オックスフォード通信 Back in Japan!

Finally, I arrived at KIX at 8:30 local time in Osaka. I came back to Japan after a one-year interval. Everything seems small (including me). People are generally shorter, and even the luggage trail at Baggage Claim was narrower; airport assistants (mainly young ladies) tried to pick up the bags for the customers because many big ones derailed at the corner bend.

As some of my friends suggest to me, I should be a different person after spending one year in Oxford (AO: After Oxford).

I thank the readers of this blog for reading and supporting me. Thank you.

★One more thing: Trains are punctual as usual. I took Haruka train from KIX to Kyoto, which was perfectly punctual.

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オックスフォード通信(番外編: 368)フランクフルト空港の難

自動小銃を構えた警察官に囲まれました

今回のフライトは、ロンドン→フランクフルト→関西空港、というルートです。少し心配だったのが荷物です。以前にも書かせて頂きましたが、行きと異なり帰りはロンドン→羽田直行便が予約できなかったため、ルフトハンザとANAの共同運行での帰国となります。

1年間外国に滞在するとさすがに荷物が多いです。船便4箱、航空便1箱をロンドンのヤマト運輸で先に送付しました(考えたつもりだったのですが、重量オーバーのため、結果的に船便5箱、航空便2箱になりました)。スーツケースは2つに、入らなかったものを段ボール1箱にいれ、その他機内持ち込み荷物2,デーパック2という態勢で帰ってきています。

ラッキーだったのはチェックイン(預け入れ)の荷物です。ルフトハンザでは預け入れは一人1つまで、重量は23kgとなっています。いろいろと工夫をしましたがどう考えてもスーツケースが重い。案の定、カウンターでは26kgの表示が(2つとも)。おまけに+1。係員の女性は荷物を組み替えたらとすすめますが(高いよう – – -と脅かされました)、組み替えようがありません。高くても払うからということで手続きをすすめ、支払いの段階で電話で確認したところ、スペシャル・チケットなので追加料金は不要とのこと。ラッキー。日頃のおこないがよかったのかと思いました。係員はあなたは何者?みたいなセレブを見るような目つきに。卒業生でANAで働いているAさん達が手を回してくれたのかとも思ったのですが、ANAとの共同運行(ルフトハンザにとっては)で、私のチケットはもともとANA発行ですので、ANAのルール(一人2つまで)が適応された模様です(でも重量オーバーが無料になったのはよく分かりません)。

すごく気をよくして、TAX Refundを忘れずに済ませ( £18税金が返ってきました)、セキュリティーチェックへ。このヒースロー空港のセキュリティーチェックでは、キャリーバッグの荷物が不信ということで、その場で全部をチェックされました(5分程度)。これは私自身はじめてのことだったのでムカッとしながら我慢していました。

さて問題は、問題のないはずの乗り継ぎのフランクフルト空港のセキュリティーチェックです。もともと乗り継ぎで国外に出ていないのでチェックがあることすら知りませんでした。機械に荷物を載せる前に「Any electricity?」と言われましたので、ラップトップをいつものようにトレーに載せて本人も機械のセンサーのところへ。この時点で他の空港と異なるセンサーに違和感を覚えました。映画「Total Recall」のような大きく、最新版という感じのセンサーです。何か、このセキュリティーチェックの「やる気」を感じてしまいました。

そして、トレーに載せたデーパックとキャリーバッグがいつまで経っても出てこない。次第に、モニターの所に係員だけでなく自動小銃を持った2名の警察官もあつまりモニターを見つめています。私の前の男性の荷物がひっかったのだと思っていました。遠目に、何か、電線を巻いたコイルのようなものが映っていましたので、私とは関係ないと思っていました。するとさらに警察官が集まり、一時全てのブースのベルトコンベアがとまりその場に緊張感が走りました。

この時点でも私は全く関係ないと思っていたのですが、当事者と思われていた(私に)2名の男性は、君達の荷物は他のベルトコンベアに載せたからということで別の所に。残ったのは、6-7名の警察官に囲まれた私だけ。えええ、私の荷物?

