オックスフォード通信(350/15)チャペルサービス

昨日の日曜日、University College のSt. Mary Chapel の礼拝に参加してきました

10時半から1時間くらいの礼拝でしたが、イギリス国教会の礼拝の進め方はどこもよく似ていて参会者も聖書の一節を一緒に声に出す参加型になっています。私はクリスチャンではないのですが、聖書の一節を読んでいると自然と自分の考え方が狭かったり、もう少し広い視点から物事を見なければいけないという気持ちになるので不思議です。

奨励(preacher)ではFacebookなどに時間を奪われるのではなく人生を豊かに生きるために時間を使おうと呼びかけられていました。言っておられることはそれほど驚くべき事ではないのですが、歴史ある教会でお話を聞くと自然とうなずきたくなります。

気候や天気も重要ですが、「場」も重要だと思います。昨日は天気が劇的にコロコロと変化する日でした。雨が降っているかと思えば、爽やかな青空が広がり、一転、雹が降ってきたり(雹が頭に当たって痛かった)、雪がチラホラでなく本降りになったりと一日の間にいろいろな季節を実感したような日でした。

そのような中、教会には太陽の陰が美しく照らし出され(この写真には映っていませんが)、人生の神秘を自然と感じるようになります。ヴェネチアでもそうでしたが、教会の存在は観光だけでなく、人の生き方に大きな影響を与えていると思います。むしろ、人の生き方と寄り添ったところに教会があるのかもしれません。京都、詩仙堂の軒に「生と死は重要なり」という看板がかかっているのを思い出すのですが、教会とは要は「生と死」に関わるものだと思います。そして人として生きてゆく限りこの2つの縛りから誰しも逃れることができません。だからこそよい人生を生きようと思うのだと思います。

私は高校時代、東寺の境内に建てられた寮に住み、その高校に通っていましたが、仏教もキリスト教も神道も生と死という1点においては同じだと思います。

メメントモリ(死を思え)という言葉がありますが、人は限界を認識する際、より残りの時間を大切に生きようと努力するのかもしれません。

★今回の教訓:来訪者がある度にオックスフォードの名所を一緒に回った。回る度によい発見があるのがその街の成熟度ということなのだろう。長い歴史の中では一人の人間の存在は点にすぎないがその点が大きな光を放つこともある。

(2019.3.12)

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「私が大学時代に考えていたこと、今の大学生に思うこと」

一昨年8月末に大学時代の友達4名と久々に会う機会がありました。大学を卒業して今年で32年経ちますが会うとそれぞれ年は取って大いに変わっているはずなのに「全然変わってない」と互いに思ってしまいました。高校時代の友人も中学時代の友人もそれぞれ大切ですが、私にとっては大学時代の友人がその中でも格別の思いがあります。なぜ大学時代の友人は、大学時代は格別の思いがあるのでしょうか。今日は短い時間ですがそのことを一緒に考えてみたいと思います。

私もみなさんと同じようにこの京都の地で大学生活を送っていました。大学の3回生、4回生の2年間は寺町今出川ですからこの同志社女子大学今出川キャンパスから徒歩で5分くらいの至近距離に住んでいてこのあたりでご飯を食べたり喫茶店でコーヒーを飲んだりしていました。

今のみなさんを見ていると男女の違いはあるものの昔と今も変わらないものがいくつもあるように思います。もっとも昔は携帯電話がありませんでしたし、インターネットもパソコンもありませんでしたので、情報を検索したり友達と連絡を取るのは大変だったのは大きな違いです。

▼みなさんにひとつ質問があります。みなさんにとって大切なこと又は気になることを10個あげてみてください。サークル、アルバイト、片思いの恋人、コンパ(飲み会)、旅行、映画、授業、卒論、就職、そして心に秘めた悩み。この心に秘めた悩みというのは後から述べることにしておいて、どうでしょう、何個くらい一致したでしょう。 多分わたしの大学時代と半分以上一致するのではないでしょうか。

私の大学時代サークルは4つ同時にはいっていました。その中で一番時間を割いたのがテニスサークルかもしれません。これをいうともう二度と宗教部から奨励に呼んででもらえなくなるかもしれませんが、テニスサークルは正式名称、アトランティス、現在の通称アトランというサークルに入っていました。この名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。ひょっとしたら現在入ってらっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。現在もこのサークルは京大を中心に脈々と活動を続けていて2年前に創立30周年記念パーティがあり参加してきましたがその中には同志社女子大学で教えている学生の方もいてビックリしたのを覚えています。1期生なんです。といっても私が参加したのはアトランティスの原型が出来上がってサークル名を決める頃、1回生の秋くらいでした。高校時代の友人がその中核のメンバーで誘われた形で入れてもらいました。当時は(今は必ずしもそうではないようですが)よくテニスをしていました。荒神口に関西電力のいいコートがあって週に2回くらい汗を流し、夏には山中湖や軽井沢まで出かけて合宿をしたりしていました。コンパは時々で、明るく汗を流し、青春を謳歌していたように思います。

アルバイトもみなさんが現在アルバイトに励んでいるように、私も様々なアルバイトを経験しました。家庭教師を2-3件を掛け持ち、引っ越し屋さんの臨時の手伝いから北白川にある写真屋さんの焼き増しの手伝いこれは3年間ずっとしていました、時にはウナギやさんの注文聞き、また京都国際会議場で当時行われた国際学会のアシスタントをしたこともあります。このようなアルバイトによって普段見ることのできない世界をかいま見たおもいがします。

▼しかし、大学時代を振り返って印象に残ること、思い出に残ることは、このようないわば「かたちあるもの」だけではありません。今お話をしたサークルやアルバイトは形として残っているため話もしやすいし、話をしていて楽しいですが、これら以上に重要な事は、実は心に秘めた悩みだったのかもしれません。この心に秘めた悩みというのは大学生にとって大切なもので人間は死ぬまで悩みが消えませんが大学時代の悩みというのは格別です。当時はあまりはっきりと意識はしていませんでしたが、ずっと考えていたのは「どうやって生きていこうか」ということだったと思います。別の言い方をすると将来に対する不安と期待といえるかもしれません。教育学部に在籍していましたので将来は先生になる人も結構いましたが、必ずしもそうとも決まっていませんでした。丁度英語英文学科の学生のみなさんが将来必ず英語を使う仕事につくとは限らないこととよく似ています。

Appleコンピュータを創設したSteve Jobsは、大学を中退して初めて自分が何に興味があるかはっきり自覚したと、スタンフォード大学の卒業式の式辞で述べていますが、実は自分自身が何に興味があるのかと考えるのは、哲学的な言い方をするなら自分とは何者なのか、何者になろうとしているのか模索することなのかもしれません。

その疑問というか悩みの解決又はさらに輪をかけて迷走させてくれたのが友人との無駄話、ダベりだったと思います。当時学部の地下に学部生や大学院生が集まる場所があって授業に出なくても必ずそこに行って友人を探していたように思います。何を話していたかすっかり忘れてしまいましたが、そこで話していたことは偉そうに言うと少なくとも大学の授業2年間分くらいの価値があったように思います。京都大学の名物教授であった数学者森毅先生は「人生、無駄にこそ意味がある」と喝破されましたが、ひょっとしたら無駄な時間だったのかもしれません。ただ正直に真面目に今考えてみると、その友人や先輩とのダベりの中には無駄な話も多かったのですが、人生とは何かとか、男女に愛は成立するかとか、神は存在するのか、遺伝と教育はどちらが優勢かとか、日本社会はどうあるべきか、そして私たちはいかに生きるか、という深遠な話が少し含まれていたように思います。そしてそれ以上に重要であると今から思うのは、授業と異なり、「自分の口から話がスタートしていたこと」です。授業でのディスカッションはトピックが先生から与えられたり、先生の質問に反応することが多いのですが、自分から話を始めることの価値は大きいと思います。

▼先の森先生は著書の中で「20年前の自分は他人だと思えばいい。それぞれが新しい人生なのだから、昔の人生にこだわらなくてもいい」とおっしゃっておられますが、今ある自分を作ったのは大学時代の友人との何の話か分からない無駄話だったように思います。

もうすぐ大学生活を終えようという4回生からこれから佳境に入っていかれる1回生まで様々な皆さんですが、大学時代とは授業にどれだけ真面目に出たとか優や秀をいくつ集めたかということも重要ですが、それだけでなく、友人と、しかもいろいろな友人と、たわいもなく思える話を存分にしておくことが重要であるように思います。その中から自分がいかに未熟で物事を知らないかということも思い知ることもできると思います。そのような中から実は何に興味があって、自分は何がしたいのか発見できるのかもしれません。これからやってくる就職、結婚、という人生の大きな選択だけでなく、大学卒業後の人生にも生きるのではないか、と思います。

みなさんにも大学を卒業して30年経っても大学時代、大学時代の友人を懐かしく思える時間を過ごしていただきたいと念願しています。難しいことはありません。今日からすぐに始めることができると思います。よきサマリア人はみなさんのすぐそばにいます。

最後に敬愛する森毅先生の至言で締めくくりたいと思います「自分の一生を考えてみた時、だぶん7割くらいはムダに過ごしてきた気がする。それが人生の流れであった・そしてムダなようであってもその流れが自分の人生を特に自分にとっての人生の味を作ってきたような気がする」

(2015.1.7 同志社女子大学 栄光館 ファウラーチャペルでの奨励)

2013年新島先生墓前礼拝奨励

「志を立てるとき」(高い志)

何事にもはじめてというものがあります。みなさんも大学に入学されてたくさんの初めてを経験されていることと思います。私達教職員も昔そのような初めてを沢山経験しました。私が同志社の教員になったのは今からもう19年前のことになります。昨日英語英文学科のEクラスのみなさんと話をしていて、19年前というのは1994年、すなわちここにいらっしゃる多くの皆さんが生まれた年にあたることに気づいて感慨深く思っていました。

はじめて同志社に来た時、いくつもびっくりすることがありました。大学が同志社でなかったので、もちろん礼拝も新鮮でした。その中でも一番インパクトのあったのは「入社式」です。教員の世界では「辞令交付式」というのですが、封書で頂いた案内文書にそのまま入社式と書いてあったのです。何かの冗談かタイプミスだろうとおもって会場に行きますと、建物の外の看板に大きく同志社入社式と書いてり、たまげました。なぜ入社式というのかというその理由を当時、総長であった松山義則先生が教えて下さいました。同志社というのは字の如く、同じ志をもったものの集まりであると、その集まりを「社」という。その集まりに入るから入「社」式であると。同志社はユニークな大学であるとその時思いました。

しばらくすると職員証をいただきました。みなさんも学生証をもらいましたね。みなさんの呼び名も成長と共に変わっています。幼稚園時代は園児、小学校は児童、中高等学校は生徒、生徒会とか生徒手帳でした。大学になるとみなさんは学生なので、学生証、学生会となります。これは私の職員証なのですが、見えないと思うので、拡大コピーして持ってきましたので見て頂きたいのですが、「社員証」と書いてあります。会社員みたいですが、もうわかりました。同志社の社員なのです。同じ志をもったものの集まりの一員であるという意味です。本当に同志社は特別な大学だと思いました。

同志社は今から138年前にこのお墓に眠っている、新島襄先生、山本覚馬先生、宣教師デービス先生の3名によって作られました。

では、なぜ今私達はこの3名を含め同志社に貢献のあった先生方の墓地に集まっているのでしょうか。私は日本・海外・通信教育を含め、4つの異なる大学を卒業・修了していますが、新入生がこのように創立者のお墓にそろって参拝するというような大学は世界のどこを探してもこの同志社の他にはありません。

その理由は、同志社を作った新島先生の夢を知り、確認するためだと思います。では新島先生の夢とは何でしょうか?入学式で総長の大谷先生は「良心を手腕に発揮することができる若者をつくること」だとおしゃられていますが、私はひと言で言うと「夢」をもった若者を作ることだと思っています。夢を持った若者とはどのような人かというと、何かをしたいという志を持った人だと思います。

みなさんが夢を持った、志を持った若者になること、これこそが新島先生の夢であります。みなさんが夢のある志のある若者になったとき、新島先生の夢は叶うのです。そのために今日私達はこの場にいるわけです。

みなさん、どの時代も実は閉塞感があり困難な時代でした。今だけではありません。私が大学を卒業して就職する際にも就職氷河期といわれ就職は厳しい時代でした。どのような困難な時代でも、状況でも、人間は夢を持つことが出来るのです。

夢のあるところに道は開けます。志のあるところに風は吹きます。

どうぞみなさん高い志を掲げ、その志を理解してくれる友人を沢山つくり、一歩一歩、その夢を実現してゆきましょう。

志を立てる、夢を見つけるのは、いつでしょう?もちろん、「今でしょう!」

どうぞ同志社をつくった三人の先生、八重先生のお墓に手を合わせてお帰り下さい。

(2013年4月5日、京都若王子山頂、新島襄先生墓前にて)

