オックスフォード通信(最終回)旅の終わりは旅のはじまり

いよいよ本日早朝、イギリス・ヒースロー空港・ターミルナル2より出国することとなりました

この間、多大なご支援を賜った皆様に感謝申し上げます。

まずこのような機会を与えて下さった同志社女子大学に、そしてVisiting Resarch Fellowとして招聘して頂いたオックスフォード大学R先生に、健康面のサポートを事前に入念にしてくださったS先生、F先生、私の代わりに多くの授業を担当してくださったI先生、A先生、N先生に、いつも温かくサポートして下さった英語英文学科の先生方に、事務的な面でサポートして下さった英語英文学科研究事務室の皆様に、またいわば同伴者としてこの1年、一緒に学んできたi-Seimnarの若ゼミ18期生に、そして自分のことのようにこのイギリス行きを応援して下さった若ゼミの歴代の卒業生の皆様に感謝申し上げます。私がオックスフォードに行くことによっていい刺激を受けた、と。嬉しかったです。

そして何よりもこの1年、長年勤めた仕事を断念し、一緒にイギリスに来てくれた妻に感謝します。日頃忙しくあまり話をすることが多くなかった分、毎日午後7時にはそろって一緒に夕食を食べ、いろいろな話をすることができたことは私の人生の大きな財産になったと思います。

また、オックスフォードでいろいろな場面で、まさに一期一会でしたが、出会いいろいろな話をしてくださった研究者、教授、大学院生、オックスフォード在住のイギリス人、日本人の皆様に感謝します。

考えてみると本当に多くの人の支えがあってこの1年を過ごすことができたと思っています。

不思議なことですが、オックスフォードにいて、自分自身の小学生の頃の事がふとしたときによく頭をよぎりました。昔の古い家、火事で焼けてしまう前の綾部小学校の風景。何かジグソーパズルを見るように頭にその風景が浮かび、次に新しいピースがでてきて風景が完成するという具合に。恐らくこれまでとは異なる脳の部位をこの1年間使ったので違う場所が刺激を受けたのかもしれません。

刺激というと、イギリスは丁度Brexitのついての議決が続いている真っ最中です。丁度この原稿を書いている最中に、441-105でBrexitを4/12か5/22まで延期することが決まりました。イギリスのような長い歴史を持つ国も激動の時期を迎えています。

私もこれまでとは「1mm」くらいですが、異なった発想で4月からの仕事に臨みたいと思っております。

あらためまして、この1年間「オックスフォード通信」をお読み頂いた皆様に感謝申し上げます。

この通信は一旦ここで休止符を打たせて頂き(時々、スピンオフ版も構想しております)、帰国後は、オックスフォードの視点から日本や大学、同志社女子大学、授業について書き綴ることを計画しております。

引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

若本夏美

★今回の教訓:旅の終わりは旅のはじまり(「旅芸人の記録」1979、テオ・アンゲロプロス監督)。

(2019.3.28)

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オックスフォード通信(365/00)さらばオックスフォード!

ひとは何を目指して生きるのでしょう

オックスフォードではいろいろなことについて考える機会がありました。もちろん、よく生きること、社会に貢献できるような生き方をすることは重要だと思います。でもそれ以上にその人が生きがいを感じたり、楽しいと感じたりすることが生きている中にあることが重要だと思います。

と、ここまで書いてこれもまた少し違うようにも思います。オックスフォードの中心街のコーンマーケットでほぼ一日中、ギターの弾き語りをしている方がいます。大抵ボブディランの風に吹かれて(Blowin’ in the wind)を歌っています。なかなかいい声で歌詞が心に響きます。

この歌声を聞いていると何かを目指して生きて行くことが間違っているのかもしれないと思えてきます。目標とか考えすぎると大切なものをその過程で見逃してしまうのかもしれません。

イギリスでは自分の意図と関係なく多様な生き方を目にしてきたように思います。そのような中で、強く感じるのは日本人は本当は幸せであるはずだということです。変な言い方ですが、現在の経済・社会状況を世界的にみると日本はかなり好条件の恵まれている環境にあると思います。なのに、なぜか、幸福感が漂ってこない。

それは目標を立てすぎたり、人と比較をし過ぎたりしていることもあると思いますが、何よりも、間違ったこと、それが多少であってもそこに目が行きすぎて、多少の反対のよくできていることに目が向いていない事だと思います。ひと言でいうと、日本のいいところ、同僚のいいところ、友だちのいいところ、学生のいいところ、子どものいいところ、親のいいところを見ようとしてないところに問題があるのではないかと思うようになりました。

特にテレビの影響は甚大です。ゴシップ的な内容はイギリスではほぼ取り扱われることがありません。それを得意とする新聞をのぞけば新聞でもテレビでもゴシップネタは目にすることはありません。ゴシップとは極論すればスタンダードからの逸脱だと思います。日本はその逸脱の幅が極端に狭いようにも思います。それが窮屈に思ってしまう原因なのかもしれません。

よくグローバル社会とかグローバル化と言われますが、世界と比較して日本の優れたところをもっと互いに認め合い、そこに自信をもつことこそがそのひとつの方法ではないかと思います。

いよいよ本日、オックスフォードを離れます。Before Oxford (BO) とは異なる視点をもってAfter Oxford (AO) の日々を過ごしてみたいと思っています。

このブログもオックスフォード通信 1号からこの365号まで何とか続けることができました。これも皆様の温かいご声援のおかげと感謝しております。このブログを書きながら自分で発見することも多くありました。特に、ブログを書くことよって、1日1日を大切に過ごすことができたように思います。これをひと区切りとして更なる発展の道を探ってみたいと思います。引き続きご支援賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

★今回の教訓:あらためてイギリスは奥深い国だと思う。と同時に英語も面白い研究分野であると改めて実感。

(2019.3.27)

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オックスフォード通信(364/01)研究の完成!

