U」といい乗り場も方向も間違えやすいです。ベルリンの壁記念館を訪れた後帰ろうとして「U」も駅を探しても分からず、ベルリンの人には分からない、又は急いでいるのでと十分教えてもらえず、よく考えると勘違いで「S」に乗ってきたのでした。S=トラム、U=地下鉄なのですが、Sも地下を走るので混乱します。方向も逆方向の電車に乗ってしまい慌てて戻るということもありました(これはドイツ語の車内放送が分からないため)。

さて、夜はこの旅のハイライト、ベルリンフィルの定期演奏会への参加です。思えば、父に連れられて中学生の時に京都市交響楽団の定期演奏会に(旧)京都会館に連れて行ってもらったのがクラシックコンサートの出発点でした。それから40年、ついにホールもオーケストラも世界最高峰と言われるベルリンフィルのコンサートに行けることに感無量の想いでした。この日は思い切ってホテルからタクシーで(アプリで簡単に配車してもらえます)、フィルハーモニー(Philharmonie)へ。開演1時間以上前でしたがすでにかなりの人が集まっていました。1時間前きっちりに開門、中へ、勇んでチケットを手渡すと係員が厳しい表情で「ここではない」。愕然。間違えた?でもよく聞くと横のホールがクラシックコンサートの会場のようです(実際に私のような人がドイツ人も含めて結構いらっしゃいました)。

ベルリンフィルは人気があるのか日本人の姿も結構見ました。この日は豪勢にコンサート前にシャンパンを頂きました(グラス一杯が€15=2000円もしました。でも新しいボトルを景気良く開けてくれました)。開演前に会場を見て回りましたが、ステージの四方を客席が囲みこむスタイルです。これで2000人近く入るそうですが、どの席からもステージが近くに見えます。さすがにコンサートが始まると写真撮影は禁止のアナウンスが流れましたので(なかには、Go Proで演奏後の拍手のところを撮っている剛の人も、イタリア人?)。

ベルリンフィルのコンサートマスターは(イギリスではLeader)樫村大進さん。奏者の最後に拍手で迎えられての入場。堂々とした態度にも笑顔で団員と談笑する余裕が見えます。今日はブルックナー交響曲No.5一曲のみ。奮発して一番いいA席でしたので、樫村さんをはじめ楽団員の姿がよく見えます(コンサート用の強い矯正メガネを忘れて行ったのですがよく見えました)。

感想は、音の振動を楽団員と客席が共有している、ということに尽きます。客席もいいコンサートになるよう音ひとつ、咳一つしないように協力する緊張感が感じられます。その中で、バイオイン、ビオラ、チェロ、コントラバスという絃楽器が第一楽章から一貫してブルックナーの重厚な音を奏でます。途中、フルートやトランペットの管楽器が主題を導入していきます。73分あったはずですが、ステージに集中しながら脳裏にはいろいろなことが浮かんできました。

印象的だったのは、ベルリンフィルは緊張感漂う中でもちろん一生懸命演奏しているのですが、同時に音楽を楽しんでいる姿が見て取れました。楽章の合間に見せる笑顔、演奏中の恍惚とした表情。緊張と楽しみ、これは以前、樫村大進さんがドキュメンタリーの中で(The Professionals)「No risk, No fun」と言っておられてたことと符合するところです。

帰り道、でも東西ドイツがあってベルリンの壁で覆われている時代も(その時代は少なくとも30年はあった)このホールでベルリンフィルが最高の演奏を続けていたことを想像しながら、当時のオーケストラがより緊張感と存在意義を賭けて演奏に臨んでいたんだろうと思いを馳せました。
ベルリンの壁とベルリンフィルは関係ないようで深く結びついているように思います。なぜ音楽を奏でるのか、愛するのか?それは人生の絶望と可能性そして希望を謳うためではないでしょうか。

(2018.9.22)

★今回の教訓:ベルリンは絶望と希望が入り混じった街なのか。
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オックスフォード通信(178)ドレスデンの復興

ドレスデンは塔の街と言われるくらい多くの教会の尖塔が立ち並びます

滞在しているホテルの目の前には Holly Cross Church があります。相変わらず高い所が好きなのでドレスデンの教会で一番高いと言われている聖母教会 (Frauenkirche Dresden) に登ってみましたが、塔の頂上からもいくつもの教会の塔が近くに遠くに見えます。

聖母教会は一見したところ、古く見えますがが内部にはエレベーターの設備があったり、壁も床も新しい感じがします。しかし壁の所々には煉瓦の壁がわざと見せるようにむき出しになっている所もあります。

降りてみて疑問は氷解しました。入口の前に巨大なコンクリートに鉄柱が突き刺さった残骸が鎮座しています。そうです。1945年、第二次世界大戦の末期の大空襲によってドレスデンの街はほとんどが廃墟になったと言われています。この聖母教会もその時に破壊されたようです。

しかし街を歩いてみて、修復工事や新規の工事を見ることはできますが、廃墟の跡形を探すのは現在では難しいくらいです。

そう、すべての教会や重要な建物が元の姿に復元、復興されているのです。資料によると聖母教会は1994年までは戦争のむごたらしさを示すために残骸のままだったとそうですが(イギリス・リバプールにそのような教会がひとつありました)10年以上の歳月をかけて復元されたそうです。

復元にかかった月日から戦争のむごたらしさを感じることはもちろんですが、ドイツ・ドレスデンの街の人達の復元にかける情熱と多大な苦労にしばし呆然とする思いでした。1994年というと東西ドイツ統一後のことですが、教会を復元しないことには新たな一歩を踏み出すことができないということだったのでしょうか。

一方でそのコンクリートの残骸の巨大さに空襲のむごたらしさも推し量ることもできます。戦後の平和な時代に生まれた者としては想像もつかないことですが現実として戦争がもたらす被害は建物、人の命を含め甚大であることを再認識させられます。特に、日本と同様敗戦国であったドイツは誰に同情されることもなく元の姿に戻そうと黙々とみんなが働いたのでしょう(戦勝国では戦争の被害は多大に同情されるが敗戦国では自らが招いた災いであるような認識を戦勝国が作ることが多い。この傾向はアメリカによる911テロ攻撃に端を発したイラク侵略にも見てとることができる)。あらためて戦争の被害を真っ先に受けるのは一般庶民であり、その庶民に戦勝国も敗戦国もないとの思いを強くします。