幻の2012新島先生墓前礼拝奨励(雨のため午後から中止)

日本に世界にどれだけの数の大学があるかわかりませんが、同志社は特別な大学だと思います。その中でも同志社は際立っています。スペシャルな大学です。何がスペシャルなのか。お話は7分以内といわれていますので、短時間ですが、その理由を一緒に考えてみたいと思います。

▼建物。
確かに同志社の建物は美しいです。私はいくつかの大学で学んだり、教えてきていますが、今出川及び京田辺とも、同志社の建物は最上級に上品で環境との調和が取れています。赤煉瓦調の外観は私達にほっとするような気持ちを与えてくれます。でも同志社は、建物だけじゃないのです。

▼じゃあ、場所か、と思います。
確かに、場所もまた二つのキャンパスとも素晴らしい環境にあります。京都は、古都でありながらロームやオムロン、京セラ、任天堂を産んだ革新性を持っています。歴史を持ちながら未来に開かれている。このような場所はなかなかないと思います。そして歴史に関しては、想像力を働かせるととても面白い。みなさん、少し考えてみてください。弘法大師、平清盛、法然、親鸞、足利義満、はたまた坂本龍馬に新島襄、彼らはすべて教科書に載っている歴史上の人物ですが、この京都では単なる教科書上の人物ではありません。実際に彼らはこの京都の地に暮らしていたのです。京都の町を歩いていたのです。ひょっとするとこの場所にもそれらの人物が来たかもしれません。歴史的人物は単なる書物上の人物ではなくて、ここ京都では彼らはまだ生きています。その意味では京都は単なる観光だけでなく「歴史を変えてきた」場所であり、そのような地に同志社が100年以上もある。これは大きいことです。京都で学ぶというのは、未来と過去に想像力を働かせる、ことを意味します。でも同志社は場所だけでもないのです。


建物だけじゃない。また、場所だけでない、とすると同志社の凄いところは一体なになのでしょう?
それは、入学式から繰り返し繰り返しいろいろな話の中で取り上げられてきた新島襄先生の生き方そのものにあると思います。創立者はどの大学にもいます。しかし同志社の創立者新島襄先生はひと味も二味も変わったユニークさを持っています。命がけなのです。まさに命をかけてこの同志社をつくったのです。丁度みなさんと同じ年の頃、1860年、18才の時に黒船を見て、西欧の進んだ科学文明にショックを受けます。それから4年後の22才の時、1864年に函館から密出国してアメリカ、ボストンにわたります。そして32才、1874年に帰国するまでの10年間、アーモスト大学やアンドーヴァ神学校で学び、翌1875年、33才の時に同志社大学の前身の同志社英学校を、翌1876年に同志社女子大学の前身の同志社女学校を開校することになるわけです。そして46才という若さで亡くなってしまいます。

何が、新島先生を国禁を犯してまで、命をかけてアメリカへ駆り立てたのか?何が、命を削ってまで京都にキリスト教主義の大学を設立しようとしたのか。

それは、先生の夢の実現のためです。先生の夢は「一国の良心というもいうべき人々をつくろう」「そのことによってこの日本という国を発展させよう」というものでした。新島先生は(同志社)大学設立の旨意(しい)の中で「1年単位の計ならお米をつくればよい、10年単位で何かを計画実行しようとすれば木を植えればよい、でも100年単位で何かを計画実行しようとすれば人を育成しなくてはならない」と述べておられます。同志社は新島先生の「良心を持った人物を育成したい」という夢と志が詰まった場所なのです。その意味では同志社で学ぶみなさんは、新島先生の夢そのものなのです。

そしてこの創立者墓参はそのような新島先生の志と夢を認識し、同時に自分自身の夢を再確認する場なのです。みなさんの中には自分の夢が何か分からないという人もたくさんいると思います。それは自然なことです。新島先生もきっと同様であったとと思います。黒船を見てから密出国するまでの4年間は丁度皆さんの年、18才から22才、大学の1回生~4回生に当たります。その4年間に先生もいろいろなことを考え、悶々とした日々をすごされたことと思います。悩むこと、迷うことは自然です。でも、大学生となったからには自分の夢を探そうとする態度は重要であると思います。

夢のある人は夢を実現できるように気持ちを新たにする、自分の夢がはっきりと分からない人は自分の夢とは何だろう、この大学4年間で実現してみたいことは何だろうと考え始める。それでいいと思います。夢を持つこと、又は持とうとすることこそが「志を立てる」ことだと思います。


新島先生は、時代の先駆者、パイオニアです。そして、私達にもそうなるように語りかけておられるように思います。みなさん、聞こえませんか?新島先生の声が。「夢を大切にしろ、自分の直感を信じろ、先駆者になれ」とお墓の中から語りかけてくれているように思えて成りません。私は、同志社で学ぶとは、単に京都という素晴らしい場所で美しい校舎の大学で学ぶだけでなく、同志社の、新島先生のパイオニア精神を理解して、いわば「同志社な人」になろうとすることだと思います。同志社とは目に見える大学そのものではなくて、目には見えない生き方なのです。新島先生の精神が今も息づく美しい学園同志社で、いろいろなことを学びながら、一緒に同志社な人になりませんか。夢を探し、夢を持って一緒にそれぞれの夢を実現させましょう。夢を探し、夢を持ち、悶々としながらも、その夢を実現しようとする。これこそが、同志社なひとだと思います。一緒に同志社な人になりましょう。

(2012.4.5)

若き日に薔薇を摘め

「薔薇を摘むと、棘(とげ)、がささるから血が出る。でも若い人はすぐに治るのだから怖がらずに何にでも手をだせ。たくさん経験をしてたくさん苦しんだ方が死 ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃ、貧相な人生しか送れませんわよ」。これは僧侶であり作家である、瀬戸内寂聴さんが語った言 葉として先日の朝日新聞に掲載されていました。「若き日に薔薇を摘め」。いいことばです。

いまみなさんは、まさにこの若き日を生きていらっしゃいます。そしてみなさんに比べれば多少年は取りましたが、私もまた、この若き日を生きているつもりです。

この大学という場所はそのような若き情熱の溢れる場所であります。

さ まざまな行事や出来事のあったこの秋学期及び2004年度の授業も今日で終了となります。あとは定期テストを残すのみとなり、1-3回生のみなさんは楽し みにしていらっしゃる春休みが待っているわけです。特に3回生のみなさんにとっては、これから就職活動、教員採用試験の勉強またはさらに大学院受験など、 これからが今後のみなさんの人生を占う重要な時期となります。一方、4回生のみなさんにとってはこの新島記念講堂における礼拝は今日が最後となります。大 学の卒業、卒業式が視野に入ってきました。時間の経つのは経ってしまうと早いものです。

今日のお話の主人公はこの大学のあるゼミの4回生達です。

か つて私が大学生であったころのように全員に課されるわけではありませんが、卒業論文に取り組んでいる4回生はこの大学でも数多くいます。日本語日本文学科 のように全員が書かなければいけない学科もあります。そのある学科のあるゼミでも23名の4回生が卒業論文という大きなプロジェクトに取り組みました。

こ の卒業論文で最も困難を極めるのが、「何について書くか?」卒論のテーマを決定することです。なぜ、大変かと言えば、それはひとりひとり顔や性格が違うよ うに、各自が興味を持っていることが異なるからです。これはその本人にしか決められないことです。これは、よく言うのですが、卒論の書き方は教えられて も、何について卒論を書くのか?これだけは教えることはできません。

卒論 のテーマは、別名、 研究テーマ、問題の所在とか、解決すべき問題、私の問題意識などと表現されますが、英語にはこれをあらわすいい言葉があります。私は大学院生の2回生の時 に、現在はハワイ大学で応用言語学を教えている、J.D. Brown博士から直接教えてもらいはじめて知りました。Research Questionsです。Research Question、私の大学院時代に学んだなかで最も重要な概念の一つです。世の中には多くの疑問があります。どうして空は青いの?どうして、人は人を好 きになるの?どれも大切な疑問、 Questionです。その中でも自分の研究分野に関して抱いている疑問、解決すべき疑問が、Research Questionです。かつて算数教育の研究をしていた私の大学時代の Research Questionは「分数のわり算をするときにはどうして分子と分母をひっくり返してかけるの?」というものでした。実にくだらなく、実に素晴らしい Research Questionです。他人から見たらくだらなく思えるでしょう。でも、私にはこの礼拝の15分間では語りきれなくらい、この Research Questionが重要である理由がありました。

こ のあるゼミの学生23名の卒論にとっても、この Research Questionを発見すること、確立することが最も困難を極めた作業でした。1週間に1-2本の英語論文をゼミで読み討議し、担当教員からは「そのテー マではまだまだ広すぎる、感想文にしかならない」と極評され、スタディーグループでも互いの Research Questionを議論しあいました。一体どれだけの時間をこの Research Questionを発見するために費やしたことでしょう。就職活動、教育実習、アルバイト、クラブ、サークルなどに時間をとられながらも 7月には、47名の他のゼミのメンバーとポスターセッションを開き、自分の Research Questionを発表する段階にまでたどり着きました。相談にのっていたゼミの担当教員も各自の Research Questionが明確になるについて、目を輝かせ自信を持って話ができるようになっていく23名がまぶしく感じられるほどでした。ここで卒論のテーマと して掲げられた問いはそれぞれの23名のこれまでの人生、または今後の人生に関わる問いであるだけに もうこの時点でこの卒論プロジェクトは半分成功したようなものでした。

こ のあるゼミでは、卒論とは直接関係がないように思えることにも果敢にチャレンジしてきました。時に無謀と思えることにもトライしてきました。10月のス ポーツフェスティバルへの模擬店の出店、競技への参加、春、夏、そしてこれから行われる冬の年3回の合宿。そしてそのうちの一つは他のゼミとの合同合宿で した。合宿委員はプログラム内容に苦心していました。ハンガリーの大学生のゲストスピーカーとしてのゼミへの参加、3-4回生の間での学習サポート、ゼミ ホームページの作成、ゼミTシャツ、スウェット、ゼミベストCDの制作、台風被害にあった友人へのサポート、卒論に向けて11月後半からほぼ毎週土曜日の ミニ合宿、名物になった合宿の際のローソンへの買出し(本当にいっぱい買いました)、体育館での3-4回生合同のスポーツ大会。総計50回を越えるゼミ運 営委員会。運営委員は本当に縁の下の力持ちとしてゼミを支えてくれました。そして教員に頼らないゼミの自主運営、と数え上げるとキリのないくらい数多くの 小プロジェクトがありました。そのなかには、笑いがありました。真剣な討議がありました。大粒のなみだもありました。ゼミが危機に瀕したこともありまし た。決して平坦な道のりではなく、決してすべてが成功したわけではなかったけれど、彼女たち23名はそれらのプロジェクトを通して2つの大きな財産を得た と思っています。

ひとつは、「なんでもやってみよう」とするチャレンジ、 いやパイオニア精神です。イラクで殺害された香田さんの例を引き合いに出すまでもなく、時にこれは状況を誤ると悲劇を招くこともあります。この境目には微 妙なものがありますが、そのような危険性を承知しながらも私は、果敢にチャレンジする気持ちは生きていく上でとても重要であると思います。この大学を創立 された新島襄先生も当時の国禁を犯して、ワイルドローバー号にてアメリカボストンに渡られました。新島先生21才の時、ちょうど現在のみなさんと同じくら いの年の頃であります。当時日本に根付いていなかったキリスト教主義教育を建学の精神として掲げるこの同志社は、いわばそのパイオニア精神によって支えら れている大学といっても過言ではないと思います。この同志社でさまざまな活動に時間を費やし、情熱を傾けられたこのゼミのみなさんのパイオニア精神はその 意味でも大いに賞賛されるべきことだと思います。そしてこのパイオニア精神の重要性を認識すること、これはこの大学で教え、学ぶものにとってとても重要な ことです。

もう ひとつは、グループによる学習や、互いの生の意見がぶつかりある中で、友情が培われたことです。友情というと古くさい、何か青臭いもののように聞こえるか もしれませんが、友情そして友人こそがこの大学生活の中で得るべき最も重要なものの一つだと私は考えています。シラバスには コースの目的として書かれてありませんが、共に同じ教室で1年、または2年学ぶ中で是非ともこの友情をコースの参加者の中に芽生えさせたいものです。この ゼミの中にも多くの友情が芽生えたと思います。ただ、友情は目に見えません。目に見えないだけに、友情を信じない人には友情が芽生えていることに気づくこ とがないのです。サンテクジュペリは、『星の王子様』という本のなかで「本当に大切なものは目に見えない」、と言っていますが、この大学を卒業した後も、 23名全員が目には見えないこの大切な友情を大切にしていただきたいと思っています。