この1年間取り組んできた研究に一応の結論がでました

これほどひとつのことに時間をかけて取り組んだのは18年前の博士論文以来のことです。このような機会を頂いたことに感謝するとともにオックスフォード大学で共同研究者としてこの1年間、一緒に議論を重ねて下さったR先生に感謝してもしきれない想いです。

数えてみると本日のミーティングでこの1年間17回もミーティングを重ねたことになります。博士課程学生の指導やご自身の授業や学内業務で超多忙であるにも関わらず、いつも真剣かつ誠実に建設的な議論をして下さったことを幸せに思います。特に、誰に対してもフェアかつ共感的態度をもって接しておられる姿からは、私よりも年は一回り以上お若いですが、研究の中身以上に多くのことを学ばさせて頂いたと感謝しています。

研究にひと区切りが付くと、不思議なものでオックスフォードの街並みがより一層美しく迫ってくるように思いました。今日は天気も良く、春が近づいたと思えるようなポカポカ陽気でした。

帰国すると多くの仕事が待っているようです。しかし目には見えませんが大きなお土産を持って帰ることができるように思います。

豊かな知的空間であるからこそこのように研究を楽しく進めることができたのかもしれません。今度はそのような場を日本や同志社女子大学に小規模でも構築する努力をすることが私の責務だと思っています。ただあまり気負うと大抵失敗するので、1mmくらい積み上げるくらいの軽い気持ちでやってみたいと思います。

★今回の教訓:研究が線路の一本とするともう一本は、i-Seminarであったことはもちろんだ。若ゼミ18期生の真摯に学ぶすがたがあったからこそ私も研究を頑張ろうと思えた。まさに教えながら学び、学びながら教えるということだろう。

(2019.3.26)

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オックスフォード通信(363/02)Bodleian Libraries

今回のオックスフォード大学での在外研究で一番多くの時間を過ごしたのがこのボードリアン図書館です

ボードリアン図書館とはオックスフォード大学のほぼすべてのカレッジや学部にある図書館と中メインの図書館の総称です。所属していた教育学部の図書館にも随分とお世話になったのですが、特にOld LibraryとRadcliffe Cameraは多くのインスピレーションが沸いてきた場所でした。

Old Libraryにはハリーポッターの映画にも出てくるDuke Humfrey’s Reading Roomと言われる閲覧室があり主に人文系の歴史的なレファレレンスが並んでいます。ボードリアン図書館ツアーでも回るコースになっているのですが、私は最初、ここには特別の許可がないと入ることができないと思い込んでいていつも羨望の眼差しで見ていたのですが、この図書館で働いておられる日本人のMさんがたまたま受付(監視係?)をしておられる時に伺うと、私も閲覧室に入る資格があるとのことでそれからは何度も入らせて頂き、じっくりと思索させて頂くことができました。

ただ、このDuke Humfrey’s Reading Roomは特別な場所で、もともとボードリアン図書館内は全ての写真撮影は禁止なのですが、特にここは厳しい場所です。一度、あまり知らずにここを通りかかって写真を撮ったところ係員から厳しく注意を受け、写真の削除をさせられたこともありました(知りませんでした・すいません)。

またこの閲覧室に入るには(となりのWeston図書館も同様ですが)、持ち込む荷物を透明の袋に入れ替えそれ以外のカバンなどはロッカーに預けないと入ることが許可されません。ラップトップのケースも不可でコンピュータを取り出した状態でないとだめです。これは盗難防止のためだと思いますが、ロンドンの大英図書館のReading Roomも同様の措置がとられています。

しかし、このDuke Humfrey’s Reading Roomは素晴らしい場所です。ほどよく薄暗く、回りを多くの偉大な先人の絵が取り囲みます。この場にいると自分が歴史的にはほんの短い時間を生きていることを実感するとともに、知が歴史的につながっていることを感じます。

誰も物音を立てることもなく静かに豊かな時間が流れていきます。

同様のことはこのOld LibraryとGladstone Linkというトンネルでつながっているラドクリフカメラも同様です。外から見ると素晴らしい景観ですが、内部は更に一層、知の殿堂・知が産まれる所という感じがします。写真を撮ることが許されていないのでお見せできないのが残念ですが、この場で構想を練ると質の異なるアイディアが浮かんでくるのが不思議です。

入場にも退場にもIDカードでチェックをする厳重さですが、その面倒くささを乗り越えた先には豊かな空間が広がっています。日本でもこのような場所を探したいと思います。

★今回の教訓:図書館のありがたみを実感したこの1年間。日本でも図書館をもっと有効に使いたい。

(2019.3.25)

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オックスフォード通信(362/03)Movie Theatre

Green Bookという映画を観てきました

あまり期待をせず、日本に帰る前にWestgateのCruzon(映画館)で一本見て帰ろうと思っただけだったのですが、期待以上に心を静かにしかし確実に揺さぶる映画に出合うことができました。

こちらの映画館はゆったりしていて、上映前にワインやビールを飲みながら待つこともできますし、座席には小さなテーブルがついていますので、飲みながら映画を観ることもできます。このような非日常的なところからエンタテインメントが始まっているのだと思います。

私は175ml(その次は250ml)ですので一番小さなサイズのホワイトワインを注文して30分くらいロビーのソファで映画について想いをめぐらせていました。サービスだったのかかなり大目に入っていたので飲みきるのに時間がかかってしまいました。まだグラスを片手に座席までは行く度胸(?)がないので、本編が始まる時間をあらかじめ聞いていたので、その少し前に座席に着きました。

少しビックリしたのは、ほぼ一杯だったからです。今年に入ってからははじめてですが、昨年は何度もこの映画館に来ているのですが、いつもまばらで、ひどいときにはお客さんの数を数えられるくらいでした。土曜日の夕方ということもあったのかもしれませんが、さすがアカデミー賞の作品賞のインパクトは大きいようです。

割とあっさりとしたCMや映画の予告編の後(日本の映画館はやり過ぎですね、これでもか・・・というくらいいろいろなCFが入ったり上映予定の映画の予告編が多すぎたり)いよいよ始まりました。

Green Bookとはホテルのリストを載せた冊子のことで、Dr Shirley がイタリアからの移民のTonyを運転手に雇って特にアメリカ南部でのピアノトリオの演奏に回るというストーリーです。時代は1960年代ですので、黒人差別がひどく、同じレストランで食事ができないとかトイレが別になっていると理不尽なことが多くあるのですが、映画としては徐々に芽生えてくるShirleyとTonyの友情を軸にカラッと描いています。特に、一度も食べたことがなかったケンタッキーフライドチキンをTonyがShirleyに勧めるシーンは面白いところでした。イタリア系移民社会の人情深く、義理堅いところが黒人差別をものともしないところ、またどのような差別にも毅然としているShirleyにも共感できるところです。

黒人差別と正面から戦うのではなく、差別がある社会でも毅然と生きようとするShirley。それを守り抜くTonyの人間味のあるところに心が揺さぶられます。人はスローガンでなく友情で動くのだと感じ入らされる好映画に出合うことができました。

この映画は日本語も英語も字幕なしでみると、よりShirleyとTonyの言っていることが心に響くと思います。

★今回の教訓:いい映画は見終わった後にもウイスキーのように成熟していくものだ。いいものとはそういうものだろう。一時の感傷に終わらないところがいいことの証明だ。

(2019.3.24)

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オックスフォード通信(361/04)Spring Equinox

春分の日を過ぎました

いよいよ昼の時間の方が長くなります。最近では朝は6時前に白々と明るくなり、夕方も午後6時を回ってもまだ明るい状況です。2月下旬のボカボカ陽気には全然及びませんが、それでもマグノリアの花は満開ですし、イギリスの桜も咲いているところが多く見うけられます。