さて、ドレスデンでスーパーマーケットに行ってみたのですが、日本のスーパー以上に商品がレベルも含めてきちんと揃えられています(イギリスのスーパーは商品が並んでいるだけという感じで雑多な印象を否めません)。合理的という点では日本のスーパー以上かもしれません。床にゴミが落ちているということもなく清潔感があります。

市電は時刻通りかどうかはわかりませんが、効率よく数多く運行されているようです。性善説に則っているのでしょうか、電車のチケットはプラハ同様、改札もなく極端にいうとただ乗りもできそうです。しかし、今日、トラムにのっていて、突然、車内検札がはじまりました。電車に乗ったときにドアの横に厳しい目をした人が立っているなあ、と思っていたのですが、しかもポケットに大きなクレジットカードの読み取り機のようなものを持っている。うーん、内心怪しいと思っていたのですが、私が乗り込んですぐにもう一人の係員と「切符拝見」という感じでチェックがはじまりました。もちろん、(そんなことがあろうかと思っていたわけでもないですが)私はチケットを買っていましたので問題なかったのですが、驚くことに私の見る限り車内の乗客(かなりの人数でした)誰一人、無賃乗車はありませんでした。学生は学生証をみせろと言われていましたし、短時間にかなり丁寧なチェックを行っていました。

成熟した街というのはいいすぎなのでしょうか、改札もなく、チケット売り場とチケットの有効化マシン(Validation)があるだけですが、皆がルールを尊重し遵守する。モラルが高いと言った方がいいのかもしれません。実際、経費としても無駄な改札や駅員も不要ですので、少ない経費でトラムを運行することもできます。イギリスや日本とは異なる価値観を見たように思います。

一方で日本とドイツの相違は何だろう、とも考えていました。午後、フォルクスワーゲンの工場見学ができるというのでトラムで3つほど東の駅で降りて行ってみました。残念ながら定時の工場案内は英語版は1時間半先だったため、自分で勝手に見て回る形だったのですが、ガラス張りで、エアコンがかかり(恐らく)、木のフローリングの床の美しい工場はクリーンかつ効率がいいように見えます。日本のような安全第一や目標達成のような張り紙もありません(この工場だけかもしれません)。工員のみなさんも映画にでてくるような真っ白のつなぎの作業服で淡々と仕事をしていました。

そのような姿をみながら、ドイツは美しく生きようとしているのではないか、と思い始めました。いや、効率よく生きよう、合理的に仕事をしようと言った方がいいのかもしれません。トラムの切符についてもそうですが、みんながルールを守り美しく生きることが結果的には効率が上がりひとりひとりの生活が豊かになるのだと。美化しすぎかもしれません。ただ、プラハの街を覆い尽くしていた落書きもこのドレスデンではピタリとはいいませんが激減していました(落書きされないように、先手を打って落書き風の看板もありました)。

夕食は少し早い目のスタートになったのですが、外のテーブルに席を取って頂いてゆっくりと楽しく食事を楽しむことができました。路上パフォーマンスにしては上手すぎるギターリストの音色も聞こえてくる中、テーブルの上のロウソクがゆらゆらとしていました。まだ明るい頃はそうでもないのですが、薄暗くなってくるとロウソクは半径20cmくらいしか照らすことができないのですね。でも食事には他のお客が見えないのでその方が都合がいい。何か面白いように思いました。あまり肩肘張らずに、ロウソクのように半径何センチくらいを照らすことができるような仕事ができればいいのではないか、そのような気持ちになりました。

ドレスデンの復興、ドイツ人のライフスタイル(文化、コンテクスト、言語、民族性)などを考えながら電車で2時間半移動するだけで大きく変化する街と人々の様子にいい刺激を頂きました。

いよいよ明日は最終訪問地のベルリンへ移動します。

(2018.9.21)

★今回の教訓:そういえば、延暦寺根本中堂には「一隅を照らす」という最澄・伝教大師の言葉があった。一隅を照らすとはそういうことなのか。ひとりひとりがロウソクのひかりの範囲を照らすことができれば世の中はそれだけで明るくなる。
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オックスフォード通信(177)シェークスピア・ブックストア

プラハにあるシェークスピア・ブックストアに行ってきました

シェークスピアの本ももちろんあるのですが、映画に関する本から子ども向けの本、チェコ語、ドイツ語、英語の本など多種多様の本が並んでいます。新品と古本が混じっているのも面白いところです。店主の趣味が多分に反映した品揃えですが、なかなかいい趣味の選択だと思います。

店の中には至る所にソファが置いてあり、ゆっくりと本を読めるような雰囲気です。京都の三月堂書店を地階を作って、ソファを置いた感じだと思っていただくといいです。

その前に近くのカミュ博物館に行ってきたのですが、プラハは、チェコ語、ドイツ語、ユダヤ(ヘブライ語)が入り交じる混沌とした文化状況にかつてはあったようです(現在は圧倒的にチェコ語、チェコ人か?)。その文化状況がプラハの豊かな文化を形成したようです。

先日、歴史学習ではマリアテレジアとモーツアルトの関係を一緒に学ぶべきだと書きましたが、カミュの博物館をみながらそれらは「コンテクスト」「文化」と一緒に学ぶべきだといいかえてもいいように思いました。カミュはアインシュタインと同時代に生きています。同時代に生きてきた人達が互いに影響を与えながら新しい文化や新しい政治体制をつくるのだと思います。ゆえに、「同時代性」を意識した歴史認識や歴史学習の必要性を感じます。

私の好きな言葉で置き換えると「connecting the dots 的な考え方・学び方」(=遠山啓のいう「分析と総合」の総合)をどこかでしておく必要があると思います。これは英語学習においても当てはまることかもしれません。

その後、スメタナ博物館へ。あの「わが祖国」を作曲したスメタナです。昨日はお休みだったのですが、カフェに像の前も占領されて入り口もひっそりと。でもプラハ中央駅の発着のメロディーはモルダウでしたし、下記のルカルシュさんもドボルザークと並んで尊敬される作曲家だと言っておられました。