卒 業論文がひとつのプロジェクトとすると、大学の4年間もそしてゼミもまたひとつのプロジェクトです。プロジェクトにはかならず終わりがあります。これが何 かの努力目標や取り組みとの大きな違いです。23名のあるゼミのプロジェクトももうすぐピリオドが打たれる時が来ようとしています。

23名のあるゼミでも、卒業論文を全員が提出をし、そしてポスターセッションの時と同様に明日25日に総勢70名で「第二回卒業論文発表会」でそのプロジェクトを完成させようとしています。

私 は、彼女たち23名のこれまでの情熱溢れる活動をみながら、これこそ「青春」ということばがピッタリ当てはまるのではないかと思っていました。図らずもそ のゼミの卒論キャッチフレーズは、今日のお話のタイトルにもなっている「青春謳歌」であります。これは青春謳歌とかいて青春バンザイと読むと彼女たちが決 めました。青春バンザイ、実にすがすがしく若者らしい、そしてこの同志社にピッタリの言葉だと思います。

新 島先生の永眠記念日、すなわち命日はちょうど昨日23日でした。先生は、遺言の中で、「同志社においては__不羈(てきとうふき)なる書生=信念と独立心 にとみ才気があって常軌では律しがたい学生を、圧迫することなく、その本性に従いこれを順導し以て天下の人物を養成すべき事」と述べておられます。

まさに、パイオニア精神をもってさまざまな可能性にチャレンジする学生こそこの同志社を創建された新島先生の意思にあうことなのではないでしょうか。

い い先輩のもとにいい後輩が育つ。これはそのゼミのある4回生が掲示板に書き込んだ言葉です。正鵠を射た言葉です。さらに付け足すなら、新島襄先生の建学の 精神が息づくこの伝統のある大学だからこそ素晴らしい若者が育つと。今後、このあるゼミの23名の卒業していく先輩の姿をみながらこのようなすばらしい精 神が、今後この大学で学ぶ後輩に受け継がれ、さらに確固としたものとして根付くことを祈ってやみません。

若き日に薔薇を摘め

「大学時代怖がらずに何にでも手をだしてみよう。たくさん経験をしてたくさん苦しんだ方が大学を卒業するときに、ああよいい大学時代だったと思えるでしょう。逃げていたんじゃ、貧相な大学生活しか送れません」。

若き日に薔薇を摘め

青春バンザイ、同志社バンザイ、2004年度バンザイ 、そして青春バンザイ。

(2005年1月24日、新島記念講堂における2004年度最終礼拝より)

(2005. 1. 24)

10年後の祖母からの返信

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(コリントの信徒への手紙 II: 4章18)。

祖母が他界して今年で10年。もう子どもたちの誰もが帰る可能性がなくなってしまったということで、広島にあった家を処分することになった。父からすると、故郷を長らく離れていたとはいえ、心のふるさとがなくなってしまうことに寂寥の思いだったにちがいない。数年に1回程度訪れる場所ではあったが、寂しさがこみ上げてくる。

思い返せば、広島郊外の祖父母の家をはじめて訪れたのは、小学3年の時だった。当時、山陽新幹線もなく、わくわくしながら呉線回りの「特急しおじ」に乗って行ったこと、五右衛門風呂のフタに乗り損ねて熱かったこと、原爆資料館のショックがあまりに大きく眠れなかったこと、宮島で穴子弁当を食べすぎてお腹をこわしたこと、など鮮明な記憶が蘇ってくる。

ハワイ生まれで満州鉄道の駅長をしていた祖父が、いつも優しい眼差しを私達に向けていたのに比べ、祖母は厳しかった。朝から晩まで畑仕事に精を出し、凛として、孫である私達を甘やかしたり、優しい言葉をかけることはなかった。「そんなことしとったら、つまらん」、「しっかり、がんばんなさい」、というのが明治生まれの祖母の口癖だった。

祖母の家の片付けを終えた父と久々に会った際、ひと包みの封筒を手渡された。中を見た私は、しばらく言葉を失った。そこには、ことある毎に祖母に送った20年分の手紙や絵はがき、年賀状がおさめられていた。祖母からの年賀状は印刷のもので、手紙を送っても音沙汰がなかったので、祖母は私達にあまり興味がないのかとも思っていた。

手紙の束は、大学入学後の私の人生の記録のようであった。浪人の末の大学合格、就職、一人暮らし、中学の教師の頃、結婚、大学院への進学、子どもの誕生、初めての学会発表、七五三、小学校入学、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ。口には出さなかったものの、祖母は、遠く広島の地で私達の成長を見守っていた。死後10年も経ってからそれに気づくとは、まだまだ修行が足りない。見守るとはこのようなことかもしれない。

すぐに結果や見返りを探す風潮があるが、愛情とはこのように、再確認することのないもの、なのかもしれない。考えてみると、どれだけ多くの人の愛情を受けて成長してきたのかと思う。受ける側が成長しないと、本当の愛情には気づけない。(Yonge)

(2009年11月、同志社女子大学宗教部Chapel News 11月号に掲載)

(2009. 11.)

Projectを立ち上げよう

おはようございます。

先ほど読んでいただいた聖書の箇所及び本日歌っていただいた賛美歌の共通点は何でしょうか?

本年度お招きいただき何度か卒業生の方の結婚式に参加させていただいたのですが、実は結婚式で判を押したように歌われ・読まれるのが今日の賛美歌・聖書の箇所なのです。

私自身の結婚式は20年前になりますが、冠婚葬祭でもお葬式と異なり結婚式には何度お招きいただいても晴れやかで同時に新しい人生の門出の初々しさと希望を感じることができて、こちらまで嬉しい気持ちになります。

5月に東京で卒業生のにほさんという方が結婚されました。その際、私は、スピーチを依頼されて彼女が卒業時に書いたエッセイの一節を引用しました。いいエッセイなので少しご紹介してみようと思います。

卒 業論文を書き終えた今、安堵の気持ちと少し寂しい気持ちです。去年の4月から卒論を意識し始め、7月にポスターセッションで発表するために少しずつテーマ を固めていき、本腰を入れて書き始めたのが11月下旬から12月22日でした。この数ヶ月間ご飯を食べていても喉に骨がひっかかったような感じで、寝てい る時も、卒論の夢を見るくらい追い詰められていたりして、提出日までの1ヶ月位は特に気が休まる時がなく大変でした。

ですが、今思うと卒 業論文を書いている時が大学生活で一番楽しい時を過ごすことが出来たと思います。このような貴重な時間を過ごすことが出来て、私達は本当に幸せな学生だと 思います。卒論をするためにコンピュータ室に行けば必ずゼミ生がいて机を並べて卒論に没頭したり、卒論に疲れてC458の研究室に行くと、いつも誰かが居 て、みんなで励ましあったり、行き詰まって悩んでいたりする人がいれば、みんなが適確なアドバイスをくれたりと常に一人でやっているのではなくて22人全 員でやっているのだという気持ちを本当に感じることが出来たと思います。

そして卒業論文というものを通して、私は新たな発見をすることが 出来ました。それは、この私が卒論を書くことが出来たということです。私は、英語が得意ではありません。そんな私でも29ページもの論文を書き上げること が出来たというのは、自分でも本当にびっくりしています。私が2回生の時に先輩の卒論発表会で先輩の卒業論文を見た時に、私には絶対に書けないと思ってい た私でしたが、今の私は12月22日17:00までに卒論を書き上げて提出したのです。根拠のない自信が私の中に生まれたような気がしています。

大学でゼミに入り、2年間勉強し卒業論文を書くということは、自分の可能性を試し、チャレンジできるすばらしい物であると思います。

彼女のこのエッセイを読みながらあらためて、今は東京で暮らすにほさんですが、すばらしい大学生活を送ったなあと思います。

それは正直、卒論でなくてもいいのです。

自分で何かに真剣に取り組むものを見つけること、または友人とともに一緒になって真剣に取り組むものを見つけることが重要なのです。

私 は正直言って、授業に全部出ていても、にほさんのように「自分で真剣に取り組んでみようと思うものを見つけられなければ」大学生活の価値はそれほどないと 思っています。考えてみてください。みなさんは、もうすでに「いい大人」です。20年近く生きてきて、そろそろ「自分で何か行動を起こして」何かに取り組 んでみる、ということができなければ、これからの人生で主体的な生き方ができるでしょうか?いくら知識を身につけていても、それを自ら主体的に生かしてゆ くことができなければ宝の持ち腐れと言われてしまうかもしれません。

そんなにたいしたことでなくてもいいのです。自分一人でしなくてもいいのです。友達と一緒にやってみればいいのです。

昨 年、私のゼミの学生のみなさんが、フラダンスをEVEで踊りました。正直びっくりしましたが、同時にとてもうれしくなりました。自分たちで考えて自分たち で行動を起こしたからです。でもまったく何もないところから、EVEの舞台に主演するところまで練習をし、衣装をそろえる、考えてみると数多くのすべきこ とがあったはずです。それを例えば仮に先生がこうしなさいといってしまうと効率よくできてしまうかもしれないけれど、それでは何も残らないと思います。価 値があるのは、EVEで上手に踊ることよりもむしろ自分たちの力でその舞台に立とうとすることだと思うのです。その試行錯誤、膨大な無駄に思える時間、実 はそれこそが、その後のみなさんの糧となり力となるものだと思います。

昨年度ノーベル物理学賞を受賞された京都大学名誉教授の益川先生は、著書の中で「自分自身の大学時代に最も良かったことは、友人とあーでもない、こーでもないと議論したこと、ディスカッションしたことだ」と書いておられます。私もそう思います。

大学時代に重要なのは、お金とか効率とか、資格をとることよりもむしろ、いかに回り道にみえても自分たちで議論をしながら何かを追求してゆくことだと思います。

そのためにも、自分で、友人と何かの「プロジェクト」を立ち上げてみましょう。どんな小さなことでも、どれほどばかばかしくみえることでもいいです。

フ ラダンスを踊った彼女たちは今年に入って、大阪府豊中市の小学校で英語を教えるプロジェクトをはじめています。STEPと名付けられたこのプロジェクトは 私が橋渡しをしたものではありますが、リーダーを中心に教える内容を考え、教材の準備や段取り、そして実際に教室で教えはじめています。果たしてこの後ど うなるのか、私にもわかりません。でも、何かのプロジェクトをかかえて、何かに取り組んでいる限り、卒業論文というプロジェクトを完成させたにほさんのよ うに、必ずやって良かったという気持ち、根拠のない自信というものを得ることができるのだと思います。それは仮に失敗した場合においても、必ずその失敗は 将来につながるのです。

私の敬愛する、アップルコンピュータCEOのスティーブジョブズは2005年のスタンフォード大学の卒業式で次のように述べています。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

「何がどこにつながるか、人は先んじて知ることはできない。しかしだからこそ、どこかにつながることを信じて、何かに真摯に打ち込むべきだ」と。

もちろん、身を危険にさらすことはしてよいわけではなく、よく考えてから行動はしなければなりません。

大切なのは、自分で、友達と、自分たちで考えて、何かをやってみることなのです。

2009年度春学期の授業も本日で終了します。春に学んだことを振り返りながら、夏休みに「My Project」を立ち上げてみませんか?