Any electricity?といわれて懐中電灯が入っているけれどと事前に言ったときにはいいよ、という返事でしたので何も電気関係は入っていないはずだったのですが、1年間の滞在で使った携帯型プリンタ、Apple TV、SSDハードティスク、それに大量のケーブル。ヒースロー空港では問題にならなかったのでいいと思っていたのですが、これらはElectricityに該当するということで問題になったようです。最後には警察の責任者風の男性が来て、なぜこんなに沢山のケーブルがあるのだ、など恐い顔で詰問されます。それまでにも名前、生年月日、パスポート情報(カバンの中)などいろいろと質問。多分、遠目にみたら本人以上に大変な状況だったのでしょうね。最終的には10名を越える警察官が厳しい顔をして私を取り囲んでいました。

特に問題になったのが、パナソニック製の携帯型ウオッシュレット。これは以前にも書いた(はず)ように他のすぐれものにその役割を奪われこの3ヶ月くらいはほとんど使っていなかったのですが、持って帰ろうとキャリーバッグに入れていました。訳の分からない棒状のものは疑惑を深めたようです。仕方が無いので、中の棒を伸ばし用途を説明する羽目に。半分くらいの警察官は理解したようですが残りは???という感じです。もともとトイレにウオッシュレットがない国でそのポータブル版など説明を聞いても分かるはずはありません。

今、ほっとしてビールを飲んでいますが、一時は帰国便に間に合わないのでは・・・と危惧しました。総計40分程度。最初は冗談?と思ったのですが、全編真剣なやり取りになってしまいました。

でも疑惑が晴れてよかったです。

★今回の教訓:フランクフルト空港でelectricity?と言われたらひげ剃りも(これも問題になっていましたが、すぐに疑惑は晴れた)カメラもハードディスクも何もかも別トレーに出すこと。これから行かれる方はご注意を。

考えてみると、パリ駅のイギリス税関に続く尋問。これもまたいい経験と言えるか。

(2019.3.28)

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オックスフォード通信(349/16)ゴンドラに揺られて

ものは試し、ゴンドラに乗ってみました

どこで乗っても30分で€80と明朗会計です。ただ、30分で行ける範囲は思ったほど広くなく、ヴェネチア中心部のRealtoから乗るとマルコポーロの生家をまわって帰る程度です。それでもサンマルコ広場から乗るよりはマシなようであのため息橋(The bridege of sigh)を往復する程度で終わるようです。それだけ水面の移動には時間がかかるということでしょう。

大学時代(37年前)にはゴンドラに乗るなど思いもよらないことでしたので、昔果たせなかった夢を果たしたことになるのでしょうか。

水面にユラユラと揺られながら、極端な話ですがヴェネチアの人達は人生をこのように楽しんでいるのかもしれないと思いました。実に気持ちのいいものです。普段よりも低い視点から建物、道、歩く人が見えます。また直線距離を移動しますが移動スピードは歩くよりも遅いか早いかという暗いのスピードです。

しばらくすると細い路地の運河に移動します。水面から見上げると4階建ての建物でも見上げる程の高さになります。こうやってゆっくりと移動すると心持ちもユッタリとします。ヴェネチアに二泊三日、この街の魅力を堪能したように思います。考えてみるとこの間一度も自動車というものに乗らなかっただけでなく目にしませんでした。ヴェネチアは大小の運河と細い路地ばかりですので車が入る余地がありません。

水上都市の面目躍如というところでしょうか。日頃の喧噪がから逃れてのんびりした気持ちになりました。

移動するスピードをゆっくりとすると心の在り方もゆったりします。これは今回の体験です。

帰りの飛行機はマルコポーロ空港8:20発のBritish Airwaysです。アナウンスにあったとおりアルプス上空を飛んでいる際かなり揺れました。こちらの揺れはゴンドラとは異なり命の危険を感じます。これまであまり飛行機に乗って揺れた経験がないので(一度、カナダのカルガリーからバンクーバーへ飛んだ時、乗客が祈りを捧げるほど揺れたことがありました)ドキッとします。