ヴルタヴァ川のほとりに立つスメタナ像と川をみながら、スメタナは「モルダウの流れ」で何を描こうとしたのか、呆然と考えていました。すると、鴨長明の「方丈記」の出だし「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。・・・住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」(の最初の部分)が浮かんできました。そうか、川の流れは変わらないように見えるけれどその間に人は移り変わり栄枯盛衰がある。これは河島英五の「いきてりゃいいさ」(加藤登紀子作詞・作曲)と同じ事を言っているのではないかと思いました。「よろこびも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐってゆくのさ」

独裁者も支配者も川の流れのように歴史の流れには盛らず、真でないものは流れ去る。そして、人の人生には限りがありいつか流れの中に消え去るのみ。だからこそ今という時間を大切に謳歌しようではないか、そんなことをスメタナはモルダウという音楽に込めたのではないか、川の声を代弁したのではないか、と思いました。

午後、時間があるので、軽い気持ちで「共産党博物館」へ行ってきたのですが、予想に反して、チェコの現在までの歴史を共産主義との関係で丁寧に描いた見事な博物館でした。第二次世界大戦終了後ナチスの代わりにソ連共産主義が導入され、それに対して1968年のプラハの春、1989年のいわゆるビロード革命を軸にチェコの歴史を描いたものでした。

その国から発祥したものでない借り物はいかに良さそうに見えても人々の心に根差すことはできず、民族の心は戦争でも占領でも鎮圧でも抑えることはできないことがよく分かる内容でした。特に、1968年のプラハの春で焼身自殺した大学生と反共産主義といレッテルのもと公教育を受けさせてもらえず、強制労働や兵役につかされていたハベル元大統領の写真や言葉には力がありました。

大統領になったあとも権力を乱用することなく、私怨に囚われることもなく、チェコの民主化に努めたハベルの姿はインド独立に貢献したガンジーの姿にも重なるものがあります。ドキュメンタリーフィルムのコーナーは結構な人が集まり中には涙を拭っている人もいました。

どうもこのチェコの淡々かつ毅然とした民主化の流れとドボルザークやスメタナの姿がダブって見えるのは拡大解釈のしすぎかもしれません。

午後は電車でからドレスデンへ移動。電車のコンパートメントで一緒になったのがチェコの大学3年生のルカルシュさんと彼が途中の駅で降りるまでの1時間半くらいいろいろな話をすることができました。このコンパートメントタイプの車両は(プラハ=ドレスデン=ベルリン行きは全部がそうでした)自然とこのような話ができる雰囲気です。

おもしろかったのは、チェコ人からみると英語はあまり上手いとはいえず、シャイな人が多いとのこと。世界一シャイと言われる日本人からすると興味深いコメントでした。8才から英語、中学からフランス・ドイツ・ロシアから選択するとのことです。

おじいさんがフランスに住んでいるので、大学卒業後はフランスで仕事を探したいと言っておられました。母語はチェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、この順で自分がコミュニケーションできると思う、とのこと。こちら来てみて、チェコ語はやはり難しいと思いました。ルカルシュさん自身も母語でありながらチェコ語は難しいという認識を持っているとのことです。文字もむずかしいし、発音も難しいです。スラブ語族なのでロシア語に近いはずなんですが、ルカルシュさんに「ありがとう」をチェコ語でどう言うのか何度か聞いたのですが、別れる時にも聞き直す始末で、今に至っては全く記憶の片隅にも残っていません。

これまで、グローバルリンガフランカとしての英語について、主な配役は、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国、シンガポールまでだったと思うのですが、オックスフォードに来てから、ヨーロッパの人達、例えば学会でお会いしたスウェーデン、オーストリアの先生方や今回のチェコの人達をクローズアップする必要があるのではないかと思い始めています。

日本とのデモグラフィックな違いは沢山ありますが、母語を大切にしながら、英語や他の言語とうまく付き合っている姿は白か黒ではなく、その中間のようないい立ち位置を示してくれているように思います。

もう機会はないかもしれませんが、チェコ人、チェコ語、プラハに興味が一層湧いた旅になりました。そしてもっとドボルザークとスメタナの音楽を聞いてみたいと思います。

まだ聞いたことのない人はドボルザークの「8 Slavonic Dances, Op. 46, B.83: No. 1 in C (Presto)」を聞いてみて下さい。心が躍ります。

(2018.9.20)

★今回の教訓:チェコとドイツ(旧東ドイツ)国境を流れるエルベ川も美しかった。途中のSaxon Switzerland の山並みも素晴らしい。
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オックスフォード通信(176)ドボルザーク

朝一番にドボルザーク博物館に行ってきました

ホテルから歩いて10分くらいの距離にあります。彼自身が住んでいた場所ではなかったようですがかれの生前から同じ場所にあったとのことです。訪れてみて良かったと思います。ドボルザークの音楽は彼の素朴で気取らない性格からできたのだと言うことを知ることができました。愛煙家であったことは意外ですが、田舎に住み、プラハ音楽院の教授の職のオファーも断り、音楽をひたすら愛していたように思えました。ブラームスとの交流があったことも意外です。

展示の中で最も興味を惹かれたのがアメリカへの数年間の旅行・在住です。改めてドボルザークがアメリカ行きの中で交響曲第9番を書き上げたことはすごいと思いました。アメリカでの新しい生活に向けた期待と不安、故郷への想い、新しい可能性へ賭ける思いをこの交響曲に込めたのだと思います。今の私の心情と重なる部分があるのはもちろんですが、誰しもの人生とも重なるのではないかと思います。

モーツアルトもそうですがその気持ちや心情が音楽として見えるところが天才なのだと思います。ひょっとしたら天才ではなくて誰にもそのようなことは不可能ではないのかもしれませんが、交響曲や音楽としてまではまとめることができないだけかもしれません。

彼の代表曲を聞くことが出来るようにいくつかの音楽が選曲してありました。第9番も良かったのですが、スラブ舞曲のメロディーに心が躍りました。心をくすぐられる音楽です。といっても洗練されたものというわけでなく、何か懐かしくなる音楽です。