すこし人生の見方が変わってくると思います。

秋学期、また元気な姿でお会いしましょう。

(2009年7月29日、今出川キャンパス栄光館にて奨励)

(2009. 7. 29)

2013年の私へ

(草稿メモです)
4月1日、あなたはどこでなにをしていましたか?
翌日の入学式を前に、家元を離れて、ひとり電車にのり、京都を目指していた人
ご家族と食事をしていたひと
御世話になった高校の先生の人事異動を新聞で知って複雑な重いに駆られていた人
エイプリルフールで面白い嘘で友達を楽しませていた人
大学生活を前に、わくわく、どきどきしていた人

府立医大の話
元気でいることに対する感謝の気持ち
親子の話:親子の絆の強さ
自分の子ども(高校生)の事を思い出した。どのような気持ちで子どもを育ててきたか。また、自分自身が自分の親からどのように愛情を注いで育てていただいたか、思いを馳せた。
支えてくれている人がどれだけの数いることか?
500万円の話(玉田先生)
と同時に、「親の言うとおりの人生」を歩むことも問題かもしれない。精神的にも、経済的にも、自立しなければならない。大学とは、支えてくれる人に感謝をしつつ、同時に親から自立できるような力をつけなければならない。

では、大学における学力はどうやってつけてゆくのか?
学力がなければ人から尊敬されない。一流の学生になってほしい(大谷総長)
土台、岩の上に積み上げてゆこう(杉野)
ダイアローグが基本(Teele学長)
大学においては、「学力」はそれほど問題にならない。
何でもやってみようと思うー意欲
恥ずかしいと思うかもしれないけれど前に出る-静かな勇気
自分の気持ちを大切にする-こころざし

大学は人生の中で光り輝く時期
コヘレトの言葉にあるように
全てのことには定められたときがある
大学は、学ぶ時、議論する時、本を読む時、旅に出る時、英語能力を飛躍的に伸ばす時、恋をする時、失恋をする時、友達を増やす時、アルバイトやクラブ・サークルに参加する時
将来について考える時、親や家族の支えに感謝する時、自立する時、世界で通用する日本人になる時

しめくくりに
同志社は、良心を手腕に社会で活躍する人物の育成を目標としています。
ただ、あまり従順でいい人になってもいけないように思います。良心を手腕にちょっと生意気に生きてみることが大切かもしれない。権威や常識に挑戦する元気がなければいけないように思います。
大学は知識を吸収するだけの場ではありません。
情報の収集方法
分析方法
ものの考え方、生き方
知識やスキルは先生から学ぶことができますが、ものの考え方・生き方は、必ずしもそうとはいえません。
友達から学ぼう。
伝統から学ぼう。
そして新しい歴史を新しい時代を一緒につくっていきましょう。
2013年、みなさんはどのような自分になっているのでしょうか?みなさんのほんの少しの心がけで、みなさんの4年後は大きく変化すると思います。みなさんの4年間に大いなる期待をしています。共に、月曜日から一緒にこの新しいキャンパスで一歩一歩頑張っていきましょう。

(2009年4月4日、英語英文学科新入生オリエンテーション閉会礼拝にて奨励)

(2009. 4. 4)

コロンブスの卵たち

四月のある日、英語英文学科のあるゼミのお話です。4年生のそのゼミでは、卒業研究のテーマを見つけようと、いろんな議論をしていました。リサーチクエスチョン (Research Question)という言葉がありますが、問題設定をすることはとても難しいことです。きっと現在、日本のまたは世界の大学4年生は、自分たちの卒業研究のテーマを何にしようかと悩んでいる時期ではないかと思います。例えば、有名な言語学者であるマサチューセッツ工科大学教授ノーム・チョムスキーのリサーチクエスチョンは「どうして人は教えられなくても、母語を話すことができるのか」です。至極当たり前のようなクエスチョンなのですが、その「問い」自体を見つけることは実はとても難しいことです。

その日のゼミでは、「どうしたらそのような新たな問いの発見が出来るのか」という話をしていました。ゼミ担当者である私は期することがありまして、朝自宅の冷蔵庫から生卵をこっそりとゼミに持って行きました。生ですので、どこかで割れないかと少し冷や冷やしましたが、4講時目無事に教室へ持って行けました。

私はおもむろにポケットからその生卵を取り出して、ゼミメンバーに「どうしたらこの卵を立てることができると思いますか?」と問いかけました。

みなさんは、今日のタイトルになっている「コロンブスの卵」という話を聞いたことがあるでしょう。アメリカ大陸を発見したコロンブスが「どうしたら、卵が立つのか?」と問いかけると、聴衆は「そんなのは無理だ」と一笑に付します。しかし、コロンブスは「それは簡単」と言い放ち、卵のカドをコンコンと叩いて、くぼみを付けて立てたという話です。私は、その話は知っていたのですが、実際やったことがなかったので、「やってみよう」と、ゼミでその話をしながらやってみようと思ったのです。

ゼミのメンバーはキラキラした眼を輝かせて私の話を聞いていましたが、リナさんという方が、「私がやってみます」と前に出て卵をこんこんとたたきはじめました。感動しましたねえ。コロンブスはきっと、コンコンと見えるようなくぼみをつけて立てたと思うのですが、リナさんはほんの少しだけ、くぼみをつけるというか、角を取って立てました。傍から見ると完全な卵と区別がつかないくらい、きちんと机の上に立っていました。「コロンブスの卵」の逸話は本当だったのですね。ゼミメンバーも予想以上にびっくりしていたようでした。やっぱり、実際に、些細なことでもやってみると意外な発見がある、ということはあるのですね。

実際、ほんの少しの違いなんですが、ちょっとやってみると全然違う世界が広がるということは、卒業研究やリサーチクエスチョン以外にも様々なところに存在します。そして、そのコロンブスの卵的なおもしろい発想、おもしろい取り組みというのは実は同志社女子大学のあらゆるところで行われています。今日はそのような、おもしろい取り組みを3つ紹介したいと思います。

一番目の話。2月のある日、英語英文学科4年生の方が「今年、教員採用試験を受けるのだが、どうしよう。」と話をしていました。大抵おもしろい話というのはディスカッションの中で生まれてくることが多いのですが、「どうしたらいいかな、採用試験難しいな」という話をしていると、ある人が「みんなで集まって勉強したらいいやん」と、単純な発想なんですがそんなことを言いました。それはおもしろいということで、話はとんとん拍子にまとまりまして「教員採用試験本気組」という変わった名前のグループが出来上がり、2月から教員採用試験に向けて勉強しています。人数が増えたり、減ったりするということはありますが、3年生も含めて約10名の学生が教員採用試験に向けて、週一回くらいのペースで集まったり、または春休みなど集まれないときはインターネットなどを使いながら、勉強しています。私もある程度、効果はあるだろうなと思っていたのですが実際にやってみると、効果絶大です。勉強そのものというよりはむしろお互いが刺激しあい発奮し、意欲が向上しているように思います。そのような参加者の気持ちの変化というものが見えて、おもしろい気がします。現在では、金曜日の5時間目に知徳館C271の部屋に集まって、最終の専門科目、英語の勉強をしていますが、この本気組の取り組みもある意味でちょっとした話から「コロンブスの卵的」に広がってきた大きな取り組みなのかもしれません。

二番目の話。今日、この場所に西村仁志先生も来ていらっしゃいますが、リトリートでも活躍された三田果菜さんという方から、3日ほど前にお手紙をいただきました。彼女はリトリートや英語英文学科のさまざまな行事で活躍されて、卒業記念パーティーの実行委員長もされていました。彼女は現在、同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースという難しい名前の学科で勉強されていますが、手紙を見てびっくりしました。ネイルアートと町屋をくっつけて新たなイベントを立ち上げ、しかもそれがAll Aboutというインターネットの有名なサイトで紹介されて、記事になりインタビューされたので、ぜひ見てほしいというお手紙でした。さっそくそのページを見ると、従来の発想とは全く違う新たな大学院での学びといいますか、研究の姿というものを見せていただき、すごいなと思いました。しかし、すごいなと思う一方で、そのきっかけというのはほんのちょっとした何か発想の転換だとか、こんなことしたらおもしろいんじゃないかという西村先生やゼミ生とのディスカッションで起きてきたのではないかと思います。結果としては非常に素晴らしいものですが、出始めというのはそういうものです。

三番目の話。6月11日に英語英文学科では、生協とタイアップをして辞書のワークショップをしようということになりました。電子辞書を生協でたくさん売っているが、本当の使い方を分かっているのだろうかという話を、生協の方と話をしたのがきっかけです。その日、なんとかならないかなと話をしていたのですが、ひょんなことからワークショップをしたらいいんじゃないか。だったら、メーカーのカシオにも声をかけて一緒にやろうと、とんとん拍子に進みまして、実際にカシオ電算機株式会社後援という形で、電子辞書をどのようにして英語学習に使うのかというワークショップをすることに発展しました。

これらは、結果としては、うまく行っているようですが、始まりというのはほんのちょっとしたきっかけであり、コロンブスが卵の角をコンコンと叩いたような、そういうところから全てが起きているような気がします。今、聞いていらっしゃるみなさんは、そんな当たり前ではないか。そんなことやっても仕方がないじゃないかと思われるかもしれませんが、最初のやってみるかどうかの小さな違いこそが後々大きな違いを生んでくるというものではないかと思っています。

この、コロンブスの卵というのは、本当か嘘か、実は後から作ったのではないかという話もあります。コロンブスはみなさんご存知のように、アメリカ大陸を発見した(いやコロンブスがネイティブアメリカンに発見されたという見方もあるが)のですが、ある人が「そんなん、西に行ったら必ず見つかるよ。ヨーロッパから西へ、西へ行けば、アメリカがあると。誰だって出来るよ。」と言いました。するとコロンブスは「でもその誰でもできる簡単なことをみなさんは思いつかなかったじゃないか、いや思いついていてもしなかったではないか。じゃあ試しにこの卵を立ててごらん」と言ったそうです。世の中というのはある意味では当たり前、やってみたら誰でもできることが溢れています。みなさんの研究、私の研究を含めて、全て当たり前のことかもしれません。ただ、その当たり前ことを不思議に思って、実際にやってみるかどうか。そこが大きな分かれ目ではないかという気がします。

その日のゼミは、英文科のゼミなので英語で “A little difference makes a big difference”、すなわち、小さな違いが後々大きな違いを生むという言葉で締めくくりました。私も40数年間生きてきて、このほんのちょっとした違いというのが、人生において大きな変化を生むということを実感しています。

今、そのゼミでは、大学一、日本一といわずに世界一のゼミを目指そうということであらゆる取り組み、一見しょうもないと言われるようなものも含めてやろうとしています。私は、そのような一見当たり前、一見しょうもない取り組みの中から必ず、すばらしいもの、後から考えるとすごいといわれるような発見や結果が生まれると信じています。世界一のゼミを目指そうという気持ちでみんながやっている限り、必ず世界一のゼミになれると私は信じています。また、この大学においても日本一といわずに、世界一の大学になろうとみなさんが思って、いろんなことに取り組み、参加していくと必ず、世界一の大学になれるのではないかと思います。

今日のタイトルは「コロンブスの卵たち」になっています。実は、卵はたくさんあると思います。最初は小さな卵ですが、みなさんが一緒に考えてディスカッションし、試行錯誤していく中で本当に大きな卵になっていくと思います。私も含めて一緒にコロンブスの卵を見つけたいと思っています。

(2008年5月14日、京田辺キャンパス 新島記念講堂、5月26日 今出川栄光館にて奨励)

(2008. 5. 14)

私達はわすれない

先週の金曜日、駅で電車を待っていると、一人の若い女性がにニコッと、わらって走り寄ってこられました。今から、5年前、英語英文学科を卒業されたIさんでした。5年の間にIさんは、一層美しく成長されていたので、学生時代の彼女だと一致するのに何秒かかかりましたが、英語の教職課程で熱心に学んでおられた当時のIさんの姿がすぐに思い出されました。

Iさんは現在京都のある有名銀行に勤務しているとのことなのですが、亀岡駅から彼女が降りる二条までの間の25分間、さまざまな話をしてくれました。

5年間の間に、支店を一度転勤になり、現在は西陣支店にいること、最初の2年間は仕事になれるのに大変だったこと、2つのお店では、ずいぶんお客さんの印象が異なり、現在勤務する西陣支店は昔ながらの京都というお客さんが多いこと、5年間の間に、いろいろな部署をまわり冷や汗をかきながらもいい経験を積んでいること、30才を前にしてそろそろ結婚もしたい、そしてもっと経験も積みながらキャリアアップもしたいこと、できればMBAなど大学院にも行ってみたいことなど、喜々として彼女の現在の仕事、将来への展望を語ってくれました。

と、同時に、大学時代の事についても話がおよびました。友人達の話、小学校で教師をしているKさんのこと、大学院を卒業した同じイニシャルのKさんのこと、旅行代理店で働いているTさんのこと、ゴールデンウイークにその一人が結婚すること、また、その式に久々に友人達が集まること、そして大学時代のゼミや授業のこと。

彼女は大学時代、この春、英語英文学科をご退職になった、清水宏先生のもとで、中世ルネッサンスについての研究をしていました。私は、カナダからの在外研究から帰ってきた年でゼミもなく、彼女たちがゼミのみんなでイタリアへ行こう!と、計画をしていたのをうらやましく眺めていました。そのときの彼女達の盛り上がりは大変なもので、一人10万円近くの旅行資金を着々とため、清水先生を含め20名近くのゼミ生がイタリアへ行く寸前まで旅行の具体的な計画を作り上げていました。結果的に旅行は、個々人で行く事となったのですが、その時の顛末をまるで昨日のことのように喜々として話してくれました。当時は2週間でしたが、教育実習についても話はおよび、いつどのような授業をした、ホームルームでこのような話をした、など、緊張しながらもある意味では、教育実習が忘れることのできない大学時代最高の経験だった、とIさんは語っていました。

彼女は最後に、「確かに当時は多少大変とおもったかもしれなかったけれど、自分の好きな勉強を好きなだけできる、こんな楽しいことはなかった、私には大学時代からうすうすわかっていたけれど、この大学時代こそが人生でもっとも楽しい時代だっとおもう」、と言って電車を降りてゆきました。

彼女を見送りながら、Iさんは本当にいい大学時代を過ごしたのだなあ、また、大学時代っていうのは本当にいい時代なのだなとあらためて、思いました。

しかし、いま、この新島記念講堂にいらっしゃるみなさんには、ひょっとしたこのことは実感できないかもしれません。就職活動、教育実習、日々の授業やプレゼンテーションの準備、山のような課題に追われ、中には恋の悩みを抱え、将来についての漠然とした不安を抱いている人も数多くいるでしょう。