イギリスのように一番暗い時期には夕刻は午後3時台に日没という時期がありましたので、日が長くなることだけで何か幸せな気持ちになります。日本ではこれほど極端に昼と夜の長さが変化することはありません。これは高緯度地方独特のものだと思います。

何もしなくても日が長くなるだけで幸せな気持ちになれるというのは何か得したような感じもするのですが、それだけ冬の暗さは言葉に言い表せません。昨年4月に私来た際、9月から来ておられたT大学の先生が、冬は辛いですよ、としみじみ言っておられたことを思い出します。日本でも桜が咲くと一気に気分が高揚するのとよく似ています。ただ、日本の場合にはその気持ちは一時的なものですが、イギリスでは秋まで続く点は相違点かもしれません(その分、冬の反動は大きいですが)。

落差が激しいとそれだけ大きな感情の起伏を生み、そこから新しい文学や音楽が生まれてくるのかもしれません。

いずれにせよ、暗闇を通り越した喜びは大きいです。

いよいよ帰国の時期が迫ってきました。

★今回の教訓:帰国を前にして取り組んできた研究のまとめも佳境。仕上げて帰りたい。

(2019.3.23)

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オックスフォード通信(360/05)Queue考

イギリス人は行列が好きです

好きです、とうのは変な言い方ですが、何かあるとまず行列を作り、しかも静かに文句を言わず並びます。得意と言った方がいいかもしれません。

オックスフォードからロンドンへ行くには、最終的に、バス、しかも (Oxford) Tubeバス(X90よりも格段に安く £15で往復できる)で決まり、と思っていました。24時間走っているし、バスの中はまずまず快適です。

イギリス滞在も残り僅かとなってきましたので、本日は、資本論を書いたカールマルクスのお墓がロンドンにあるというので、これは行っておかなくてはと思い、朝一でTubeバスに乗ってロンドンに出かけています。マルクスについては機会があったから書かせて頂きたいと思います。

問題は帰りのバスです。折角なので(これが多い)いつものMarble Archからではなく、そのひとつ先のNotting Hill Gateから乗ろうと考えました。これは、乗る前にパブで一杯ビールを飲もうと思ったからです。Marble Archは名前の通り大理石の凱旋門がハイドパークの横にあるところですので、残念ながら回りに手頃なパブがありません。

いい感じのパブをNotting Hill Gateのバス停近くで見つけて、さあそろそろ帰ろうと思ったのが午後6時くらいです。すでに3-4人並んでいます。金曜日の夕方ということもあり、人出が他の曜日よりは多いのか、また時間的にも混む時間帯なのでしょうか、なかなかバスが来ません。

行列(Queue)は徐々に伸びていきます。しかし誰も文句をいうでもなくジッと列の中で立って待っています。Tubeバスは15-20分に1本と謳われていますので、そろそろ来る頃なのですが30分経ってもまだ来ません。でも誰も文句も言わずジッと並んでいます。若干私の後の2名の女性は少しブツブツ言っています。ようやくバスが来たのですが「Sorry, coach is full」との文字が。

はじめて見ました。ひょっとしたらいつもMarble Archから乗っていましたので、この表示はいくつかのバス停では出されていたのかも。

日本なら「エー」とかため息が漏れると思うのですが、文句を言う人もいません。まあ、仕方ないね、くらいです。ただ先ほどの2名の女性は頭がきれるのか、このままでは次のバスも満員で乗れないかもしれないと思ったのでしょう(実際、次のバスは5名しか乗せてもらえませんでした)、反対側のビクトリア駅行きのバスが到着すると小走りで道を横断して(危ない!)運転手に交渉して無料でバスに乗り込んでいきました(たぶんです、反対側からその様子を見ていました)。

確かにそうする方が賢いと思ったのですが、このQueue文化ではそれはCheating=ずるいことのように思いました。その二人は行列では私の後だったのですが、そのバスでMarble Arch に先回りすることによって、次のバスでは2名分の座席が足りなくなることになります(事実そうなりました)。

面白いので回りを観察していましたが、それについて文句を言う人も、それについていく人も誰もいませんでした。代わりに、私の前のカップル(私が来たときには既に並んでいた)はバスに乗れなかったことで発想を変えたのか、Queueを離れ、向かいのイタリアンのレストランに入っていきました。

更に、40分くらい経って次のバスが来たのですが、5名だけ乗れるとのこと。どうするか見ていたのですが、ここでは案外たまたまバスの乗降口の前にいた人はスルスルと乗り込んでいきます。それは違うだろうと思い、前から並んでいた女性2名に順番をゆずり、幸運にも私の番が来たのでバスの乗り込むことができました。

そのスルスルとというところでも、大声で誰かが文句を言ったりするでもなく、不満の声があがるわけでもありません。日本ならそれはズルイ!とつかみかかる所までは行かなくても叫んだり、近くの人とボソボソと言ったりすることでしょう。

淡泊なのかそれとも達観しているのか、それとも大方上手くいっていれば細かいことはいいとしようとするのか、Brexitまであと1週間となっても誰もわめいたり(MP=国会議員はどこの国でも別です)せず事の行方を見守っているように見えます。

不満というものを述べることはこの国ではあり得ないことなのでしょうか。日本とは異なる風景が広がっています。

★今回の教訓:Queueは間違いなくイギリス文化を象徴するキーワード。誰か論文を書いていないかな。少なくともイギリス人はあまり焦ったりイライラしたりはしないようだ。Queueを作ることが合理的な問題の解決方法ということなのだろう。オックスフォードに帰ってきて市内バスに乗ろうとすると長いQueueが。列の最後はどこかと探すと女性が少し離れて立っていた。Are you in Queue? Yes, of course. Queueを飛ばさなくてよかった。

(2019.3.22)

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オックスフォード通信(359/06)St. Patrick’s Day

日曜日 (3/17) になりますが、ロンドンにいましたので夕方トラファルガー広場でのSt. Patrick’s Dayのコンサートをのぞいてきました

2月に訪れてから、アイルランドに対する興味が高まっています。実際ダブリンのSt. Patrick教会は足を踏み入れることはできませんでしたが、バスでその前を通る機会がありました。

緑とクローバー、それにギネス。トラファルガー広場はお店は全部アイルランドに関係したもの、参加者は何万人という人数が集まっていましたが、St. Patrick’s Dayのコスチュームやタトゥーをしている人は思ったほど多くはありませんでした。午前中にはパレードがありましたので(見逃しています)そこではみなさん緑一色だったのでしょう。