やはり今晩のコンサート(第8番、通信175参照)に行きたくて、博物館の受付の方に聞いてみたのですが、これはコンサート会場のBox Officeに行って懇願するしかないのではないか、ということでした。

ウイーンの皆さんもとても親切だったのですが、それ以上に親切なのがこのプラハの人達です。朝、ドボルザーク博物館の帰りにトラムに乗ったときには(実は逆方向に乗ってしまいました・日本、イギリスと反対の右側通行なのでトラムなどの方向も間違えがち)おばあさんが横に座って、10分くらいずっとチェコ語で私にいろいろと話しかけてきます。どうもいろいろな助言をしてくれているようなので、yes, of course などと答えていたら話は通じているようで、わたしも言っておられる言語は分かりませんでしたが、何となく言わんとすることは分かるという不思議なコミュニケーションをしました。降りる際には、スリが多いからお前の後ろポケットに入っているものを気をつけろ、と言ってくれました。私はこれはパンフレットで財布じゃないから大丈夫だというと通じたようです。帰りがけにニコッとした笑顔が素敵でした。また、時計台広場に行こうと思ってトラムに乗ったときには迷っているように見えたのでしょう、完璧な英語でどこに行くんの?迷ってない?とご婦人が声をかけてくれました。じゃあ、その前にユダヤ人墓地に行った方がいい、私がそこまで案内するとまで言って頂きました(結果的に時計塔は修理中で12時の音を聞くことは出来ませんでしたが、墓地は後から行きました)。もう一人の子連れの女性にも優しく声をかけていただいています(よっぽど迷っているように見えるのでしょう)。

でも、こうやって英語や、英語-チェコ語で話をしながら一つ分かったことがあります。コミュニケーションする態度は「目」ですね。いろいろな観光客が来ていますが、目を見るとこの人は話をしたがっている、話をしたらおもしろそうかどうか、が分かります。

中高の英語科の評価に「「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」がありますが、「目」で判断・評価するといいのかもしれません。目は大事ですね。おそらく私も目で何かを訴えていたのだと思います(教師の習性かもしれません)。

ところで、コンサート会場のRudolfinum (Dvořák Hall) に足を運び受付の方にチケットがあるかどうか→ない、当日券はないか→ない、キャンセルのチケットを手に入れることはできそうか→100人以上待っている、せめて会場をみせてくれないか→だめ、と取り付く島もない状態でした。ドボルザーク博物館の係員の女性は、手を合わせてお願いしろ、とボディーランゲージで示してくれましたが、流石にそこまではできませんでした(別件ですが、プラハのパンハンドラーは過激なアクションで迫ってきています。思わず心が動きそうになります)。

でも、小さな頃から好きなドボルザークでしたが(ユーモレスクが入り口です)、博物館やホールからいいインパクトを頂きました。昨日も書きましたが「第8番は次回のお楽しみに」いつかもう一度、プラハで聞きたいと思います。

代わりにというわけではありませんが、夜、ヴルタヴァ川 にペダル式のボートを繰り出し(奥さんの発案です。頭が柔らかいのはいいですね。スマートな証拠)流れているか流れていないか分からないくらいの緩やかな川の流れにゆらゆらとゆられながらカレル橋、プラハ城の夜景を見つめていました。

思えば、プラハの春の1968年から50周年、ビロード革命と言われる1989年の共産党政権の崩壊から約30年、第二次世界大戦中はヒットラードイツに、戦後はソ連に影響されながらもチェコ人の本質を見失うことがなかったチェコ人のしなやかで気さくな知性は傑出していると思います。

ウイーンもそうですが、プラハでも母語のチェコ語以外の表示や案内は要所を除いて(例えば、地下鉄で外国人観光客の乗降が多い駅など)母語のみです。それは母語に対する愛情と誇りを感じさせるだけではなくて、堂々とした印象を与えます。それについて誰も不満があるようにも思えません。グローバル社会で生きて行くというのはそのような姿なのではないかとも思います。

日本のように、どの場所でも英語・中国語・時に韓国語で表示、アナウンスをするのは「便利」かもしれませんが、それと引き換えに日本語に対する誇りを失ってしまってるのではないかと思うようになりました。これは変な硬直化した考えではなくて、バランスを上手く取りながら日本語を大切にするという姿勢です。分からなければ「英語」で観光客は聞けばいいのです(日本語ではなくて)。その時に応対できるだけの「基礎的英語能力」を日本人が付けておけばいいのです。今の状況は英語で聞いてもお答えできませんから、できるだけあらかじめ英語や中国語でお知らせしておきますよ、というように受け取られてしまうかもしれません。

明日は、ドイツ、ドレスデンに移動します(「世界の車窓から」風になってきました)。

(2018.9.19)

★今回の教訓:チェコで目を背けることができないのが第二次世界大戦中のヒットラーによるユダヤ人大虐殺。展示をみながらヒロシマ・ナガサキ、そして東京大空襲を思い出した。戦争の犠牲になるのはいつの時代も庶民だ。

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オックスフォード通信(175)プラハ

ウイーンからプラハへ電車で移動しました

ウイーン中央駅は予想以上に大きく、清潔で、電光掲示板などよく整理された使いやすい駅です。プラットフォームがどこになるか心配だったのですが、1時間前には表示され(9番ホーム C-Fでした。このC-Fの意味が最初分かりにくかったのですが、同じホームにA、Bと乗り場が指定されています。私が乗る前の電車がFあたりから出発したのですが、Aにも同様に電車が止まっており[Don’t rideと表示が出ていましたがが] 間違えて乗り込んでいる人もいました。その後発車した後に気づいたのか走っている人もいましたので分かりにくいところです)。

さて、朝、9:10発のTrain Jet スメタナ号にて一路プラハへ。ヨーロッパ版の新幹線とのこと。それほどのスピードは出ませんが(最高で120km/hくらい)電気気動車が牽引しているので揺れもなく快適な列車の旅です。