しかし、それにもかかわらずこの4年間の大学時代は、学びの集大成の時期であり、人生のスポットライトのあたる最高の時期のひとつであると思います。悩みや苦しみはあるでしょうが、それは明日の未来への準備であり、多く悩んだ人ほど、将来光り輝く人生が待っていると私は信じています。

今日、4月25日は、この同志社にとっては特別な日です。人の死は、年齢に関係なく、悲しいものです。しかし、2年前のJR福知山線の事故でなくなった107名の人達に思いを馳せる時、悲しみはことばでは語ることはできません。特に、多くの若者、特に高校生や大学生が亡くなっています。龍谷大学、京都女子大学、そしてこの同志社においても、同志社大学文学部英文学科仙木さん、社会学部メディア学科 榊原さん、法学部法律学科 長濱さん、そしてこの同志社女子大学においては音楽学科特別専修生の大森さおりさんが事故でなくなりました。

さきほどのIさんの話にもあるように、大学という、ある意味では人生で最も光り輝く時期に、事故によってその命を絶たれる事の無念さについて、特に同志社という同じ学園で教える、教師として、自分よりも若い人達の死にはいたたまれない思いが致します。また、ご家族のみなさまの悲しみと喪失感については想像もできません。この2週間あまりテレビ新聞で様々な報道がなされていますが、親しい人を無念の事故で亡くす事の悲しみは当事者でなければわからないものであるとおもいます。亡くなった方々ばかりでなく、事故の後遺症に苦しむ人も多いと聞いています。昨日の夜のNHKニュースでも最後に救出された同志社大学4回生の林さんのことが報じられていました。このJR福知山線の事故は2年経った今もまだ終わっていないのだと実感させられるものでした。

わたしはつい、「私達に何ができるのか?」と問いかけたくなります。しかし、それは人それぞれの考え方、感じ方でいいのかもしれません。人によっては、亡くなった人の分まで精一杯生きようと考える人もいるでしょう。人によっては、図書館に立ちよって、これまでの新聞報道を振り返りながら、どうしてこのような事故が起きてしまったのか、もう一度考えようとするひともいるでしょう。人それぞれの考え方があっていいのだ、と思います。

しかし、同じこの同志社に学ぶものとしてしなければならないことがひとつだけあると思います。

それは、今日の奨励題にも掲げさせて頂いたように、107名の亡くなった方々を忘れないということです。この同志社で学びつつこの事故で亡くなった4名の学生のみなさんをわすれない、ということです。あなたをわすれない。亡くなった人達、そしてこの悲劇的な事故をわすれない、そして将来にわたり語り継ぐこと、これはこの同志社で学び教えるものの責務であるとおもいます。林さんも昨日の番組の最後に「私が生きている限り、この事故を風化させない」と絞り出すように決意を語っておられました。

最後に、Tuesdays with Morrieという本から、生と死についてのメタファー的一節を読ませて頂きます。易しい英語で書かれていますので一緒に意味を考えてみてください。

[Tuesdays with Morrie から引用]

亡くなった人達を忘れない限り、その人達の志は生き続けるのだと私は信じています。

(2007年4月25日、京田辺キャンパス新島記念講堂にて、奨励)

完全版は2007年度宗教部ともしびに掲載

朝日新聞京都版にもこの話が部分的に取り上げられました(2007.4.26)

一番好きな映画

今日、5月15日は、沖縄本土復帰35周年の記念日、そして京都三大祭りの一つ葵祭の日ですが、今日は映画の話からはじめたいと思います。

みなさんは一番好きな映画は何ですか?と聞かれたらどうお答えになりますか?きっとたくさんの映画がその候補として浮かんでくることでしょう。私も忙しい毎日ですが、映画をよく見る方です。先日もスパイダーマン3を見てきました。どのような映画を見てもその映画から学ぶことは多くあります。

私がもしどの映画が一番好きですか?と聞かれたなら、好きな映画の一つとして山田洋二監督の「同胞」を挙げるでしょう。山田洋二さんというと「寅さんシリーズ」で有名ですが、それ以外にも「幸せの黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」や「学校」など数多くの素晴らしい映画を制作しています。

1.「同胞」の舞台は、岩手県松尾村という農村。寺尾あきら演ずる主人公の高志はこの村の青年団長で、酪農を営んでいます。その松尾村を一人の女性・河野さんが訪れます。彼女は東京の統一劇場の勧誘・オルグとして、この村でミュージカル「ふるさと」公演を青年団主催でやってみないか、とすすめにきます。公演の費用が65万円。

青年団の幹部は、みな二の足を踏みます。もし赤字が出たら、どうしよう?赤字が出るかもしれない。毎晩、会合を重ねますが、結論が出ません。そのような中で、同じ酪農を営む博志が言います。

2.「失敗するかもしれない、でも失敗を恐れてやらなければ、もうそれは失敗しているのと同じだ。失敗を恐れて取り組まないよりは、思い切ってやって失敗したほうがいい。酪農も同じだ」

私は何度もこの映画を見ていますが、見るたびにこの場面で心の中で「そうだ、そうだ」と言ってしまいます。このようなチャレンジ精神、パイオニア精神、大切だと思います。

3.夏、公演の時が来ます。目標六五○枚の切符はなかなか売れません。青年団は、作戦を変更し、仕事が終わってから夜、一件一件各家を回ってようやく売り切ります。

トラブルも発生します。公演三日前になって、会場に予定されていた中学校の体育館が、有料の催物には貸せない、と校長に断わられてしまうのですね。校長の答は変らない。河野さんは遂に「無料ならいいんですね」と無謀とも思える提案をします。河野さんは、「自分達は金儲けのために芝居をしているわけではない、無料で公演するのは苦しいけれど、芝居を楽しみにしている人たちのために中止することはできない」、と言って校長室を出ます。「今回に限り特別に許可する」、という校長の許可を聞いたのは、みんなが校門を出てすぐでした。青年団が小躍りでその喜びを表します。

この映画の楽しいのは、今は亡き渥美清など寅さんシリーズに出てくるレギュラーが所々に顔を出すところにもあります。

4.さて、公演当日。この公演自体は、統一劇場の「ふるさと」というミュージカルがダイジェストでそのまま挿入されています。テーマは、タイトル通り、ふるさとのありがたさ、そしてそのふるさとの農業。農業をやめ、土地を売ってしまった人たちの悲しみ、ふるさとのお祭りの楽しさ、ふるさとが人々にとってどれほど心の支えとなっているのかが切々と伝わってきます。この公演自体、実際に松尾村で上演してそのライブが映画になっているのですが、このミュージカルに実際に涙するお年寄りの姿も印象的です。

青年団の奮闘で、この公演は大成功を収めます。

そして、映画のラストシーンです。公演が終わって、3ヵ月後、秋、稲刈りのシーズン。主人公の高志が河野さんに手紙を送ります。寺尾聡演じる高志の声で次のように読み上げられます。

「いま、稲刈りを愛ちゃんが手伝いに来てくれています。そしていつもあの忙しかったあの公演前のことを懐かしく話し合っています。なんであんな大変なことが僕達にできたのか、不思議な気がします。でも愛ちゃんは言います。幸せって、ひょっとしたらそのようなことじゃないかと。僕もそんな気がします。」

私もそんな気がします。私も幸せとはそのようなものだと思います。幸せとは、今日の奨励のタイトルにもさせていただいたように、「夢の中に、すなわち何かに夢中になって取り組むこと」じゃないかと思います。

ただ、高志自身、公演の準備に取り組んでいた時にはそのような実感はできなかったわけで、夢中になっているときになかなか自分が幸せであるとは実感できないことが多くあります。

ある程度のお金も必要でしょう、健康はもちろん重要です。でも、お金そのものは人を幸せにしてくれません。何でもいいから夢中になって取り組むこと、そのような夢中になって取り組むことを持つことが人生にとってとても重要なことであると思います。

この場にいらっしゃる大学生のみなさんはたぶんいまその実感はないかもしれませんが、きっと後から振り返った時、研究でもゼミのことでもサークルでもアルバイトでも旅行でも恋愛でも、夢中になって取り組んだことが、楽しかった、幸せだったと実感できることだと思います。そして夢中になって取り組むことが大学生活で最も重要な使命であるとすら思っています。他人からはどんなにつまらなく見えても自分がのめりこんで取り組めるものを探すことことの重要性はいつら強調しても強調しすぎることはありません。

そして、なぜ夢中になって何かに取り組むことが幸せなのか、その意味もこの映画の中で示唆されています。河野さんが映画の終わりの方で高志達に語りかけます。

「長い間、このような仕事をしているけれど、若い人の可能性って本当に素晴らしいのね。今回もみなさんから教えられたわ」

そうなんですね、夢中になって何かに取り組むとき、知らず知らずのうちに自分の可能性が引き出され、そして自分が成長してゆくのでしょうね。背が伸びている時、自分ではあまり実感がないけれど、ある時振り返って、背が伸びたね、と分かります。夢中になって何かに取り組むとき、本当に自分が成長するのでしょうね、そして自分が成長できていることが自分が幸せだと感じることなのだと思います。

わたしは、今年で教師生活通算25年を迎えます。河野さんのように、「長い間、このような仕事をしているけれど、若い人の可能性って本当に素晴らしいのね。今回もみなさんから教えられたわ」

と3月の卒業式で学生のみなさんに言えるように、若い学生諸姉の可能性を一層引き出せるような教師になっていきたいと思っています。

みなさんももうもっていらっしゃると思いますが、何でもいいですから、「夢中になって取り組むことのできるもの」に取り組んでいきましょう。探してみましょう。

(2007年5月15日、今出川キャンパス 栄光館にて奨励)

(2007. 5.15)

集大成へ

秋学期が今日からはじまりますが、みなさんはどのような夏休みをお過ごしになったのでしょうか。このようにいう と、何か特段すばらしい夏休みであったことを暗に期待しているようですが、何もしないボーとした夏休みであってもそれはそれでいいのではないか、と思いま す。わたし達は、つい、昨日よりも今日の方が、今日よりも明日の方が素晴らしい日々であることを期待してしまいます。また、大学生の皆さんにとっては、自 分の専攻している分野において、日々成長できることを期待してしまいます。しかし、わたし達の長い人生はそのような、丁度赤ん坊が日に日に成長するよう に、目に見えて成長が見えるような、絵に描いたようなサクセスストーリーばかりではないとおもいます。

私 もまたこの夏休みには多くの課題を持って入ったのですが、実際夏休み中にどれだけそれが達成できたか、と問われると、半分くらい、としか、いや半分以下と しか返答できないかもしれません。実際のところ、私は今取り組んでいる論文の執筆を大方済ませてしまいたいと意気込んで8月を迎えました。論文を書こうと 思うとアテネオリンピックが気になったり、集中できないことも多く、なかなか論文を書き上げる事はできません。よく学生諸姉には、がんばって書きなさいと 指導していますが、自分自身が実際に書く段になると大変です。

そのような悶々とした日々を過ごしている中で、9月6日から一週間、群馬県榛名町で実施された宗教部主催ワークキャンプに参加してきました。私が滞在したのはそのうちほんの二泊三日でしたが、いろいろなことを考えさせられる、また感じさせられる貴重な三日間でした。

群 馬県に初めて足を踏み入れたということもよかったのかもしれません。上越新幹線に初めて乗ったことも、また新島先生の旧宅を訪れることができたこともよ かったのかもしれません。ワークキャンプでは、参加した学生のみなさんが生き生きと毎日を過ごし、そしてその毎日を時に涙も交えながら振り返る姿をみて、 このワークキャンプが学生のみなさんに与えている大きなインパクトを感じました。

そ のような中で私にとっては理事長の原慶子先生やエンジェルホーム園長の長坂としや先生にお会いできた事は幸運なことでした(原先生は11月にこの同女に来 られますので先生の話をお聞きする機会があると思います)。長坂としや先生には夜の8時から1時間半に渡ってエンジェルホームでの入園者のみなさんとの交 流を通して考えられたことなどについて、お話いただきましたが、そのお話を通して、いままでの忙しい生活の中で私自身も忘れかけていた大切なことを思い出 したような気がしました。

それは「すべてのことに意味がある」ということ です。老人福祉施設に入居している方々はもちろんのことながら高齢者であり、かならずしも明るい未来が待っているわけではありません。そう遠くない将来に 死と直面することになります。しかし、考える基準を私達において発する問いこそ間違っているのではないか、長坂さんはいいます。つい、私達は、生きている 事を効率的な意味に置き換えようとしてしまいますが、もともと生きているということは、何かの為に役に立たなければいけないわけではなく、生きている事そ れ自体に意味がある、と長坂さんはいいます。これは、理論ではなくて長坂さんの生活から生まれた実感であると思います。お話を聞いていて何かこころにスト ンと納得するものがありました。