先日のニュージーランドでの銃の乱射事件の影響もあり、入り口では念入りな荷物チェックがあり、それを終えると広場に・・・となるのですが、正午くらいからはじめったコンサート会場に到着したのが午後3時半くらいでしたので、もう下の広場は立錐の余地もないくらいの人で埋め尽くされていました。

私が見ていた時にはアイルランド出身のバンドが演奏していました。独特の哀愁を帯びたあのメロディーと子どもによるタップダンス、いいですね、アイルランドで観たコンサートの風景が頭に浮かんできました。

あのメロディーは誰にも懐かしい心の奥底に響くものがあると思います。バグパイプの演奏もありました。人を幸せにしてくれるものです。

映画で取り上げられることも多いので(Ferris Buller’s Day’s Off The Fugitive(逃亡者・ハリソンフォード)一度、実物を見てみたいと思っていましたので、コンサートではありましたが、その雰囲気に浸ることができました。

★今回の教訓:みんな笑顔と満足感にあふれた顔をしていた。音楽は(ギネスも)人に幸せを運ぶことができるものだ。

(2019.3.21)

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オックスフォード通信(358/07)Enlightment

認知言語学者として著名なスティーブン・ピンカー教授の講演会に行ってきました

スティーブン・ピンカーはハーバード大学教授でノームチョムスキーの後継者と目されている著名言語学者ですが、近著は「悟り」とも訳せる、Enlightment というタイトルの本です。たまたまBlackwell(書店)で事前に本を買っていたのでパラパラと見ていたのですが、トピックは多岐に渡り、時代も過去200-300年と遡りながら統計的データを元にして論じています。

簡単に言うと、時代と共に、人類は進化しているし、幸せになっているというものです。

講演会とは銘打ってありますが、オックスフォード大学の教授が聞き役になり、その質問にピンカー教授が答えてゆくというものでした。

人類が進化しているという点については、質疑応答のコーナーで、シリア出身という男性がそのように思えないと述べていましたが、個々人や個々の国と人類全体というレベルで議論するとその結論は異なってくるのかもしれません。

それ以上にピンカー教授が言語学からこのような、何とまとめるとよいか分からない領域に足を踏み出していることに興味を覚えます。チョムスキーが政治の領域で多くの議論をしていることとよく似ています。恐らく、これまでの領域では自分の研究課題を全て解決してしまったということなんでしょう。応用言語学者のドルネイが近年、神学で博士号を取得したこともよく似た話に8なるかもしれません。

いずれにせよ、個々人や個々の地域や国というレベルで考えるとなかなか人類の進化を実感できないのですが、統計が間違っていないとしても、また統計データの読み方が適切であるとしても、昔では考えることのできなかった悲惨な事件が多く起きていることはどう読み解けばいいのでしょう。

恐らくそれらを表す指標自体がまだないのかもしれません。また比較の対象を巨視的だけでなく近視眼的にすることも必要なんでしょう。

ただピンカー教授が主張するように、人類は悲惨な戦争や事件を乗り越えながらも、全体として進化しようとしているのは事実だと思います。それは教育の効果、インターネットによる情報の瞬時による伝達ということもありますが、根源的にはそれぞれよりよい生活を目指して努力するヒトという動物の中に埋め込まれたDNAのせいかもしれません。

教育の役割は?個々人の努力の必要は?神の存在は?などいろいろな点についていいヒントを得たと思います。

★今回の教訓:講演会のあと、サイン会があった。あれだけの世界的に著名な学者でありながら気さくにサインに応じているところに人間的魅力をみるけることができる。もちろん、並ばさせて頂きました。

(2019.3.20)

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オックスフォード通信(357/08)リチャード3世

ロンドン・グローブ座でシェークスピア劇を見てきました

とはいえ、グローブ座で公演がされているのは4月から10月までの半年のみでその他の時期はSam Wanamaker Playhouse (寄付者の名前)という室内劇場でおこなわれています。午前11時からのグローブ座のGuided Tourに参加した後、午後1時からの公演という流れで参加しました(1時間半+15分の休憩+1時間)。

グローブ座のツアーも中々興味深くその歴史から現在3代目となっている建物のいわれについても詳しく教えて頂きました。創建当時、ロンドンの人口は20万人程度、城壁で囲まれた(シティーもここから)割りと小さな範囲で、当時のテムズ川の川幅は現在よりも広く、市民は対岸に住んでいてそこから船で劇場にやってきていたようです。夜になると治安が悪くなるので演劇は昼間のマチネでおこなわれていたのことです。

ロンドンの街を歩いていて、例えばビッグベンの辺りに、住所を表す看板に、City of Westminster とあるのを不思議に思っていたのですが、以前のロンドン市の領域は説明の通りぐんと狭い地域だったため、国会議事堂のある辺りはロンドン市に含まれていなかったようです。当時の区域割りを忠実に踏襲しているのにもビックリします。

グローブ座はグランドレベルが1ペニー、上に高くなるにつれて1ペニーずつ料金が上がっていったようです。同じ場所に再建されていませんが大きさと形は同じだそうです。当時で3000人、現在のグローブ座で1500人が収容人数の上限だそうです。当時は体格も現在のように良くなく、背格好も小さかったため現在の倍の人数が入場することが出来たそうです。

見学した際、たまたま地元の中学校の演劇ワークショップの発表会が開かれていました。子どもと思えない堂々とした態度で演じているのに感銘を受けました。

リチャード3世は、暴君として好き放題していた王様が従兄弟のヘンリー4世にその座を追われ最後は殺害されるという割とシンプルな筋書き。ただ演出は凝っていました。まず役者は役柄に関係なく全員女性でした。不思議なのは見ている内に男性女性ということが全く気にならず、王様ならそのまま王様に見えてくるのが演出の妙ということなのでしょう。音楽は生演奏で要所要所で効果的な音楽を響かせていました。舞台装置は前面に竹の壁が作ってあって、イングランドやアイルランドではなくて、アフリカかアジアのどこかの場所設定のような雰囲気がでていました。本当のロウソクだけで照明効果を上げていたのも特徴的です(日本ではできないかもしれません)。

Wanamaker Playhouseはとても小さな劇場で、その割には人数は割と沢山入れるようですが、舞台と観客席がとても近いのが印象的です。

リチャード3世を2時間半見てて、王という種族ははかないものだと思いました。平家物語にも通ずるものがあります。トップの座にいるものはその時には多くの人がちやほやするのでいい気になりますが、いずれその座を追われることになります。これは王に限らずトップの座に君臨するものの定めと言ってもいいかもしれません。その座を滑り落ちたリチャード2世に人間的な側面が多く見られるのが面白いところです(王の座にいるときには王という立場にその人の人間性がのっとられているかのようです)。王と違って普通、殺されるところまではいきませんが、NISSANのゴーンさんをみているとリチャード3世と似たような運命をたどっているともいえるかもしれません。