イギリスもそうですが、トンネルもカーブもほとんどなく直線の旅です。オーストリア西部に広大な草原が広がっています。雄大です。

列車はウイーンからチェコ国境の町Brunoを越えて山の中を走ります。イメージとしては山形新幹線といった感じです。スピードを出せるところは160kmくらい、山間部にはいると70kmくらいです。

車内はWifiや電源も完備されていて2等車で十分という感じです。それにしてもこのオーストリア=チェコ国鉄は生真面目で5分列車が遅れていることを申し訳なく思っているようで何度も5分遅れているとアナウンスします。このような態度はイギリスでは久しく見たことがありません

結果的には10分遅れでプラハ中央駅に到着しました。プラハの印象は石畳の街、そしてドイツ語とは異なりチェコ語が話される国。

まずはプラハ城に登るべく歩き始めました。プラハは大きな街ではないし、ウイーンとよく似た感じなので例えば一日乗車券などの買い方や有効化 (Validate) の方法などは同じです。ただ問題はトラム。なるべくトラムに乗りたいとおもうのですが、Google Mapの乗り換えでは地下鉄ばかりでなかなか出てきません。しかたなく、地下鉄に乗り込み、といっても3分くらいで到着。そこからはひたすら長い坂道を上がっていきます。

実は、到着して、お昼ご飯を食べていないことに気づき、ホテルマンのおすすめのチェコ料理のお店で、ウインナーとローストビーフを頂いた後でした。もちろん、ここにチェコビールがセットになっているわけでビールを飲んだ後に山の頂上にあるプラハ城に登るのはなかなか骨の折れるものでした。それにしても多くの観光客です。ウイーンよりも街が小さい(観光地域が)か観光客が多いように思います。

土産物屋さんやレストランの印象はより民族的、よりギリシアよりという感じでしょうか。親しみを持てる感じです。英語はウイーンで話をした人達よりもコミュニケーションしやすい印象です(これは全くの個人的印象です)。

今回、プラハでは是非、ドボルザークのゆかりの場所を歩いてみたいと思っています。クラシックで一番好きな曲は?と聞かれたら二もなく、「ドボルザーク、交響曲第8番、イギリス」と答えるくらいです(実は、明日、チェコ交響楽団演奏でその第8番がプラハで演奏会を開くことを知りました。大人気らしく、チケットはすべて売り切れ。事務局に昨日メールを送ったら2ヶ月前に売り切れていますのであきらめて下さい、と親切な返事が。もう一回来なさいということなのかもしれません)。

本日のハイライトはプラハ城の中にある「聖ヴィート大聖堂」の尖塔に登ることでした。高いところが小さな頃から好きなので(リバプールを案内して頂いたD先生は全く逆の好みだとおっしゃっておられました)、プラハ城までの道のりでかなり消耗していましたけれど、オックスフォードのSt. Mary教会くらいだろうと高をくくって登りはじめました(この高をくくることは結構大事なことです)が登っても登っても着きません、同じらせん階段の繰り返しです。時々、鐘楼が見えるくらいで、バベルの塔のようにどこまでも階段が続く感じです。何度も休憩をはさみながらやっとのことで頂上へ。プラハの全貌を目にすることができた感動と足の疲れが半々というところです。年の割には足腰には自信があったのですが(最近腰は怪しい)、その後登ってくる人を見るとすいすいと息も切らさず登頂する人も多いところから、まだまだ修行が足りないと思った次第です。

大聖堂のてっぺんからプラハの町並みを見ながら、たとえば、1400年当時の国王カレルは何を考えていたのだろうかと考えていました。恐らく、日本の戦国時代の武将と同じ心情だったのかもしれません。ただ違うのはお城と教会がセットになっているところです(オックスフォードもカレッジと教会がセットになっています)。一方、宮崎駿「ルパン三世カリオストロの城」の城下町のような飲食店がお城の麓に軒を並べているのは日本でも同じ事だったのかもしれません。

風景は綺麗だったのですが、一方で、ここに来ている人は何に感動しているのだろうか、とも思いました。歴史的建造物?古さ?絶対的な美しさ?自然と街の融合?私達が忘れかけている人間らしい町並み?

たしかに、ブルタバ川にいくつもかかる橋と煉瓦色の屋根の町並みは中世のようですし、無条件に美しいと思います。またカレル橋自体、味のある他にない、絶対無二のもののようにも思います。

答は分かりませんが、今の自分の生活にないものがこのプラハの町並みにはあるのでしょう。

(2018.9.18)

★今回の教訓:ドイツ語圏、チェコ語圏、イタリア語圏などが隣接していれば共通語としてのリンガフランカ構想が浮かぶのは理解できる。共通言語が生活に必要だ。
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オックスフォード通信(174)Tower of Babel

先日のオックスフォードでの学会でお目にかかったウイーン大学の Mariene 先生にオススメの場所を教えていただき何ヶ所か訪れてみました

まずはシェーンブルク宮(Schonbrunn Palace)へ。ホテルの近くから地下鉄に乗って約20分。その車両に乗っていた半分くらいの乗客が下車。なにやら胸騒ぎが。駅を降りてみるとバスは何台も停まっているし、延々と続く人、人。まあ、入れなことはないだろうとタカをくくって入り口に。宮殿ですのでかなり広いスペースでしたが、それでもかなりの人が。

入場券売り場は長蛇の列ですが、Information で聞いてみると長時間のツアーでなければ自動販売機でチケットが買えるとのこと。英語を含め(日本語はなかったような)6ヶ国語くらいに対応したスマートな自販機でチケットを買っていざ入口へ。

入り口で預けなければいけないというバックパックを手渡し、ゲートへ。ゲートには厳しい顔をした女性係員が。また胸騒ぎ。チケットを手渡すと12:36分のチケットなので2時間後に戻ってこいとのこと。まあそう言わないで、という雰囲気も作らして貰えず断固却下されました。一度市内に戻って夕方来ようかと思ったのですが、今後は少し優しそうな男性(男女の区別をいうわけではありませんが、このような場面では男性の係員の方が柔軟に話を聞いてくれる傾向があるように思っています)に聞くと30分オーバーくらいまでが許容範囲とのこと。この宮殿は厳しい。