人生うまくいかないと、また大学生活でも うまくいかないと、何のためにこんなことをしているんだろう、と思ってしまう事があります。しかし、私は、長坂さんのいうように、「一日一日、一瞬一瞬 を、精一杯生きる事」が大切であり、今は、意味がないと思っている事にも、あとから考えてみると重要な意味があることが実に多く思います。

自 分が自分らしくあるということほど難しい事はない、また、自分をいつも好きであることも困難であると思います。この夏の私自身の論文の進展を見ても、私自 身についてそう思います。自分に憤慨したり、自分に嘆く事も時に、必要だと思います。ただ、悲しみや辛さは幸せにつながっている、という楽観的な信念は持 ち続けたいものだと思います。幸せになる努力、これは難しいようですが、現在目の前にある大小の困難に立ち向かう事には必ず意味があると思う事、すなわ ち、生きていいる中で出会う、起こるすべてのことには、自分を成長させてくれる何らかの意味があると信じる事が、生きていく上では重要なことになるのでは ないか、と思います。

長坂さんと一緒にみんなで、加藤登紀子の「いきて りゃいいさ」という歌を歌いました。「喜びも悲しみも立ち止まりはしない、喜びも悲しみも立ち止まりはしない、いきてりゃいいさ、いきてりゃいいさ」。様 々な喜びと困難がこの秋学期も待ちかまえていると思いますが、「一日一日、一瞬一瞬を生きている精一杯生きる事」が、最終的に私達に幸福をもたらしてくれ る秘訣なのかもしれません。

今日のお話のタイトルは「集大成へ」としまし たが、4回生のみなさんは、大学生活の集大成ともいえる卒業論文、卒業研究の仕上げにかかる秋学期だと思います。1-3回生のみなさんは、春からの学習・ 研究のまとめをする時期に当たります。また、10月末にはスポーツフェスティバルや秋季リトリートも控えています。学生のみなさんも、私達教員もそれぞれ 忙しく走り回る毎日になりますが、「困難も、苦労も、幸せにつながっている」という楽観的な気持ちを持って、汗と涙を流しながらこの秋学期を楽しみたいも のです。

今日は秋晴れの爽やかな一日になりそうです。お互いの健闘を祈念して今日のお話をおわりにします。

(2004年10月1日、今出川礼拝堂における2004年度秋学期最初の礼拝より)

(2004. 10. 1)

生きている喜びと生かされている喜び

イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人に仕えるものになりなさい」(マルコによる福音書、第9章35節)

英語には、active voiceとpassive voiceがある。中学の英語の授業で学んだように、同じ現象を異なる見方から言っているわけだ。このように一歩離れたところから言語を客観的に見ること のできるメタ言語能力を持つことは、英語運用能力を身に付けることと並んで外国語学習の重要な目的である。

さて、この能動態と受け身であるが、形式的に変換はできてもいつもinterchangeablyに使えるわけではない。むしろ、英文を書く際には、受け身にすると「誰が」という主語が曖昧になることから、例えばMicrosoft Wordで文法チェックをすると、「Passive voiceを使っていますよ」と警告を受けることがある。しかし、40年ほど人生を生きてきて、自分で生きてきたというactive voiceに少し疑問を持つようになった。学生のみなさんには、人生の選択に迷った際には、「自分自身で決めること」が後悔しない最大の秘訣だと、いわばいつもactive voice的なアドバイスしているこの私が、である。

人生はもちろん、自分で生きているわけだが、一方で、生かされていると感じると、心が何となく爽快になることに最近気付いている。悔いのない人生を、と思う あまり、これまでとかく肩に力が入り過ぎていたのかもしれない。自分の人生だが、同時に自分以外の人々=家族、友人、同僚、学生のみなさん、多くの人の支 えによって実は生かされている。ただ、そのような多くの人々の協力を得ているのが、目標達成の過程の方法論ではなくて、人生の目的そのものが、実は誰かに 生きる使命を与えられて、誰かのために生かされていると考えてみる、ということなのだ。すると、自分だけが得したい、いい思いをしたい、という メ我よしモ の気持ちから、誰かに メContributionモしようという心持ちに心のスイッチが切り替わる事に気付く。

自分以外の人に神の存在を含めるかどうかは、個人の自由だとおもう。ただ、時々、誰かに「生かされている」と思うことで、変な虚栄心から解放されることは事実だ。’Number One’でなくても’Only One’でなくてもいい。時には、’After you’といえる心の余裕を持ちたい、とおもっている。

生きている喜びと生かされている喜び、この両方を味わいたいものだ。

(同志社女子大学 Chapel News 11月号掲載)

(2003. 11. 1)

未来の教師達からの31通のラブレター

0.

秋季リトリートお疲れさまでした。大成功でしたね。

Halloween

1.

教職課程とは?
教職課程コースの概略(2回生からはじまる:教育の原理、教育心理、教師論、道徳教育、特別活動の研究、同和教育、性教育、英語科教科教科法A, B, C, D。教育実習事前指導、事後指導)

ダブルスクールのようなもの

Future Teachers’ Training Course (FTTC)=未来の教師

2.

英語科教科教育法の学生達
今日のお話は、その中の、教育実習事前指導・事後指導にまなんだ、友川さんとその学生のお話。

水曜日の朝1コマ目:3回生・4回生:

転機は、模擬授業:

3.

最後の授業での話

学生は、「31通りの発見」、をしたとおもう。手紙の内容を紹介

1. A & K「自分自身の発見」

2. S「財産になった」 (財産とは何か?)=「大学で学んだ意義の発見」

3. A 「教師をめざす仲間」=「仲間の発見」

4. A 「教師と学生の距離」=「Rapport」の発見

5. Y 「ネタが重要である事」の発見

6. S「深海に生きる… 」:人生の発見

7. A「同女の素晴らしさ」の発見

8. P「英語の面白さ」の発見

4.

友川さんの発見

友川さん自身も、このような素晴らしい学生と出会う事ができて、彼自身新たな発見があった。

1. Newsletterを書き始めた事
2. 一層、授業の周到な準備が大切であること
3. 新島先生が述べておられるように、「学生を大切にすること」=人間的には温かく、そして、学問的には厳しく
4. なによりも、教える事、学ぶ事が素敵であるということ。教えることの魅力の発見
5. 学生諸姉の可能性は無限であるという事。教師の枠で学生を計ってはならないという事。

5.

まとめ…
友川さんは、幸せな教師。すばらしい、学生に出会う事ができた。彼の功績があるとしたら、そのような学生の可能性を引き出す事ができたということか?
友川さんの打ち上げでの締めの言葉:「君たちのお陰でいい教師になれた。君たちのお陰で素晴らしい人間になることができた」。謙虚でいいことばだ。
このような、美しい教師と学生の人間関係は素晴らしいと思う。

6.

これから…

明日から11月。今日の聖書の箇所の再確認。卒業式で、近藤宗教部長が読んだ箇所。Byrdsの”Turn, Turn, Turn.”にも歌われている。
すべての事には、定められた時がある 学ぶ時
旅に出る時
将来の事を考える時
休息する時
恋をする時
恋人と別れる時
友人と真剣に語り合う時
友人とけんかをする時
4年間のまとめ、卒業制作、卒業論文を書く時
大学を巣立つとき

(2005年10月31日、新島記念講堂における奨励メモより)

(2005. 10. 31)

よき時によき友と出会え

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(コリントの信徒への手紙 II: 4章18)。

結 婚式にお招きいただき静岡の浜松へ行く機会があった。6年前の短期大学部英米語科のゼミの卒業生のTさんの結婚式。前日が丁度大学の卒業式だったこともあ り、浜松行きののぞみの車内で、彼女の在学中のゼミのことや卒業式、また今は正門の右手に記念碑として残るだけの短期大学部で私自身充実した日々を送らせ て頂いたことなどが、つい昨日のことのように鮮明に浮かんできた。結婚式には同女の卒業生も参加すると聞いていたので、彼女たちに再会できることもひそか に楽しみにしていた。Tさんと同じゼミのメンバーが来ると勝手に思いこんでいたのだ。そのゼミは、互いに学び・刺激しあうことが多く、私がこれまでに担当 したゼミの中でも特に思い出深いゼミのひとつだった。

だが、式場で彼女た ちに再会した際、意外な感じがした。6名の参加者全員、ゼミのメンバーではなく、1回生時に教えていた基礎クラスのメンバーでだったのだ。でも考えてみれ ば、当たり前のことなのかもしれない。入学時のクラスメンバーの印象は、またその初めの一年間の友達との関わり合いは、一世一代の大舞台に招待したくなる くらい強烈なそして美しいものなのだろう。披露宴の間、その6名から聞こえてくる大学時代の話を総合して、私はそんな風にひとりで合点した。

私 は 彼女たちの通常の授業担当だったが、とても愉快な、毎回授業に行くのが楽しみなクラスだった。彼女たちもみんなで会うのは何年ぶりと言っていたが、ほどな く学生時代の彼女たちに戻っていた。私もまた、すぐに6年前の教室の風景が蘇り、授業で大笑いしたことや、彼女たちがLL教室のどの席に座っていたかと いったことまで鮮明に思い出した。披露宴は途中から同窓会とおもむきを変え、予約してた新幹線の切符を変更し、私が京都駅で降りるまで、彼女たちは学生時 代のこと、子育てのこと、アメリカでの生活のこと、仕事のことなどについて時間を惜しんで語り合っていた。

彼 女たちの屈託のない笑顔をみながら、彼女たちは幸せだなあ、と思った。よき時に、よき場所で、よき友に出会った、と思った。一生のうちに出会う人、友人は 数知れないだろう。いくつになってもあらたな友人に出会うことはできる。しかし、大学時代に出会う友人は特別だと思う。この時代に出会う友人ほどその後の 人生に影響を与え、またその支えとなってくれる友人はいない。

4月、そして5月。あらたな大学生活の、あらたなクラスの、あらたなゼミのスタート。あらゆる場所で新たな出会いが始まっている。私自身も新たなゼミやクラスに足を運びながら、互いによき友となってほしいと願わざるを得ない。天の下の出来事にはすべて「定められた時 (season)」があるのだ。私達は会うべくしてこの同志社という素晴らしき場所で出会ったのだろうと思う。仏教でも同じ事を、「縁(えん)」と表現する。宗教の違いがあっても、真理は真理なのだ。

出会いの時、出会いの季節。よき友との出会いを。

友はあなたのすぐ近くにいる。

(同志社女子大学 Chapel News 5月号掲載)

(2005. 5. 15)

ヘレンケラーとアン・バンクロフト

女優アン・バンクロフト と聞いて、Mrs. Robbinsonと答える人、Mrs. Robbinson と聞いて、映画「卒業」と答える人はこの場にはそれほど数多くいらっしゃらないかもしれません。私の記憶の中に残っている映画「卒業」はリバイバル上映で 観たものかもしれませんが、当時大好きだったサイモン&ガーファンクルの曲がこの映画の始めから最後までバックに流れていたこともあり、いまでも 記憶に鮮明に残る映画です。

し かし、この映画で主人公、ダスティンホフマンを誘惑するMrs. Robbinsonを演じていた女優と、映画「奇跡の人」で、ヘレンケラーの家庭教師役、サリバン先生を誠実にかつ情熱的に演じていた女優が、同じアン・ バンクロフトであることに気づいたのは実は、つい最近のことでした。

先 月、私は、田辺キャンパスで教えている英語英文学科3回生の応用言語学ゼミで、映画「奇跡の人」のあるシーンを見せようと思いたち、何度もDVDを見てい る内に、サリバン先生役が映画「卒業」でMrs. Robbinsonを演じていた同じバンクロフトであることに、遅ればせながら気づきました。しかも、大変遅ればせなことに、そのゼミでバンクロフトの 「奇跡の人」を見せた6月の丁度その日に、彼女が73歳の生涯をニューヨークで終えたというニュースを知りました。彼女が亡くなる前に知りたかったと思っ たものです。

さて、今回、この歴史と伝統のある今出川キャンパス栄光館ファウラーチャペルではじめてお話をさせていただくことになった時に、そのアンバンクロフトが出演した映画「奇跡の人」の主人公、ヘレンケラーに関わる話をしたいと漠然と思いました。

それは、約50年前、来日中のヘレンケラーが この同じ栄光館ファウラーチャペルでこの場で講演をしたということもあります。または、今、お話をしたように、アン・バンクロフトが最近亡くなったということもあるのかもしれません。

映画「奇跡の人」は何度見ても、学ぶことの多い映画です。

特 に、言葉の意味を理解出来なかった、ヘレンケラーが、水=Waterという単語をきっかけにして、言葉の意味を体得する場面にはいつも目が釘付けになりま す。サリバン先生が、手に、Waterと何度書いても、その意味が理解出来なかったヘレンケラーが、井戸から流れ出る水を触った瞬間に、丁度雷にでもうた れたかのように、はじめて、ポンプから流れ出る水のことをWaterという言葉で表すことに気づく場面です。そのことをきっかけに、ヘレンケラーは周りの 物事をあらわすあらゆる言葉をスポンジのように覚えていきます。地面、樹木、鐘、お父さん、お母さん、そしてサリバン先生をあらわす、Teacherとい うことば。