いい意味でもそうでない意味でも旅をするといろいろなことを考えさせられます。

PS. 機上でこの草稿を書いています。ロンドンまであと485kmという表示が。あと1時間。全部でも1時間50分。しかも時差で1時間戻るので、20:20に出発して到着は21:10。

★今回の教訓:3.11から8年。その時どこで何をしていたか、生涯忘れることはない。1.17, 9.11とあわせて。

(2019.3.11)

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オックスフォード通信(348/17)ムラノ

ヴェネチアガラスのメッカ、ムラノ・アイランド(日本語に訳しやすいです:村の島)

現在宿泊しているホテルはS. Angeloのすぐ前。運河に面していてとても便利な場所にあります。ACTvという水上バスに乗って一路S. Marcoへ。運賃は24時間乗り放題ですが、S. Angeloは小さなバス停なので自販機もなし。船の中で買うことに。本当は2日券を買いたかったので、S. Marcoで降りたら買うというと、じゃあSt. Marcoまでの乗車券を買えとおっしゃる。幾らと聞くと€15と。やむなく一日券を買うことに(€20。この辺りの料金設定の無茶苦茶さがイギリスとよく似ています)。

ムラノという日本人的な名前の島まで約1時間。途中の(水上)バス停を停まり停まり進みます。ムラノは運河沿いはほぼすべてヴェネチアガラス一色。ブラブラとあるいていると天気も良く個々地域持ちです。

良く思うのですが、人の幸せの1/3健康状態が占めると思います。残りは、1/3が仕事や経済状態、達成感など、そしてあとの1/3が住んでいる場所の気候や天気ではないかと。その意味ではヴェネチアを歩いている人は観光客だけでなく、在住の皆さんも幸せそうに見えます。このようないい天気ばかりではないかもしれませんが、風光明媚で3月でも温暖な気候であると自然と笑みが漏れてきます。

今回、私はイギリスから飛行機で1時間50分(実際には時差があるので時刻上は+1時間)でヴェネチアに到着しています。ヨーロッパに住んでいれば2時間くらいでどこにでも行ける計算です(もちろん南の端から北の端まではもう少し時間がかかりますが)。そう考えるとヨーロッパに住むということはとても幸せなことだと思います。少し寒いところにも温かいところにも気分に合わせて移動することが出来る。バカンスを本格的に楽しむことができます。太陽の光をたくさん浴びると北風と太陽の寓話ではありませんが、自然とポジティブな気持ちになります。何かあたらしいことをはじめてみようという気持ちになることができます。

今回は時間の関係でヴェネチアのみの訪問ですが、歩きながら幸せを噛みしめることができるように思います。

ちなみにムラノでは(中にはMurano Shopというお店もあって、日本語に直して一人で笑っていました)、ヴェネチアガラスの店でペーパーウエイトを購入しました。なかなか気に入っています。

PS. サンマルコ広場などで日本人特に大学生風の観光客を沢山目にします。中国人よりも日本人観光客の方が多いような印象です。そんなにヴェネチアって人気あったのかと思っていました。

★今回の教訓:人の気持ちなんて案外簡単に変わるもの。天気が良ければそれだけでハッピーな気持ちになるのが不思議。

(2019.3.10)

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オックスフォード通信(347/18)ヴェネチアの迷路

今回はヴェネチアの島のホテルに滞在しています(前回といっても、大学3回生時ですので、37年前は大陸部のシティーにあるホテルに泊まりました)

その関係で食事の後も歩いてホテルまで帰ることが出来るのは有り難いのですが、このヴェネチアの島の部分はメイズのような迷路です。細い路地が張り巡らされ、途中に運河を渡る橋があちらこちらに架かっています。かと思えばその橋が架かっていないところがって、つまるところ行き止まりになります。

特に夜は見当がつきにくいのでどうしてもスマートフォンのGoogle Mapを頼りに歩くことになります。私だけかと思えば、みなさん歩いている顔が薄青い。つまり携帯の光に顔が照らされて歩いておられます。結局、みんな道が分からずGoogle Mapを見ながら右往左往しているようです。