あきらめて、宮殿裏手の(?)庭に出てみてビックリ。広大でしかも幾何学的に設計された庭がはるか遠くの方まで続いています。ただイギリス人的発想では芝の刈り方が甘いなあなどと思いながら散策しているとあっという間に2時間が。それくらいガーデン、噴水、塔(登るのに更に追加の入場料が)には見所がありました。さすが、ハプスブルク家です。さすが、マリアテレジアですね。塔の最上階からは遠くウイーンの町並みを遠望することができました。シュテファン大聖堂の尖塔もこの景色によく合っているように思います。

厳しい受付がいるので少し早足で戻ってくると12:30、6分前です。自信を持って券を渡すと、Too Early と断固とした口調の英語が。絶望感に襲われながら3分待ち、流石にいいだろうと思った時にはその係員は他の入場者と話をしていてしめしめと思ったのですが、何のことはない、入場用のマシンが早すぎると受け付けない設定になっているのです。地下鉄駅のオープンさとのギャップに少しびっくりしました。

どうせみるものは大したものはないだろう(失礼しました)と思っていたのですが、音声案内を聞きながらのセルフガイドで回る各部屋からは荘厳・淡麗かつ現代に生きる歴史をひしひしと感じることができました。特に、マリアテレジアの前で6歳のモーツアルトが演奏した部屋と舞踏会が開かれていた大広間にはしばらく立ち尽くしました。そうだったのですね、マリアテレジアというとあのマリーアントワネットの母というつながりしか知らなかったのですが、モーツアルトが同時代にというよりも、マリアテレジアの時代が醸し出す雰囲気の中で音楽を作っていたということなのですね。

世界史は高校時代好きな科目だったのですが、この時、マリアテレジアとモーツアルトがなぜ一緒に教えられなかったのだろうとふと不思議に思いました。答えは簡単で大学入試では政治的・社会的なことは出題されても文化的な側面についてそれほど重要視されていなかったからだと思います。

しかし、このように大人になってから外国の街を訪れる際に興味深いのは政治経済よりも、人々の暮らしや生活、文化的な側面の方です。昨夜耳にしたモーツアルトの音楽が頭の中で流れてきました。マリアテレジアはどのような顔でモーツアルトの音楽を耳にしていたのでしょう。それは丁度、シェークスピアがエリザベス1世の時代に生きていたことと同じような関係なのかもしれません。

その後は、バベルの塔を見に、ウイーン美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)へ。途中、マーケットをしているという Naschmarkt の近くの Kettenbruckengasse 駅で下車(ドイツ語は途中で切らないので1つの単語が長い)(結果的には日曜日でマーケットはお休みだったのですが、そのホームに衝撃のポスターが。10.2からバベルの塔展。絵、ということは今は展示していないのか。そういえば日本でバベルの塔展をしていたな、まだどこかを回っているのだろうか、とだんだん弱気になってきました。でも地下鉄で乗り合わせたリビア人の男性二人が面白かったので、まあいいかという気になりました。お前はどこから来たんだ、と聞いてくるので日本というとおおテクノロジーの国か、寿司は好きだと、いろいろとステレオタイプ的なことを言ってくるので、テクノロジーは確かに当たっているが、寿司は毎日日本人が食べていると思っているだろうというとそうだと答えるので、その誤りは正しておきました。一方、リビアはどこにあるか知っているかと聞いてくるので、自信を持って日本人は100%その場所を言い当てることができるというととても喜んでおられました。わかりますよね、リビアの場所。ちなみにその母語はアラビア語ですよ)。

博物館へ行く気が一気に失せたので、途中、サンデイ・ストリート・ロックコンサートみたいなイベントをやっていて(最初は遠くの方からデモ隊の雄叫びのようなものが聞こえると思っていました)、そこでホットドック(すいません、ウイーンはイギリスよりも格段に食べ物が美味しいです)を食べたりしながら、美術館入り口へ。高い入場料を払う気がしなかったので、受付でミュージアムショップだけ行きたいと申し出ると、一目瞭然で分かるような赤のストライプのIDをいただくことが出来ました。せめて、バベルの塔のトランプでも買おうと思ったのですが(外国では必ずトランプを買うようにしています)、あまりにできが悪いので、クリムトのトランプなどを買って、レジでバベルの塔は展示していないよね、と聞くと、横でお金を払っていた客が残念だったな、来月から展覧会だと追い討ちをかけて来ます。するともう一人の客が、いやいま展示をしているはずだと。それはないともう一人の客が言い返すと、「20分前にこの目で見てきた」というではありませんか。えええ。するとミュージアムショップのレジの係員はとても親切で気が回る人ですぐさまウエッブを検索して2Fのxx室!と教えてくれました。

危機一髪。

すぐさま方針転換。受付で改めてチケットを買い(ウイーンではチケットを買うと必ず、Where are you from? と聞いてきます。不思議に思ってなぜ聞くのかと聞くと、そのように聞くように決まっているとのこと。午前中のシェーンブルク宮でも全く同じ質問をされました。本当に皆に聞いているのでしょうか)、ダッシュ気味で2Fへ(と言っても、ドイツと同じで0階から数えるので、3F、ここの美術館は更に0.5という中二階?もありました)。

ありました。あのブビューゲル (Bruegel) 作、The tower of babel です(これはホテルに帰ってから調べたのですが、ブビューゲルのバベルの塔には2作あって、1作はオランダに、そしてこのもう1作がこのウイーンにあるとのこと。日本で展覧されたのはオランダのもののようです)。

しばらく立ち尽くしました。

天に届くかというバベルの塔。聖書にも登場するこのバベルの塔。言語との関わりにおいても興味深いのですが、天国に届くように人が知恵を合わせて塔を作るというのですが、ブビューゲルの描写は細かく人々を無理強いして働かせる領主や外敵を攻撃する大砲も描かれています。

でも人々が更なる高みを目指してコツコツと塔を建設する様子は何か私達にインスピレーションを与えるものです。古来から人はこのように何かを夢見ながら果たせぬ夢に終わるかもしれないものに挑戦してきたのだと思います。これは外では無理やり働かせられているようにも描かれていますが、この塔を作るのは人間の本能ではないかとも思いました。

それほど混雑もしない贅沢な空間でバベルの塔について色々と考えを巡らせていました。

それにしてもレジで一声かけてよかった!