通常、こどもは、目に見えるものを指し、親や周りの大人がその ものをあらわす言葉をこどもに話すため、そのものはそのような言葉で表されること、すなわち、言葉の概念を自然と理解していきます。しかしながら、視力、 聴力、嗅覚を奪われたヘレンケラーに取っては、普通のこどもが自然に習得することが、容易にできなかったわけです。

その意味では、ヘレンケラーは、通常こどもが無意識に体得する過程をスローモーションのように明示的に提示してくれているようにさえ思えます。これは、第一・第二言語の習得という観点からも興味深い事象ですが、私達の大学生活に示唆するものがあると思います。

すなわち、考えても分からなかったことがある時突然氷解する、ということです。または、ある時突然、素晴らしいアイディアが閃くということです。

教える立場からすると、学生のみなさんに、何度言ってもなかなか分かってもらえないことがあります。ところが、ある時、なぜか、急に、学生のみなさんが理解してくれるということがあります。 学ぶ側からするなら、いくら考えてもわからないことがあります。しかしある日突然、いままで悩んでいたことが嘘のように「すっと」がわかる、または、道が「さっと」開けるように思うことがあります。

実 は、ヘレンケラーの「奇跡の人」の場合においても、サリバン先生は、井戸でヘレンケラーの手に水をかけ、Waterという字をヘレンケラーの手に書くのと 同じ作業を以前から何度も繰り返しています。たとえば、一緒に川に入って、水を体全身で感じさせて、手にWaterと書くわけです。その時には、何の反応 も見せなかったヘレンケラーが、ポンプの水の際にどうして、天明が鳴り響くように、「理解出来たのか」、興味深いことです。

私 にも同様の経験があります。今から、15年前、大学院1回生だった私は、自分自身の修士論文のテーマを何にしたらいいものか、考えあぐねていました。今は 東京外大に移られた指導教官からは、いろいろと参考になりそうな文献を紹介してもらい、読み進めてはいたものの、どうにもこうにも、自分の修士論文のテー マにするようなものには行き当たりませんでした。論文においてはテーマ、すなわち、Research Questionを見つけなければいけないのですが、これほど難しいことはありません。当時愚かだった私は、適切なアドバイスをしてくれない指導教官を怨 んだりしていましたが、何について研究するか、何に疑問を持って研究するかという研究の根幹=いわば研究の魂、は人から教えたりアドバイスをしたりするの もではない、ことに、実際に自分自身が大学の教員になり卒業論文の指導をする段になってよく分かるようになりました。

いま、私は、外国語学習における学習ストラテジーについてさまざまな角度から研究を進めていますが、そのキーワードである、ストラテジーを研究のテーマに据えようとおもった瞬間を、丁度、ヘレンケラーがWaterを理解した場面と同様に、鮮明に提示することが出来ます。

丁 度、それは9月下旬の3時くらい、大学の図書館で関連する本を読んでいた時でした。その本は何度か読んでいた本なのですが、ストラテジーについてのページ をめくった瞬間、「あ、これなんだ」ということが急に分かった気になりました。大げさに言うなら、天上からその本のそのページに光が差しているような気が しました。なぜ、そう思ったのかわかりませんが、その時に、私が研究するテーマはこれなんだ、ということを「確信」した自分に気づきました。時間にすれば ほんの一瞬の出来事なのですが、その瞬間のことは15年も経ったいまでも忘れる事はありません。

どうしてそのようなインスピレーションを得ることが出来たのか?未だ持って分かりませんが、私はヘレンケラーの奇跡の人のWaterのシーンを見るたびに、全く同じはないにせよ、自分の経験と重ね合わせてしまいます。

でも、このようないわばインスピレーションを得る幸運な経験は誰にも訪れる事なのだと思います。なぜ、そのようなインスピレーションが頭に走るのか、それは分かりませんが、その条件のようなものは、あるように思います。2つあるように思います。

ひとつには、継続すること。たとえば、論文を本を読み続けること、何度も読み返してみること、繰り返し練習してみること、そして考え続けること。

ひとつには、異なった環境に身を置くこと。同じものを読むにしても、同じ話を聞くにしても、読む場所、聞く場所が異なることによって全く違う印象を持つことがあります。

私の場合にしても、下宿ではなく、図書館で本を読んでいたのがよかったのかもしれません。
ヘレンケラーの場合も、川の水ではなくて、井戸水だったのがよかったのかもしれません。
いずれにしても、継続することは、共通することです。

春 学期の授業は今日で終了しますが、これから2ヶ月間という長い夏休みは、みなさんにとっては、このように、何かを継続する、または異なった環境で行ってみ るということが容易になる時間であると思います。旅に出る人、アルバイトに精を出す人、故郷に帰省する人、ボランティアに参加する人、就職活動をするひ と、外国に行ってみる人、または榛名町の新生会でのワークキャンプに参加する人、などさまざまな過ごし方をされると思いますが、そのような中で、春学期に 考えてみて、どうもよく分からなかったこと、将来について、または卒業論文について、など、あたまの片隅にあって解決していないことについて、普段の大学 生活とは異なった環境で考えてみてはどうでしょう。

考え続けている限り、あるとき、急に、天から光が差すような幸運を味わうことが出来ると思います。それはスターバックスコーヒーのテラスであるかもしれませんし、新幹線の中かも、坂道を歩いている時かもしれません。

そのようなインスピレーションがあると、人生は実に豊に楽しいものになるものです。

2ヶ月後、元気な姿でお会い出来る事を楽しみにしています。みなさんの夏休みが実り多いものであることを祈念して、今日のお話をおわりにしたいと思います。みなさん、是非、考え続けてみてください。

なお、映画「奇跡の人」はAVセンターに所蔵してありますので、興味のある人はご覧になって下さい。

ありがとうございました。

(2005年7月13日、今出川栄光館における2005年春学期最終礼拝より)

(2005. 7. 13)

三人のこと

人は、わたし達は、日々出会いのなかにいます。こと、大学にいるわたし達にはその出会いのチャンスは多様でその機会も数多くあります。

4 月からはじまったこの2004年の春学期も今日で授業が終わります。みなさんも数多くの出会いがこの4ヶ月間にあったと事と思います。1回生の人達にとっ ては新たな環境で特に多くの友人、先生との出会いがあったのではないでしょうか。また、2回生、3回生、4回生、大学院生のみなさんにとっても新たな授 業、ゼミ、学内外の行事を通して多くの素晴らしい人達との出会いがあった事と思います。

今日は、みなさんのそのようなこの春学期の出会いを振り返っていただく意味でも、この春学期に私に影響を与えた3人の人達の話をオムニバス形式でそのさわりをお話したいと思います。

Josh
Joshと初めてであったのは、いまから4年前、2000年の秋のことです。当時、私は在外研究の機会を与えられてカナダのトロントに滞在していました が、ミネソタ州生まれのアメリカ人である Josh も、トロント大学大学院で外国語教授法の研究をしていましたが、私はJoshと外国語能力評価法というゼミで出会いました。日本にALTとして2年間滞在 した事のあるという経歴をもつJoshとはすぐ友人になりました。トロント大学の大学院は授業が3時間連続であり、毎回かなり多くの本や論文を読む事が要 求されるのですが、Joshとはその論文などについてカフェテリアでよく議論をしたりしました。授業の後に近くのバーに一緒に飲みに行く事もありました。 10才も年が離れているJoshでしたが、私にとってはかけがいのない友人になりました。その後、私が夏などにカナダにもどる事が何度もありましたが、翌 年は、お互いの都合がつかず会えず、昨年夏にトロントに私が戻った際には、Joshは英語を教えるために、アルメニアに出発したあとでした。英語を教える ことを職業としているJoshにとってはカナダやアメリカを離れて外国に滞在することはある意味では必然的な事です。しかし、近い将来の再会を期待してい た私に彼の悲報が届いたのは、この5月22日のことでした。何者かにナイフで刺されたとのことです。詳しい事情は分かっていないようで、犯人も捕まってい ないとの事ですが、温厚で誰にもFriendlyで暖かいまなざしを忘れないJoshが人に怨まれる事は到底考えられれないことです。

私 は、何とも言えない気持ちになりました。その気持ちは今もまた続いています。いつかは分かれなければいけないのが友人でありますが、こんなに早く、しかも 悲劇的な形での別れが待っているとは想像もつきませんでした。私の脳裏には、Hi!というにこやかなJoshの笑顔がいまも強く残っています。

卒業生のけいこさんの話
*6月10日の夜の11時の電話: 嗚咽
*同期生がやめていってしまったこと
*石の上にも三年といって送り出した事

「学生の時に学んだことや経験した事、そしてなによりも一緒に頑張った友人や支えてくれた先生方との日々、じぶんはがんばっていた、輝いていたと自信を持って言える自分がいるからこそいまこうして頑張っていられる」

*大学時代に何を学ぶかということもあるけれど、どうやって学ぶか?どのように学びに関わるか、参加するか、大学時代に何にエネルギーを注ぐか?…
*就職するためだけに頑張っていたら、ダメ。
*厳しい仕事の中では、役に立たない。何かに打ち込む、ことでしょう。
*学生のみなさんがどのようにしてそのような生きる力を身につける事ができるのか、大学で教えるものの一人として、大いに考えさせられる出来事でした。

沢智恵
一回の出会いだけれども、その後の人生に影響を与える出会いがあります。
春のリトリート
The Line
「わたし達の周りには目に見えない線があります。北と南、愛と憎しみ、親と子、生と死、あなたと私」
「そのような線は自分の外にあるのではなく、自分の内側にあるのではないか」
「まず、自分の中でそのような線を乗り越えていこう」
春のリトリートで出会ったすばらしい人達、実行委員、総勢100名あまりの参加者。
やはり、別れがあるにせよ、出会いは素晴らしいと思います。多少引っ込み思案の人も、大いに様々な行事に活動に参加してみるといいと思います。出会いはあちらからはやってきません。こちらから探しにいくものです。

本よりも、人との出会いから、多くの事を学ぶことができます。

明日の英語英文学科のポスターセッション

これから夏に向かいます。みなさんにとってもすばらしい出会いの夏となりますように、祈念して今日のお話をおわりにします。また秋学期のはじめに、元気な姿でお会いできるのを楽しみにしています。

(2004年7月8日、新島記念講堂における2004年度春学期最後の礼拝メモより)

(2004年7月8日)

人生が二度あれば

井上陽水というフォークシンガーの歌に「人生が二度あれば」というものがあります。陽水は今も現役で活躍していますので知っている人は多いと思いますが、歌自体を知っている人はここにおられる先生方をのぞけばほとんどいらっしゃらないでしょう。

さて、その「人生が二度あれば」ということですが、みなさんは人生を振り返るにはまだまだ早いのでこの話題自体が無縁のものであるかもしれません。

私の大学時代のある先生に、あるコンパの席上、こんな話を聞いたことがあります。

あ る年代までは人生を足し算として加算しながら考えるけれど、ある年代を過ぎると、自分が死ぬであろう年を起点として引き算をしながら考える。つまり、あと 何年生きられるから生きている内にこれだけはしておこうと考えるわけです。または、定年まであと何年だから、という発想です。大学の教師として今年11年 目を迎える私にとってもまだまだこの引き算的発想は無縁のもので、足し算をしながら人生を送っていますが、時々、陽水の歌のように「人生をもういちどやり 直すなら、どこから?」と思うことがあります。これは今の人生に後悔をしているわけではなく、単純に思うだけです。

今 の30代、40代の人達にこの同じ質問、「人生をもう一度生きるならどこから?」と聞くと、大卒の人ならほとんどが大学時代からと答えるのではないでしょ うか。大学時代ほど、人生の中で光り輝き、後から振り返って、「あの時ほど楽しい時はなかった」といえる時代はありません。

なぜでしょうか?