1616年にこの世を去ったシェークスピアですが、死後400年を経てもその言葉や筋書きにハッとさせられるのは、音楽のベートーベンと同じ偉大さがあるのでしょう。

PS. 演劇には教えられることが多い。Shakespeareが “All the world is a stage” というように私達は自分の人生を演じているだけなのかもしれないと思える。映画 “About time” でも示唆されているように「2度目の経験だと思って何事にも当たると落ち着いて対処できる」と思います。人生は舞台と実は同じ事を言っていることに気づきました。何事も役者が演じているだけのことかもしれません。それが成功しようとしまいと、関係ないのです。

★今回の教訓:同志社女子大学英語英文学科の教員としてはいずれいかなくては・・・と思っていた聖地のひとつグローブ座。案内してくれたEさんも役者なのでしょう、セリフ、いや説明の言葉がハッキリと聞き取りやすいだけでなく、顔の表情も自然に作っておられた。グローブ座はインパクトがある。

(2019.3.19)

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オックスフォード通信(356/09)i-Seminar 卒業式・学位授与式

本日は若ゼミ18期生の卒業式です

本日、ご卒業の17名の皆さん、ならびに英語英文学科を卒業されるすべての学生の皆さんに心よりお祝いを申し述べます。

同志社女子大学のご卒業おめでとうございます!

ゼミのメンバーには シンプルですが、“Congratulations!” と “Well done!” という言葉しか思い浮かびません。18年間の割と長いゼミの歴史の中で私が不在というある意味では最も危機的な状況でしたが、最も成功したゼミのひとつになりました。

先日、オックスフォード大のK先生とパブでビールを飲みながら、先生にとってはパラドックスが研究の大きな鍵を握っているというお話を伺いました。パラドックスは社会学だけでなく教育の世界にも当てはまりそうです。

まさに「教師がいないことが一番いい効果を産んだ」というパラドックスが当てはまる一年だったのかもしれません。私がいない分、責任感と当事者意識をそれぞれのゼミメンバーが持つなかで、互いに協力・サポートをしながら、卒論提出という栄光のゴールを勝ち取ったのだと思います。従来の私がいて卒論を完成した場合と比較して格段にその達成感は高いものになったと思います。自己効力感だけでなく、ゼミというグループに対する集団効力感も高くなったのでしょう。

毎年思うことですが、特に今年の18期生を見ていて「若者の可能性は素晴らしい」と思います。私の好きな映画『同胞(はらから)』(山田洋次監督)の最後に演劇を招聘した村の青年部のメンバーに河野さん(倍賞千恵子)が「若者の可能性ってすごいのね。この仕事をしていていつもそう思うけど、今回特に実感したわ・・・」とつぶやくシーンがあります。まさに同じ気持ちです。

そしてこの映画で河野さんが青年部のみんなを突き放すなかで、それぞれが成長していったことを思い出します。若者は突き放してこそ成長するのかもしれません。ほったらかしでもいけませんが、過保護も成長を妨げるのかもしれません。若木は嵐に育つ、という例えもあります。困難を乗り越えたところに大きな成長が待っているのだと思います。それはこれからの人生においても同じであると思います。

18期生は教師としての集団指導のありかたについても輝かしい示唆を私に与えてくれました。教師のサガではありますが、そのように大きく成長したゼミメンバーが卒業してゆくことは喜ばしく、誇らしいことではありますが、一方で一抹の寂しさも募ります。

この若ゼミ18期生を2年間担当させて頂いたことを誇りに思います。

すばらしい学生諸姉に出会うことができました。

すばらしい2年間を一緒にすごすことができて幸せに思います。2年間のすべてのプロジェクトに意味があったと思っています。満足感で一杯です。

18期生、ひとりひとりを誇りに思っています。

「旅の終わりは新しい旅のはじまり」でもあります。涙をこらえ、笑顔で17名のゼミメンバーを同志社女子大学から送り出したいと思います。

最後になりましたが、この2年間、若ゼミ18期生をサポートしてくださった皆様に感謝申し上げます。若ゼミの卒業生のみなさん、ありがとうございました。大川写真店様にはいつも綺麗な写真を瞬時に焼き増しして頂いております。本年もありがとうございました。若ゼミ18期生の授業をこの1年日本で担当してくださったS. Kathleen Kitao教授、TAとして1年間、親身になってゼミのアシストをしてくださった加藤澪さん、ありがとうございました。そしていつも深い理解と温かいサポートしてくださったゼミメンバーのご家族の皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

そして、これからも、いつも、

Never miss an opportunity to be fabulous!

PS. 卒業記念パーティーの後半、i-SeminarらしくLINEビデオをつないでくれました。リアルタイムでお祝いをいうことができて良かったです。This is Seminar 18 signing off!

★今回の教訓:「若ゼミの2年間を終えて」というエッセイ(非公開)を17編読ませて頂いた(2月末提出)。どれも力作で涙なしには読めなかった。世界一のゼミだと思う。

(2019.3.18)

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オックスフォード通信(355/10)第九

第九というと年末のイメージがありますがそれは日本だけのようです

Royal Festival Hallで開催されたロンドン・フィルハーモニーの演奏会に出かけてきました。ロンドン・フィルハーモニーはロンドン三大オーケストラといわれています。

この一年、いろいろなことがありましたが、いわばイギリス在住の締めくくりの年末のような気持ちでこのコンサートを聴いておりました。前半のメンデルスゾーンやマックス・ブルックのバイオリン協奏曲も美しい演奏でした。特にブルックはノルウェー生まれのSonoko Weldeさんが素晴らしい独奏を披露してくれました。満席の聴衆の心をつかむ堂々とした演奏に何か勇気づけられるものを感じました。

そしてベートーベン。何度この第九を聞いたことか。その一回一回が思い出されるようでした。どの楽章も素晴らしいですが、弦と弦が重なりあるフレーズにはこころを動かされます。およそ200年前に作曲されても色あせることなく人々の心をつかむのはその音楽に美と真実が含まれているからだと思います。

と、同時にネットでもCDでもTVでも体験できる音楽になぜわざわざ足を運ぶのか、についても想いをめぐらせていました。それはおそらく、生の迫力に勝るものは無いということだと思います。生であるだけでどうなるか分からない。例えば誰かが静まりかえった場面で大きな音をたてるとその音楽が台無しになります。そのような脆弱性を抱えた生であるだけに、その場にいる全ての人がそのコンサートが成功するように協力をする必要に駆られる。にしても、その後音楽がどういう展開になるか「誰にも」分かっていないところにワクワクするのとハラハラするのが交錯して音楽に集中するのだと思います。その結末がいい形でおわれば拍手喝采となるわけです。