PS. その後、国立図書館 (Austrian National Library) へ。これがまた分かりにくい所にある。今回の旅では珍しく (?) Vodaphoneが完璧にカバーしてくれているので (giffgaffは全く駄目)Goodle Mapが使えて便利なのですが、図書館はなかなか分かりませんでした。問題は核心の場所まで行ったときに全く反対方向の矢印案内があったことです。オックスフォードのボードリアン図書館と同様の1300年代くらいからの本の展示がしてありました。エスペラント語についての情報も展示してあり興味深いものがありました。

(2018.9.17)

★今回の教訓:私にとってのバベルの塔とは?あなたにとってのバベルの塔とは?ひとりひとりが人生の中で打ち立てようとしているバベルの塔があるはずだ。
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オックスフォード通信(173)Wien Vienna ウイーン

オーストリアのウイーンに来ています

ロンドン(Gatwick空港)から1時間50分(時差が1時間あるので3時間かかるように見えますが)、LLCのEasy Jetを利用しています(天気が良くてイギリス側、フランス側の海岸線が綺麗に見えました。イギリス緑がクッキリしているのに対してフランス側はくすんだように見えるのは手入れの違いでしょうか。また着陸前にウイーンの街が見えたのですが周辺には風力発電の風車がズラリ。近未来映画のようです)。ヨーロッパなのでどこも同じだと思っていたのですが、やはり真面目にその場を踏まなけrばいけないと確認することがいくつもありました。

まず、ドイツ語。もちろんオーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を皆さんが話をしているとは思っていたのですが、ドイツ語だけです。英語で話かけるとアクセントのないニュートラルな英語で(本当に分かりやすいです。すいません、イギリス人よりもはるかに理解力が上がります)かえってきます。なのでオーストリア人の英語能力の高さは疑いようのないところですが、地下鉄や電車の放送は(車掌さんは外国人と見ると英語で話してくれます。地下鉄や電車の切符も独特です。何しろ、地下鉄の改札がなく、車内検札もなし[あるのかもしれませんがまだ経験していません。空港からの電車ではありました]。正直、空港からの乗り換えの地下鉄はタダ乗りしてしまいました。すいません!)ドイツ語のみ。日本なら、日本語→英語→中国語→朝鮮語と(JR嵯峨野線の場合)順番にします。プラットホームの電光表示も少なくとも日英でしているはずです。

しかし、ウイーンではドイツ語のみ

不便を感じるよりも、オーストリアの人達がドイツ語に誇りを持っている姿を想像して逆に好感を持ちました。そうですよね。イギリスでフランス語のアナウンスもするかというとしません!

二番目。タバコに緩い。数珠つなぎみたいですが、ホテルに早く着いてまだチェックインできないので昼ごはんの美味しいところを尋ねる→美味しいヴィエナ・シュニッツェル(Wiener Schnitzel)を頂く→そこの美人のウエイトレスにウイーンでオススメのカフェを尋ねる→素晴らしいカフェで「ウインナコーヒー」の原点のようなコーヒーとこれまで食べた中で一番美味しいザッハトルテ(Sachertorte)を頂く、とVirtuous Cycle(正の連鎖)をうまく辿れたのですが、そのカフェに行ってみてびっくり。久々にカフェの中でタバコをふかしている人を見ました(イギリスでは皆無)。また、今晩、ホテルの近くのバーでビールを飲もうと入ってみたのですが、これまた煙がもくもくしていてすぐに退散しました。タバコ文化なのでしょうか。あまりタバコを隔離しようと思っていないようです。

今夕はウイーン楽友協会でモーツアルトのコンサートに行って来ました。思えば大学3回生の時のヨーロッパ旅行では楽友協会のみ入ることができず悔しかったのですが、その黄金の間でのコンサートに参加することができました。開始が遅く、夜8時15分 ~ 10時まで。モーツアルトの名曲を聴きながら、改めてモーツアルトはすごいことを実感しました。41歳までの人生であれほど多くの名曲を作曲したこともさることながら、作曲した曲は誰もを魅了する素晴らしいメロディーばかり。

天才という言葉で片付けのは簡単ですが、彼は自然と天にあるものを音楽として表現したのだと思います。ビートルズも同じような天才でしょう。リバプールに行けばビートルズを礼賛し、ウイーンではモーツアルトか、と思われるかもしれませんが、同じ人間が行ったこととして考えると凄いことだと思いました。私もモーツアルトやビートルズのように、真理を探求してスラスラと論文が書けるといいのですが(だいぶ良いところまで来たと思うのですが今考えている問題をあと一つ詰められていません)

これはCDを聞いているだけではなくて、その場で実感しないと分からないことなのではないか、と思います。

(2018.9.16)

★今回の教訓:ウイーンを流れる河はドナウ。ストラウスが歌うように(テムズ川とは異なり)青く雄大なドナウだ。
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オックスフォード通信(172)7 pence

7ペンスというと日本円でいうと10円くらいでしょうか

ポンドからユーロとクローナ(英語ではCrown、チェコの通貨です)に為替交換をするためにオックスフォード市内の両替所に行ってきました。不思議なことですが銀行よりもどうやらレートがいいようです。

と言ってもそれほど高額ではなくて全部で1万5千円程度です。アプリがあるので(App)便利ですね。レートを確認して、£100(約15000円)ほどユーロに、そして£20(約3000円)をクローナに交換しようと思いました。

両替所はオックスフォード観光案内所の中にあってとても便利なところです。私の前に英国人の大学生風の男性が私と同様にポンドからユーロに交換していました。私の番になって、まずはユーロからということですが、£100に7セント出せば丁度€110になると親切に言ってくれます。ところがどこを探してもというか普段クレジットカードしか持っていないので(本当にクレジットカードとApple Payがあれば事足ります)小銭は持っていません。

ああああ、という残念な空気が流れ始めた時、私の前に両替した男性が「どうぞ」と7セント差し出してくれるではありませんか。

先に書いたように日本円にすれば10円ほどですが、心が動きました。

なかなかできることではないですね。私だったら、と立場を置き換えて考えてみてもすぐにサッと差し出せるか、自信がありません。

人に、特に、海外で親切にしていただくと心にしみるものですね。このお返しは日本できちんとさせて頂きたいと思います。

Pay it forward!

