プラハにあるシェークスピア・ブックストアに行ってきました
シェークスピアの本ももちろんあるのですが、映画に関する本から子ども向けの本、チェコ語、ドイツ語、英語の本など多種多様の本が並んでいます。新品と古本が混じっているのも面白いところです。店主の趣味が多分に反映した品揃えですが、なかなかいい趣味の選択だと思います。
店の中には至る所にソファが置いてあり、ゆっくりと本を読めるような雰囲気です。京都の三月堂書店を地階を作って、ソファを置いた感じだと思っていただくといいです。
その前に近くのカミュ博物館に行ってきたのですが、プラハは、チェコ語、ドイツ語、ユダヤ(ヘブライ語)が入り交じる混沌とした文化状況にかつてはあったようです(現在は圧倒的にチェコ語、チェコ人か?)。その文化状況がプラハの豊かな文化を形成したようです。
先日、歴史学習ではマリアテレジアとモーツアルトの関係を一緒に学ぶべきだと書きましたが、カミュの博物館をみながらそれらは「コンテクスト」「文化」と一緒に学ぶべきだといいかえてもいいように思いました。カミュはアインシュタインと同時代に生きています。同時代に生きてきた人達が互いに影響を与えながら新しい文化や新しい政治体制をつくるのだと思います。ゆえに、「同時代性」を意識した歴史認識や歴史学習の必要性を感じます。
私の好きな言葉で置き換えると「connecting the dots 的な考え方・学び方」(=遠山啓のいう「分析と総合」の総合)をどこかでしておく必要があると思います。これは英語学習においても当てはまることかもしれません。
その後、スメタナ博物館へ。あの「わが祖国」を作曲したスメタナです。昨日はお休みだったのですが、カフェに像の前も占領されて入り口もひっそりと。でもプラハ中央駅の発着のメロディーはモルダウでしたし、下記のルカルシュさんもドボルザークと並んで尊敬される作曲家だと言っておられました。
ヴルタヴァ川のほとりに立つスメタナ像と川をみながら、スメタナは「モルダウの流れ」で何を描こうとしたのか、呆然と考えていました。すると、鴨長明の「方丈記」の出だし「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。・・・住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」(の最初の部分)が浮かんできました。そうか、川の流れは変わらないように見えるけれどその間に人は移り変わり栄枯盛衰がある。これは河島英五の「いきてりゃいいさ」(加藤登紀子作詞・作曲)と同じ事を言っているのではないかと思いました。「よろこびも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐってゆくのさ」
独裁者も支配者も川の流れのように歴史の流れには盛らず、真でないものは流れ去る。そして、人の人生には限りがありいつか流れの中に消え去るのみ。だからこそ今という時間を大切に謳歌しようではないか、そんなことをスメタナはモルダウという音楽に込めたのではないか、川の声を代弁したのではないか、と思いました。
午後、時間があるので、軽い気持ちで「共産党博物館」へ行ってきたのですが、予想に反して、チェコの現在までの歴史を共産主義との関係で丁寧に描いた見事な博物館でした。第二次世界大戦終了後ナチスの代わりにソ連共産主義が導入され、それに対して1968年のプラハの春、1989年のいわゆるビロード革命を軸にチェコの歴史を描いたものでした。
その国から発祥したものでない借り物はいかに良さそうに見えても人々の心に根差すことはできず、民族の心は戦争でも占領でも鎮圧でも抑えることはできないことがよく分かる内容でした。特に、1968年のプラハの春で焼身自殺した大学生と反共産主義といレッテルのもと公教育を受けさせてもらえず、強制労働や兵役につかされていたハベル元大統領の写真や言葉には力がありました。
大統領になったあとも権力を乱用することなく、私怨に囚われることもなく、チェコの民主化に努めたハベルの姿はインド独立に貢献したガンジーの姿にも重なるものがあります。ドキュメンタリーフィルムのコーナーは結構な人が集まり中には涙を拭っている人もいました。
どうもこのチェコの淡々かつ毅然とした民主化の流れとドボルザークやスメタナの姿がダブって見えるのは拡大解釈のしすぎかもしれません。
午後は電車でプラハからドレスデンへ移動。電車のコンパートメントで一緒になったのがチェコの大学3年生のルカルシュさんと彼が途中の駅で降りるまでの1時間半くらいいろいろな話をすることができました。このコンパートメントタイプの車両は(プラハ=ドレスデン=ベルリン行きは全部がそうでした)自然とこのような話ができる雰囲気です。
おもしろかったのは、チェコ人からみると英語はあまり上手いとはいえず、シャイな人が多いとのこと。世界一シャイと言われる日本人からすると興味深いコメントでした。8才から英語、中学からフランス・ドイツ・ロシアから選択するとのことです。
おじいさんがフランスに住んでいるので、大学卒業後はフランスで仕事を探したいと言っておられました。母語はチェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、この順で自分がコミュニケーションできると思う、とのこと。こちら来てみて、チェコ語はやはり難しいと思いました。ルカルシュさん自身も母語でありながらチェコ語は難しいという認識を持っているとのことです。文字もむずかしいし、発音も難しいです。スラブ語族なのでロシア語に近いはずなんですが、ルカルシュさんに「ありがとう」をチェコ語でどう言うのか何度か聞いたのですが、別れる時にも聞き直す始末で、今に至っては全く記憶の片隅にも残っていません。
これまで、グローバルリンガフランカとしての英語について、主な配役は、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国、シンガポールまでだったと思うのですが、オックスフォードに来てから、ヨーロッパの人達、例えば学会でお会いしたスウェーデン、オーストリアの先生方や今回のチェコの人達をクローズアップする必要があるのではないかと思い始めています。
日本とのデモグラフィックな違いは沢山ありますが、母語を大切にしながら、英語や他の言語とうまく付き合っている姿は白か黒ではなく、その中間のようないい立ち位置を示してくれているように思います。
もう機会はないかもしれませんが、チェコ人、チェコ語、プラハに興味が一層湧いた旅になりました。そしてもっとドボルザークとスメタナの音楽を聞いてみたいと思います。
まだ聞いたことのない人はドボルザークの「8 Slavonic Dances, Op. 46, B.83: No. 1 in C (Presto)」を聞いてみて下さい。心が躍ります。
(2018.9.20)
★今回の教訓:チェコとドイツ(旧東ドイツ)国境を流れるエルベ川も美しかった。途中のSaxon Switzerland の山並みも素晴らしい。