健 康面でも若くて元気であることはあるでしょう。また、新たな知識やスキルを身につけて自分の新たな可能性を発見するからかもしれません。サークルやクラブ に入ってる人はその活動が楽しかったというでしょう。また、高校までの学習と異なり、自分の興味にあわせて自分で考えて学習をするからかもしれません。大 学の授業は出席することがもちろん前提ですが、高校と異なり、時に授業をさぼって映画に出かけても誰も文句を言いません。自分でその責任を取ればいいだけ です。大学時代がなぜ人生の中でいちばん楽しいのか、それはこれからみなさんがこの同志社女子大学で学ぶなかで考えていただきたいと思いますが、その基 本、基盤をなすものは何であるか、という点について理解しておく必要があります。「大学生活の基本、基盤とは何か?」

それは、大学案内にも大学の講義要録(シラバス)にも書かれていませんが最も重要なことです。そして、誰もが暗黙の前提として知っていることです。

実はそれは、先ほど、朗読していただいた聖書に書いてあります。

「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実をむすぶ」

葡 萄の木=英語でいうところのVine 、これこそが大学生活のキーワードです。このキーワード・Vineはこの大学でよく目にします。例えば、大学の広報誌の題名はVineですし、川田先生や Susser、中村先生が中心にお作りになった遠隔地学習システムの名前は「Cyber-Vine」です。

す なわち、みなさんは葡萄の木の一房一房、また一粒一粒であり、なんらかの形でお互いに結びつき、つながっているのです。このお互いの結ぶつき、関わり合い を認識し、強いものにすることこそ、みなさんの大学生活をより豊かにそしてあとから振り返って「もういちど大学時代に戻りたい」と言わしめるものであると 思います。

私自身の大学生活を振り返っても、入学式の当日、名簿の関 係でたまたま横に座った吉田という同じ新入生と「こんにちは、どこから?」というあいさつが縁でもう20年以上も友人関係が続いています。その吉田君抜き に私の大学生活は考えられないくらい様々な活動を一緒にしました。新しいサークルも立ち上げました。さまざまな旅行も計画したし、夜を徹して様々な話をし ました。彼とまた彼らと話しをしたことが今の私に大きな影響を与えてくれています。

友 達にどうやってなるか、その方法は実に多様です。もうすでに、この1泊2日の フレッシュマンキャンプを機に、多くの新たな友達を得た人も多いと思います。しかし、これからの大学生活の中でも友人を増やす機会は、通常の授業や雑談に 加え、特にこの情報メディア学科には多くあります。授業外の長時間にわたる作業、さまざまなプロジェクトなどなど、大学に滞在する時間が他学科に比べて格 段に多いみなさんにはまさに新たな友人を得るチャンスに恵まれているといえるでしょう。それは単にこの情報メディア学科3期生だけにとどまらず、先輩や諸 先生、MSCのスタッフ、職員の方々も含まれます。

このお互いの結びつき、つながり、ネットワークというものは、大学教育の目的ではないが、結果として最も重要な産物であります。

大学時代に身につけた知識はいずれ新たな知識によって更新、上書きされていきます。同じ知識がいつまでも有効であるとは限りません。しかし、ここで得た友人、友達との結びつき、ネットワークは時代が変わっても、消滅することはありません。

「友情に始まりはあってもおわりはない」

これは真実です。

広く、多様な人間のネットワークはあなた方ひとりひとりの大学生活を豊かに実り多いものにしてくれます。どうぞ、肩の力を抜いて、少し心をひらいて笑顔でお互いに接してみましょう。すぐに友人になれると思います。

「友情に始まりはあってもおわりはない」

みなさんのこれらからの4年間が実り多いものであることを祈念して、閉会礼拝のお話とさせていただきます。

(2004年度情報メディア学科新歓オリエンテーション閉会礼拝での話から)

(2004. 4. 5)

伝統と新しさ

京都は長い歴史と伝統を持った街です。

鳴 くよウグイス、794年に平安京に都が移されて以来、約1200年の長い歴史を誇ります。私は京都の北、亀岡市に住んでいますが、今出川キャンパスに自家 用車で行く際には、そのような歴史を感じさせる数々の名所旧跡を回ってくることがあります。嵐山の渡月橋をわたり、天竜寺の前をとおり、弥勒菩薩で有名な 太秦広隆寺を横切り、石庭で有名な竜安寺、そして金閣寺の前を通り、今出川キャンパスに到着します。

また、9日、土曜日に新島先生の墓前礼拝が行われる若王子の前には、京都学派といわれる西田幾多郎ら哲学者が散策したことで有名となった哲学の道、そして銀閣寺、また南へ足をのばせば、美しい桜 で有名な南禅寺、円山公園そして清水寺があります。墓前礼拝の後は天気がよければ是非このように散策をして頂きたいと思いますが、京都はこのように長い歴史をハダで感じることができる街です。

し かし、京都は長い歴史を持つだけでなく、日本のまた世界の先進的な部分を感じることのできる街でもあります。東京と並んで最も多くの大学を有し、同志社 ローム館の名前にも刻まれた企業ローム、またオムロンや京セラ、任天堂などの京都を拠点とする先進企業が数多くあります。評価は分かれるものの、かつて最 も革新的といわれた蜷川虎三を府知事とする京都革新府政を四半世紀にもわたり支持したのもこの京都であります。

長い歴史と新しさ、この二つの顔が同居するのがこの京都のおもしろさだと思います。

これと全く同じ事はこの同志社女子大学にもいえることです。

入 学式で森田学長が紹介されたとおり、同志社女子大学は今から129年前、新島襄によって創設された日本で最も長い歴史と伝統を持つ大学のひとつです。その 歴史の中では、たとえば、みなさんが入学式を迎えた栄光館ファウラーチャペル、あの壇上にはかのヘレンケラーも登壇し、講演をおこないました。学長室にあ るゲスト用のサイン帳には彼女のサインがいまもくっきりと残されています。

し かし、一方でこの同志社女子大学においても何か新しいものを産み出そうとするエネルギーは常に満ちています。この4月から薬学部が創設されたことも、図書 館が増設されて新しい図書館として生まれかわったこともそうです。そして、この情報メディア学科もまたそのような新たなものを創り出そうとするエネルギー のなかで生まれたものです。このように 長い歴史と新しさ、この二つの顔はこの同志社女子大学においても同居しています。そして、この二つの顔が同居する、いや長い歴史と伝統の基盤の上にあるか らこそ、本当の「革新的な」新しさを産み出すことができるのではないか、と思います。

こ のように申しますと、中には、「確かに今出川キャンパスには歴史と伝統を感じることができるが、この京田辺キャンパスではなかなかそうは思えない」と言う 人もいるでしょう。確かに、129年の今出川キャンパスと比較して、この京田辺キャンパスは20年の歴史しか有していません。

しかし、ここで重要なのは、キャンパスの建物や教室、廊下といったハードウエアとしての歴史ではなく、新島襄先生建学以来この大学に息づく建学の精神というソフトウエアとしての歴史と伝統です。

同志社女子大学は建学の精神として、3つの柱を129年間堅持・発展させてきました。

その建学の精神として、

ひとつは、キリスト教主義。
基督教主義とは、「神の前にすべての人が平等であり」、「隣人を愛する気持ちを以て」広く社会や世界への関心をもつこと。」と言えます。

ひとつに、 国際主義
国際主義とは、「自国のためだけでなく世界の平和と幸せを願い、人類の共生を考える視点を持つこと」と言えます。

ひとつに、リベラルアーツ
リベラルアーツとは「幅広い分野の学問を通して物事の本質をとらえる力を養い、豊かな人間形成をはかること」と言えます。

この3つを私なりにわかりやすく言い換えるなら次のようになります。

基 督教主義とは「神の前にすべての人が平等であり」、「隣人を愛する気持ちを以て」広く社会や世界への関心をもつこと。」、すなわち、神の前では、言い換え るなら、真理の前で 教員も学生も、教授も講師も大学院生も学部生も同じ立場である。真理の探究を巡っては、教員も職員も学生も同じ立場で 大いに議論をすべきであると。「真理はあなたを自由にする」、と近藤宗教部長は入学式で聖書から引用されましたが、真理を模索する過程においては、日本的 な変な上下関係やしがらみは無縁のものであるということです。

国 際主義とは、「自国のためだけでなく世界の平和と幸せを願い、人類の共生を考える視点を持つこと」。これは外国との関係だけでなく、国内においても、学内 においても多様性を尊重し、自分とは異なった考え方を認めること、すなわち、自分とは異なる発想を認めるということだと思います。

そ して、リベラルアーツ。リベラルアーツとは「幅広い分野の学問を通して物事の本質をとらえる力を養い、豊かな人間形成をはかること」。すなわち、知的好奇 心を旺盛に持ち、自分は何に興味あるのかを常に模索しながら、探求的生活を行うこと。単に情報メディアという学問領域だけにとどまっていたのでは、新たな アイディアは浮かんできません。また大学内だけに留まっていたのでは、知的好奇心は刺激されない。「書を捨て街にでよう」とはまでは言いませんが、授業だ けでは大学時代の精神的成長はあり得ないと思います。大いに様々な場面で多種多様異分野の人々から学ぼうということだと思います。

人によって解釈は異なるでしょうが、私は建学の精神をこのように解釈してきました。

真理の前の平等という意味においての基督教主義、他者・多様性の尊重という意味においての国際主義、そして知的好奇心をかき立て探求的生活を行う基礎としてのリベラルアーツ。

私は、今出川キャンパスにいようが京田辺キャンパスで学ぼうが、新島先生が掲げたこの3つの建学の精神が歴史と伝統としてこの同志社女子大学に息づいていると思います。

歴 史と伝統の上に築き上げられる「新しさ」と、歴史と伝統のないところに築き上げられる「新しさ」には大きなへだたりがあります。その意味では、この同志社 女子大学情報メディア学科には、建学の精神という伝統を基盤として新たなものを産み出すことのできる素晴らしい条件が整っていると思います。

新しさは伝統の上に育んだ時に、うまく機能するものです。

今日から始まる、フレッシュマンキャンプ2005。入学式がこの大学における第一歩とするなら、このキャンプは、みなさんにとって記念すべき第二歩となるべきものです。

同志社女子大学の歴史と伝統、建学の精神をかみしめながら、あらたなものを産み出すための第二歩をこのキャンプで しっかりと踏み出していただきたいと思います。

このフレッシュマンキャンプが参加するすべての学生のみなさん、そして教職員にとって実り豊かなものになることを祈念して、お話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

(2005年度情報メディア学科新歓オリエンテーション開会礼拝での話から)

(2005. 4. 4)

心を分かち合うためには

さて、あなたはこの三人の中で誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったとおもうか。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカによる福音書 第10章36-37節)

最 近、自分自身の反応の鈍さにびっくりしている。たとえば、先日、ハリーポッターの翻訳者として著名な松岡佑子さんが講演に来られた。新島記念講堂は一般来 場者も含め数多くの人で一杯となっていた。講演はスムーズに始まったかに見えたが、突然マイクの調子がおかしくなり、松岡さんの声が聞こえなくなった。 30秒から1分くらいたった頃だろうか、聴衆がざわざわとし始めた。私はこの講演会に直接関わっていたわけではないが、この大学の教員だ。5年前の私な ら、マイクが切れた瞬間にステージか調整室にすでに走り始めていたことだろう。さらにしばらくたっても状況が変わらないことを確認して初めて私は調整室へ の階段を走り始めた。走りながら、自分の腰の重さにびっくりした。

もちろ ん、みんながばたばたとするとかえって邪魔になるかもしれない。ひいては「当事者」である委員の先生方に迷惑をかけることになるかもしれない。でも、これ は後からつけたいい訳である。この一件は些細なこと、なのだろう。しかし、ささいなことの中に物事の本質が隠れていることがある、とはゼミの中で学生諸姉 によく言っていることだ。私は、自分の中の当事者意識、とでもいうべきものが希薄になってきているのではないか、と思った。

当 事者とは、誰のことなのか。たとえば、家族のことであれば当事者意識を持たざるを得ない。子どもが、妻が、親が、という際にはどうしたらいいか一生懸命に 考えるだろう。日本は今年立て続けに大きな災害に見舞われている。特に、10月の中越地震による新潟、台風23号による京都、兵庫北部の大きな被害は甚大 なものがあった。1995年の阪神淡路大震災が脳裏をよぎった人も少なくなかったことだろう。阪神淡路大震災の際には、この大学からもボランティアが組織 され被災地に救援物資を毎週交代で運んだ。でも、今回、自分自身の腰が重たくなっていることにここでも気付いた。ひょっとしたら、それは私だけの事だけな のかも知れない。現に、10月のスポーツフェスティバルでは学生委員が体育館の受付で募金を呼びかけていたし、自宅に帰ると、妻が、タオルや衣類を段ボー ルにつめていた。聞くと、台風の被害にあった大江町の町役場に届けるという。きっと、私の周りの人たちは、「当事者意識」を明確に持って、理不尽な被害に あった人たちを自分のこととしてとらえ、どう行動したらいいか考えているのだろう。

ひょっ としたら、どこまでが「私の隣人なのか」という、問い自体がきっと無意味なのかもしれない。そのような境界線、ボーダーラインを引くこと自体、こころを分 かち合う妨げとなるのだろう。出来ることをする、この単純な行動原理をもう一度思い出してみたい。まだまだ腰が重たい私だが、あまり大げさなことをしよう と思わず、いろいろな問題に、自分の問題としてとらえ、行動してみたい。

“A little difference makes a big difference.”
(ほんの小さな行動が大きな変化を産むのだ)

(同志社女子大学 Chapel News 12月号掲載)

(2004. 12. 1)