このような迷路はどこかで経験したなあ、と思い出してみると、大学時代に訪れたモロッコ・ラバトの旧市街地(メディナ)が同様の迷路になっていました(当時はスマートフォンもなかったので迷路から脱出するのが大変でした)。

しかし、そのメイズのような路地を歩いていると昔ここが都市国家として独立した国であった誇りとその面影を垣間見ることが出来るような気になります。どの壁面を見上げても風格があります。歴史が何かを私に語りかけてくれているな気にすらなります。

ヴェネチア、ヨーロッパ中のヨーロッパと言えるかもしれません。

★今回の教訓:水辺の都市は面白い。道路に自動車が走っていない。簡単なことだけどすごい。工事の物資も宅配もボートで運搬。自動車完全ゼロも達成できるもの。

(2019.3.9)

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オックスフォード通信(346/19)コンタクトレスとキャッシュ

オックスフォードに住んでいるとクレジットカードが進化しているのがよく分かります

今朝は2時半に起床、3時半にタクシーを予約して(時間どおり来てくださいました。降りかけに君達は日本人か、私はパキスタンから来たと親愛の情を示してくれました。少しチップをはずんでおきました)、さあグロスターグリーンからperiod returnという3ヶ月有効の往復チケットを買おうとすると、 £30以上はコンタクトレスではダメだと運転手がのたまいました。

最初、え、と思ったのですが、前にもそのような状況があってすっかり忘れていたことを恥ずかしく思いました。まだ腰が痛いのですが、近くのATMまでダッシュで小走りしてキャッシュを下ろしてきて事なきを得ました。

オックスフォードでは、現金→クレジットカード→それの進化形で暗証番号を入力しないでカードをマシンにかざすだけで決済が出来る→それのアップルペイ版と進化しています。現在、多くの場合、最後のアップルペイを使うことが多いです。それは、わざわざ財布からクレジットカードを出す必要がなく、iPhone Xであれば顔認証でアップルペイの画面が出てくる便利さからです。

ところが、今回の場合のように £30以上はだめだとか制約を覚えておかないと大変なことになります。今回は近くにATMがあったから良かったのですが(このようなことがあるから近くにおいてあるのでしょうけれど)そうでないとバス自体に乗れなくなってしまします(片道切符を買えばいいのですが)。

ただ不思議なのは便利だと、全部それで済むと勘違いしてしまい、前回の失敗を忘れてしまうことです。日本でもカード決済がもうすぐ本格的に利用される時代になることだと思いますが、今回のような制限事項は付きまとうとおもいますのでよく覚えておかないといけないと思います。

★今回の教訓:ロンドン~フランス上空~スイス~イタリアと飛行した模様。途中、スイス上空でアルプスが雲から顔を出してくれた。とても綺麗だった。

(2019.3.8)

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オックスフォード通信(328/37)モーアの断崖

アイルランドで有名というと断崖

一日ツアーに参加してきました。北アイルランドのGiant’s Causewayにも興味があったのですが、単純に1時間分遠いということ、西のCliffs of Moher(モーアの断崖)を選択しました。Brian(ガイド)とRob(運転手)のコンビはFriednlyで親切。アイルランドは裏切りません。

M7を西へ西へ、Limerickから空港のあるShannonを通り、Doolinの近くからは大西洋が姿を現します。ここまで約4時間。しかし、Brianはアイルランドの歴史を中心にほぼずっと話しまくり飽きさせません。またすごいと思うのが、客席へ歩み寄り一人一人に何か質問はないか、といいながら話かけてくるところです。このタイプのガイドははじめてです。

特注、Barack Obama Plazaというドライブインで休憩(行きも帰りも)。はじめは冗談かとおもったのですが、オバマ大統領の母方のgreat-great-great father(もうひとつgreatがついていたかも)がこの近くのMoneygall村の出身ということで、大統領の任期中に専用のヘリコプターでこの地に降り立ったそうです。その時のヘリコプターの写真や本人の写真が、2Fにはアイルランドにゆかりのあるアメリカ大統領の展示会場があります。本人のほぼ実物大の写真だけでなく、外には銅像も。日本も小浜市が何かすればよかったのに、と思うのですが、名前以外のつながりを見つけるのは難しいところですね。