まさにコンサートとは誰かの一生を2時間くらいで見ているような、そのような気持ちにさせるものかもしれません。これはコンサートだけでなく一回一回の授業にも当てはまるものかもしれません。

57年の生涯でどれひとつハズレがない交響曲を9つ作曲したベートーベン。彼の音楽から学ぶことはまだまだありそうです。

★今回の教訓:生の迫力は生でしか伝わらない

PS. 隣に座っていた老夫婦。ご主人はオックスフォードで博士号を取得されたと行っておられた(1957年!)。奥様は南青山に10年住んでおられたと。互いに離婚歴のある二人は日本で出会われたそうだ。日本はとても美しい国だと絶賛しておられた。立ち上がるのが大変な状況(ご主人)でもコンサートに出かけてくることに感銘を受けた。

(2019.3.17)

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オックスフォード通信(353/12)Red Nose Day-Comic Relief

Red Nose Dayというチャリティー番組がBBCで放映されていました

日本でもチャリティー番組は例えば日本テレビなどが1年に1回おこなっていますが、BBCのような国営放送がおこなうのは異例ではないかと思います。

特に、今年の目玉は映画 “Four weddings and a funeral” (1994) から四半世紀ということでそのリユニオンのショートムービーが制作・放映されたことです。この映画は、映画 “Notting Hill” (19xx) や”About time” (201x) でも脚本を書いたCurtissの脚本によるものです。私の好きな映画の1本ですのでその続編ということで注目していました。

日本と同じでメインのプログラムはなかなか見せてくれません。午後7時からスタンバイしていたのですが、午後8時半になっても。少しうとうととしてしまったら、何と既にショートムービーの後半!しかしBBCにはiPlayerという無料のオンデマンドがあるので慌てず最初から見ることができました。

映画はヒューグラントの子どもが結婚するという設定(女性同士の結婚です)。Mr.ビーンも司祭役で登場しオリジナルと同じ言い間違えをしたりして笑いを誘います。25年経つとヒューグラントをはじめみなさん老齢の域に達している感じ。見落としがあるかもしれませんがほぼ全員が出席していたように思います。

その他はBreakfastのDan Walkerを含む登山隊がキリマンジャロに登頂したビデオなど3時間くらい(途中でテレビを消したのでもっと長かったかも)の番組も飽きずにみることができました。日本のチャリティーとはひと味違う、笑いとユーモアにあふれたチャリティー番組に仕上がっていたと思います。

★今回の教訓: “Four weddings and a funeral”は丁度私が同志社に着任の年。この映画と同じだけの年月を大学で過ごしたことに感無量。

(2019.3.15)

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オックスフォード通信(350/15)チャペルサービス

昨日の日曜日、University College のSt. Mary Chapel の礼拝に参加してきました

10時半から1時間くらいの礼拝でしたが、イギリス国教会の礼拝の進め方はどこもよく似ていて参会者も聖書の一節を一緒に声に出す参加型になっています。私はクリスチャンではないのですが、聖書の一節を読んでいると自然と自分の考え方が狭かったり、もう少し広い視点から物事を見なければいけないという気持ちになるので不思議です。

奨励(preacher)ではFacebookなどに時間を奪われるのではなく人生を豊かに生きるために時間を使おうと呼びかけられていました。言っておられることはそれほど驚くべき事ではないのですが、歴史ある教会でお話を聞くと自然とうなずきたくなります。

気候や天気も重要ですが、「場」も重要だと思います。昨日は天気が劇的にコロコロと変化する日でした。雨が降っているかと思えば、爽やかな青空が広がり、一転、雹が降ってきたり(雹が頭に当たって痛かった)、雪がチラホラでなく本降りになったりと一日の間にいろいろな季節を実感したような日でした。

そのような中、教会には太陽の陰が美しく照らし出され(この写真には映っていませんが)、人生の神秘を自然と感じるようになります。ヴェネチアでもそうでしたが、教会の存在は観光だけでなく、人の生き方に大きな影響を与えていると思います。むしろ、人の生き方と寄り添ったところに教会があるのかもしれません。京都、詩仙堂の軒に「生と死は重要なり」という看板がかかっているのを思い出すのですが、教会とは要は「生と死」に関わるものだと思います。そして人として生きてゆく限りこの2つの縛りから誰しも逃れることができません。だからこそよい人生を生きようと思うのだと思います。

私は高校時代、東寺の境内に建てられた寮に住み、その高校に通っていましたが、仏教もキリスト教も神道も生と死という1点においては同じだと思います。

メメントモリ(死を思え)という言葉がありますが、人は限界を認識する際、より残りの時間を大切に生きようと努力するのかもしれません。

★今回の教訓:来訪者がある度にオックスフォードの名所を一緒に回った。回る度によい発見があるのがその街の成熟度ということなのだろう。長い歴史の中では一人の人間の存在は点にすぎないがその点が大きな光を放つこともある。

(2019.3.12)

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オックスフォード通信(337/28)豊かな大学生活

ラドクリフカメラの前にあるBrasenose Collegeの中庭を散策しました

Witch’s shot も少し和らいできたので(くしゃみはダメです、先ほど気をつけてしたのですがかなり元に戻った感じがします)、日頃お世話になっている ラドクリフカメラの前にあるBrasenose College の校門をくぐってみました。

オックスフォード大学はオックスフォード大学というカレッジはなく(ダブリンのトリニティーカレッジは違う)38あるカレッジの集合体をオックスフォード大学と称しています。私は教育学部の所属でカレッジには所属していないのですが、オックスフォード大学のIDでどのカレッジにも足を踏み入れることができます。

今週は2月としては史上最高の気温と天気予報が報じるくらいの温かい日差しが緑の芝生に注ぎ込んでいます。Brasenose College の中は外の喧噪とは別世界で中庭で学生が本を読んだりラップトップをいじったりしています。また談笑している学生も見うけられます。もちろん真ん中には正方形(長方形)の芝生が。

このような豊かな環境は健全な考えも育むだろうなあ、としみじみ思います。壁には大きな日時計も。時間がゆっくりと豊かに流れているように思います。ここからみるラドクリフカメラはまた一段と学問の偉大さを誇示しているようにも見えます。

★今回の教訓:伝統とは時間を緩やかに流すことかもしれない。世の流行とか一時的な喧噪に時間と気を取られることなく、人生や学問の本質に目を向けるようにすることこそ伝統の良さだろう。オックスフォードは学生にその伝統に向き合うようにうまく住環境と学問環境を整えている。その意味では京都にある大学にはいい条件がそろっていると思う。

(2019.2.27)

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オックスフォード通信(335/30)オックスフォードが世界一である理由(12)

何度目かになりますがクライストチャーチカレッジを訪問しました

来訪者がある度にこのクライストチャーチカレッジをご案内してきましたが(恐らくこれが最後かも)、その中で必ず行くのがダイニングルームです。映画ハリーポッターの食堂のモデルになったところで、一歩足を踏み入れるとハリーポッターの世界に入ったような、時空間を超える感覚に陥ります。