PS. 明日からしばらくはヨーロッパの諸国の旅にでます。現地からお届けします。お楽しみに。

(2018.9.15)

★今回の教訓:額の多少ではないのだろう。爽やかなその青年の顔がくっきり浮かんでくる。
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オックスフォード通信(171)Serena Williams

USオープンで優勝した大坂なおみさんがインタビューを受けている様がBBCなどで放送されていました

テニスコートで見る姿よりもずっと大人びた雰囲気で落ち着いた受け答えをしていました。

一方で、Serena Williamsについてはオーストラリアの新聞が漫画に描いたことによって更なる波紋が広がっています。

先日のガーディアン紙では (2018.9.7) 大学で教える教員の BME (Black Minority Ethnic)の比率が極端に低いことを報じています。裏を返すと、白人男性の比率が高いと言うことです。この新聞のグラフを見るとその極端さに驚きますが、その状況は日本においてもまた女子大学においてもそれほど変わらないのかもしれません。

マンガについては賛否両論あるようです。BBCのWebはその様子を伝えています。大坂なおみさんも白人風に描いてあると、漫画への批判は Serena だけに留まらないようです。また、PC(Politically Correct、パソコンではない)という言葉も出て来ています。

ただ生放送でUSオープンの決勝戦を見ていて、Serena の激昂ぶりは異様に映ったのは事実ですし、観客のブーイングも見たことがないような尋常ではないものでした。これが Serena が仮に優勝していたら彼女はここまで言っただろうか、第一セットをとっていたら・・・とも考えます。

どうも「江戸の仇を長崎で討つ」といった日本の諺も浮かんできそうな状況です。

(2018.9.14)

★今回の教訓:BBCの関心の高さの方に興味を持つ。NHKは放送しているのかしらん。
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オックスフォード通信(170)大学図書館のトイレ

トイレのことばかり書きたくないのですが、海外生活では重要な場所ですのであえてふたたび

昨日のこと、パソコンのこともあるのであまり席を立ちたくないので(通信128参照)我慢しているわけではないのですが、帰る頃に行くことがあります

オックスフォード大学の図書館は閉館時間が同女の図書館よりも早いのはビックリなのですが(通信120参照)、昨日はギリギリまで粘っていました。と言っても18:45頃。同女なら優しい声で「閉館時間15分前です」とかアナウンスがあるところですが、こちらは10分前に問答無用の「帰れ」と言わんばかりの鈴がなるところですが、その5分前にトイレに行ってから帰ろうと思いました。

ラドクリフカメラのトイレは地下にあるのですが、そこへのドアが開きません。また、故障かなと思ってかなり力一杯そのドアを引こうとしたのですがびくともしません。すると、ドアに張り紙が。閉館30分前からはトイレの横に併設してあるウオータークーラーの関係で使えません、と。

全く関係ない。唖然としました。

私は正直、トイレに行っておこう、くらいのつもりだったのですが、緊急の人もいると思います。トイレを封鎖しますか、と聞きたくなりました。もちろん、そこがこの図書館で唯一のToiletです。

要するに、スーパーマーケットやカフェの閉店準備と同じで、7時ジャストに係員も帰宅したいだけなんだろうと思います(以前、閉店間際のスーパーで[Tesco]、ヨーグルトが欲しいと行ったら、閉めかけていた店員が Just two minutes と怖い顔で言い放ったことがありました。スコットランドでしたが)。

ただですらトイレが少ない(通信107参照)イギリスです(先週末のドッグショーの帰りパブでビールを飲んでいたら、トイレだけ使いに来た女性がいました。すぐに分かるものですね)。

せめてトイレくらいは閉館時間まで使わせて欲しいものです。

PS. 外に出ると爽やかな秋空が広がっていました。オックスフォードはすっかり秋です(10月下旬の雰囲気です)。

(2018.9.13)

★今回の教訓:トイレの時間まで気にしていたらできる仕事もできない。
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オックスフォード通信(169)芝刈りと散髪屋さん

オックスフォードに来てからイギリスのいろいろな場所に行く機会を得ましたが、一つ不思議なことがあります。

どの街にも散髪屋さんが必ずあるのです。

そりゃあ、どの国のどの街にもあるでしょうと言われそうですが、目に付くだけでもその数が少なからず、いや多いと思うのです。ひょっとしたらイギリス名物の代名詞のパブより多いかもしれません。

ここでいうところの散髪屋さんは男性を対象とした Barbar です。女性用の美容院は正直どれが美容院か分からないところがありますのでその数はハッキリと分かりません。

外国にはしばらく済んでみるもので、そのような素朴な疑問はあるとき、ふと解決するものです。ヒントは芝刈りにありました(または植木と言ってもいいかもしれません)。

これまたイギリスの訪れる街、街、どこにいっても家の前の植木が綺麗に整頓されていて芝生がこれまた綺麗に刈ってあるのです。

私の住むフラットにも少し広い目の共用の芝生があるのですが、今年のように酷暑で芝生が刈れている間は流石に刈るものもないので芝刈り機(lawn mower)を見ることはありませんが、少し雨が多くなってきて芝生が復活した先週には早速、芝刈りが行われ、3月に来たときに見たような芝刈りの目がうっすらと見えるようになりました。

芝刈り・植木の整頓・(特に)男性の散髪、これは皆共通しているのではないか、とハタとひらめきました。自然に生えているもについては丁寧にしかも小まめに小ぎれいにしなくてはならない、そのような暗黙の了解があるのではないでしょうか。そうやって見るとオックスフォード大学の学生や先生も頭を短く綺麗に散髪している人が多く見受けられます。

それはなぜそうしなければならないのか、と言うところまでは分かりませんが、やっと共通点までたどり着いた感じです。

(2018.9.12)

★今回の教訓:間違っているかもしれないが、自分での発見は嬉しいものだ。
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