クライストチャーチカレッジのダイニングでは食事をしたことがないのですが、Keble College, Waddahm College, Linacre College, Kellog Collegeでは朝食や昼食、夕食を頂く経験が何度かありました。昼食は外で食べることがあっても、朝夕をこのカレッジで食べる特に学部生は恵まれていると思います。カレッジの中に住んでいることが(少し離れたところにドーミトリーを持っているカレッジも多くあります)学業に直結していると思います。

日本語でも寝食を共にするということばがありますが、特にご飯を一緒に食べる意味は大きいと思います。ただ食べるだけでなく、食べながらいろいろな話をします。それが日常的にあるわけです。

日本の大学でもコンパをすると(最近では飲み会ということもありますがあまりこのこの言葉は好きではありません)一気に学生同士の中が良くなるのを感じます。教員でもそうです。これはお酒が入っていなくても、ご飯を食べるというところから変な緊張感が薄れるからだと思います。また食べることについてはそれぞれが面白い経験やクセを持っているので話すとっかかりが何かあるのが特徴だと思います。

私の所属する大学の学科でも3年前から新入生オリエンテーションを宿泊型に変えて、一泊二日で京都市内の宿に泊まって研修を行ってきました。それが学業にどう直結したのかというと数字ではまだ表しにくいところがあるのですが、学生同士が自然といろいろな話をする機会を多く持っているのを目撃してきました。それ以上に笑顔をよく目にします。

食べながらコミュニケーションする、これは洋の東西を問わず、真理だと思います。オックスフォードも正直なところ面倒くさいことをやっていると思いますが、かたくなにこの伝統を守っているところに世界一の秘訣があるのだと思います。

学びはとってつけたような議論の上に成り立つのではなくて、ご飯を一緒に食べたり、飲んだりしながら、それぞれの生活体験の上に少しずつ根付いてくるものではないかと思います。映画マトリックスのような知識の注入はあり得ないのでしょう。

面倒くさいことが実は大事なのだと、クライストチャーチカレッジを散策しながら感じていました。

★今回の教訓:効率主義を100%否定するわけではないが、回り道のようなことが実は大事なのだと思う。日本で近年流行のアクティブラーニングも実際、学生を巻き込んだ議論という面倒な作業が中心だ。でも議論を巻き起こすための方法を教室内だけで探しても難しいかもしれない。オックスフォードのように寝食を共にすることには実は大事な意味が含まれている。

(2019.2.25)

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オックスフォード通信(334/31)ゼロのゼロはゼロ

グリニッジ天文台(Greenwich observatory)に行ってきました

世界標準時の基準となっている場所として小学校の頃に習ってから一度その場所を訪れてみたいと思っていた願いが叶いました。天気もイギリスに来てから最高と行っていいくらいの快晴かつ小春日和で、テムズクリッパー(mbna thamnes clippers)というボートに乗っていても(ロンドンアイからグリニッジまで約50分のテムズ河の船旅です。といっても途中から猛烈なスピードで飛ばすのでモーターボートに乗っているような感じです)に乗っているときも、グリニッジの船着き場から天文台までの散歩道もとても気持ちのいいものでした。

頂上まで約10分くらい。天文台は小高丘の上にあります。この丘からはロンドン市内を一望することができます。願わくはタワーブリッジなどがみえるといいのですが、ロンドン東部のビル群やコンサート会場のO2など。でも絶景には間違いありません。

そして、東経西経を分ける世界標準時の線。もっと長いものかと思っていたのですが、案外短いもの。列を(queue)を作るなと注意書きに書いてあるのですがどうしても一番前で写真を取りたいもの。後を見るとかなりのキューができています。線上に乗るか、東西に足をまたぐか、いずれにしてもこの小さな天文台が世界の基準時を作っているのだと思うと感慨深いものがあります。ここでもイギリスは自分達の基準を世界の基準としているのです。

日本標準時の明石天文台との違いは標準時の時計がないこと。係員に聞いてみたのですが、あるとしたら入り口にある24時間時計くらいのものらしいです。そこには、1 yard, I feet, 1 inchの基準の長さが鉄で提示してありました。これはイギリスの基準の長さというものなのでしょう。

どこからどこまでが西で東かという基準も時間をどこをゼロとするかも、はじめに作ったからそうなったわけで、別の基準があっても言い訳です。自分自身も含めてその基準となった場所を見に行こうとするわけですから不思議なものです。グリニッジでなくてもロシアでもインドでも中国でも良かったわけでそこには合理的な理由は全くありません。逆に、任意にある場所を決めたということはすごいことだと思います。またそれを信用させる仕組みも。

大正解と大不正解はコインの裏表なのだな、ということが、いい天気に照らされながら、頭の中を巡っていました。

★今回の教訓: 基準になった場所を見に行くのは大事なことだ。そこには何もないことが分かるから。

(2019.2.24)

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オックスフォード通信(331/34)食わず嫌い

ロンドン・コベントガーデンにあるアップルストアでのできごと

ロンドンにはいくつかアップルストアがあるのですが(例えばリージェントストリートのものが一番大きいと思います)、このコベントガーデンにあるアップルストアはイギリスに来て一番最初に訪れた「アップル」ストアです。しばらく改修工事になっていましたが、久々にコベントガーデンに来たので立ち寄ってみました。

このコベントガーデンは地下鉄の駅が地中かなり深いところにあって、プラットホームと地上は通常のエスカレーターではなくて5機から6機あるリフト(エレベーター)で結ばれています。よほどのことがない限り階段は使うなと書いてあります。感覚ですが、おそらく地下6階分くらいはあるのではないでしょうか。といっても、リフトは一方通行で出入りで乗客が交差することはありません。

このコベントガーデンがすごいのは大道芸人がいつも集まっていて、来る度におおお、と思うようなパフォーマンスに出会うことができます(今回はよくあるジッとしていて時々動くというものがすごかった。どうやっているのか、地上から浮いているように見えました)。

さて、アップルストア。マニアに入るのでしょうね、そのサガからか、訪れる街々でアップルストアはないかと探してしまいます(残念ながらブリュッセルでは少し離れていたため、ダブリンにはなかったため行けなかった)。改装後のストアに入ってみると、パリのアップルストアとよく似たつくりになっていることに気づきます。というよりも世界中のアップルストアを同一の規格で設計しているのでしょう。今どこのアップルストアにいるの?という錯覚に陥ります(日本に帰国したら、京都にできたというアップルストアを訪問するのが楽しみです)。

一通りまわって、見たものの置いてある製品は同じものなので、Gから2Fまで割りと速くまわってしまい、珍しく時間が余ってしまいました。中央ホールでは毎回いろいろなワークショップを行っているようですが、今回は Garage Band でした。通常、この手の音楽についてのワークショップやソフトは無関係と思っているので避けるのですが、何しろ丁度30分くらい時間があったので、座って、一緒にワークショップに参加してみることにしました。

新型のiPadとBeatsの格好いいヘッドホンをお借りして、軽佻な会話のインストーラと一緒にリズムを作ることに。Beats ははじめからiPadやマックにインストールされているので名前はよく知っていたのですが、使うのははじめて。

敷居が高いとおもっていたのです。今回のワークショップの参加者の80%は子ども達。しかも、6才~10才くらいの小学生です。彼ら彼女達と一緒に講師の言うとおりに、バンドのボタンを押してゆきます。基本的には4択なので難しくはないのですが、他の楽器との組み合わせによって複雑なリズムをあっという間に作ることが出来ました。ビックリ。やればできるものですね。これは大学の授業でも使えそうです。どうやら食わず嫌いだったようです。

それ以上にビックリしたのは、完成披露会。録音をして作成したリズムを全体に紹介するのですが、誰も手を上げなかったら自作をお聴かせしようと意欲満々で待っていたのですが(かなり自信があった)、子ども達の積極的なこと。ほぼ全員の子どもが、シェアしたいと、手を上げたと思います。これはおそらく日本ではないだろうなと思いました。彼らの作ったリズムはさすが21世紀少年少女、乗りのいい綺麗なものでした。これは発表を譲っておいてよかったな、と思いました。

★今回の教訓:やってみると楽しいことは一杯ある。そしてやってみると出来るものだ。大学教育にどう生かせるか?

(2019.2.21)

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オックスフォード通信(329/36)Trinity College

ダブリンの中心部にあるのがトリニティーカレッジです

本日はここである用事をさせていただきました。Corkというアイルランドの南部のUCC (University College Cork) のC先生、トリニティーカレッジのJ先生と一緒です。朝の8時にホテルでC先生と待ち合わせて、J先生のオフィスへ。お昼ご飯を含めると午後2時半くらいまでですから半日以上、いろいろなお話をさせて頂きながら用事を済まさせて頂きました。

今回のアイルランド訪問の目的がこの用事だったので、いい形で済ませることができて達成感につつまれる幸せを味わうことが出来ました。それ以上にトリニティーカレッジの大学院生のNさんの割れんばかりの笑顔を見ることができて嬉しい気持ちになりました。

J先生いわくトリニティーカレッジはケンブリッジのようなカレッジを沢山作ってUniversityを形成する予定だったのが、ひとつに終わってしまったので、Trinity College, The Univerity of DublinとUniversityも付けたとのこと。

学期中ということもあるのですが、オックスフォードと異なりひとつのキャンパスに全学生が集まっているので学生で賑わっているという感じの活気のある雰囲気でした。またラップトップであちらこちらで思い思いに研究している学生のすがたを目の当たりにしました。そんなに行儀がいいわけではないのですが、これぞアカデミックという感じです。

お昼は大学専任教員(フェロー)専用の食堂でランチ(本日のスープ、ベークド・サーモン、ブリュレ、白ワイン)を頂いたのですが、内部は豪華な作りで本格的レストランという雰囲気です。サーモンはこれまで見た中で最大級の大きさ。面白いのはC先生やJ先生は話をしている時はもちろん食べないのですが、ターンテーキングで話が他に移ると猛烈なスピードで食べるところです。例えば、C先生は私と同じサーモンだったのですが、先ほどまで私の方が沢山食べていたのですが(そうやってカウントできるほど大きいサーモン!)私が話をしている時に一気に食べたのか、気がつくと、抜かされていました。緩急の付け方がうまい。

話をするときと食べるとき、それぞれ集中して事にあたる感じです。

話が戻りますが、活気のある大学はいいとおもいます。日本のように化粧したり綺麗な服を着飾ったりしている女子大学生の数は少ないですが、それぞれが生き生きとしているのでとても魅力的に見えます。男子学生も同じです。ひと言で言うと、大学生活に夢中になって取り組んでいる、また取り組むことがあるということです。服装や化粧を気にすることと大学生活に夢中になることはトレードオフ(Trade-Off)の関係にあるのでしょうか。

夕方は、有名なThe Temple Barでギネスをもう一杯とオイスターを半ダース頂き、帰路に就きました(折角、3日間有効のリープカードを買ったのに、空港行きの700系統のバスが来ない!諦めて757を待っていたら、あと3mi=>2min=>1min=>dueとなってさあ、と思っても来ない。しばらくすると電光掲示板から757の数字が消えた。えええ、と思って暫く待ったものの飛行機に乗り遅れては・・・と思いタクシーに。ところがタクシーに乗っていると、バス専用レーンを後から走ってきた757系統のバスに抜かされていました。アイルランドは大好きですが、交通機関関係はイギリス同様、あまり好きになれません)。

帰りのヒースロー空港では、ようし、パスポートにBRP (Biometric residence permits) を出す気満々で到着したのですが、あろうことか、BRPどころかパスポートコントロールもない始末。準備がなかなか報われません。

★今回の教訓:達成感は生きがいに重要。活気も大学に必要。

(2019.2.19)

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オックスフォード通信(318/47)カレッジランチ

オックスフォードの博士課程で研究をしておられるNさんにLinacre Collegeのランチにご招待し頂きました

 オックスフォードは珍しく台風までは行きませんが風が強く雨も横殴りという感じでしたが、お昼に教育学部前で待ち合わせて、カレッジパークを横切り、リネカーカレッジまで10分程度です。

到着したときにはカレッジの学生がシャッターが開くのをキューを作って待っていました。Nさんがおっしゃる通り、リネカーカレッジの料理はとても美味しくお昼にこのような栄養たっぷりの食事が取れるのはカレッジの特権だと思います。私は学部の所属のみでこのような機会でないとカレッジの中に入ることがありませんのでとても貴重な経験です(春には同じカレッジのディナーにH先生にご招待頂いています)。

 私はビーフの煮付けにまるごとのポテト、アップルケーキを頂いたのですが、レストランと同じレベルのとてもいい味付けです(Nさんはツナステーキ)。その後はラウンジでコーヒーを頂きました。

 大学生活の基盤となるカレッジ。やはりオックスフォードは学ぶ環境をうまく調整している大学だと再認識しました。

★今回の教訓:支払いは学生証で(Nさんご馳走さまでした)。システムが上手く出来上がっている。同志社女子大学のカフェテリアに比べてメニューは少ないけれど不満はない。日本の大学もメニューをもっと絞ってその分、質の向上に力を注ぐ方がいいかもしれない。

 (2019.2.8)

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