さて、モーアの断崖。断崖の連続で直角に切り立っています。幸運にも天気に恵まれ青空を背景に太陽がキラキラと綺麗です。Walk Trailが作ってあって安全にみることができるのですが、何十メータ(アイルランドはメトリック法でメートル・キロ表示なので分かりやすい)したの海上からものすごい風が吹き上げてきて、潮くさくないのですが、雨が降っているような場所とものすごい風が海から吹いているところ(ほぼ全域か)があります。大人でも吹き飛ばされるくらいの風速で台風レベルです。

なのでフェンスよりも外にでてはいけないといわれているのですが、命知らずの人達が数多く崖の近くまで。風が反対側から吹いたり、足下が崩れたら一巻の終わりです。GoProを手にした青年が崖の外に一脚を伸ばし、その青年を家族で支えているという場面も目撃しました。Rangerと印字されたジャンパーを着た監視員もいますが、下に落ちてしまったらどうしようもないと思います。

しかし、この絶景はいままでみたことのないような息を呑むようなものでした。なぜでしょうか。明るい大西洋があるからなのか、日本海のような荒波が崖にぶち当たる荒々しさがいいからなのでしょうか。虹もかかり、風に体を揺らされながら約2時間、この風景に見とれました。

自然は偉大だということを実感させられます。新婚旅行にも絶好だと思います。

帰りはThe Fieldというアイルランド映画と乗客からのリクエストでアイルランドがでてくるPS. I love youの映画を観ながらダブリン市内まで戻ってきました。優に午後9時を回っていましたが、いい疲労感につつまれることができましした。

アイルランドは人口600万人の小さな国ですが、緑豊かな、魅力的な場所だと思います。

★今回の教訓:ブライアンの饒舌な語りに感動。しかもアイルランド英語の方が日本人には分かりやすいと思う。グローバルリンガフランカのモデルになるか。

(2019.2.18)

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オックスフォード通信(304/61)ブリュッセルのチョコレート

GODIVAは日本でも有名なチョコレートブランドです

Great Placeの一角にはこのGODIVAの本店でしょう、品のいい店があります。一応中に入ってみたのですが、価格はGODIVAの地元のベルギーでもかなり高め。せめて何か他のお土産でも買って帰ろうと思ったのですが、チョコレート以外はないとのことです。

しかし街中は歩いても歩いてもどこにもチョコレート店を見つけることができます。製品版のチョコレートはどこでも高めなのですが「割れチョコレート」という商品には形が悪かったりするものを大ざっぱに袋に入れて売っているのが狙い目です。Elizabethというこれもブリュッセルでは有名店でその割れチョコレートを2袋買ってきました。形は悪くても味は同じです。

日本ではGODIVAばかりが脚光を浴びますが、味の良さというよりは宣伝のうまさなのでしょう。旅のいいところは現地で日本では知られていないような(例えばチョコレートなら)ブランドを自分の足で探してみるところにあるのかもしれません。

PS. この草稿は3月に入ってから修正をしているのですが、ベルギーのチョコレート、ちびちび食べているのですがまだまだ残っています。沢山買いすぎたかも。この調子なら帰国までに完食とはいかないかもしれません。

★今回の教訓:巷で宣伝されるブランドに惑わされてはいけない。ベルギーではGODIVAはone of themなのではないだろうか。

(2019.1.25)
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オックスフォード通信(303/62)EU本部

ブリュッセルにあるEU本部に行ってきました

ブリュッセルといえば、Grand Place も有名ですが、現在Brexitで話題が持ちきりのこのEU Head Quarterは見逃すことができません。Grand Place近くの地下鉄駅から5つの駅離れたところに最寄りの地下鉄駅があります。そこは空港とも直接鉄道で結ばれている所で、駅に降り立つとあちらこちらにEUの旗を目にします。

そして、地上に出ると、TVでよく目にするEU本部の建物が。一周してみたのですが(寒かった)、十字のような均一な形をしていることが分かります。TVなどではその一角を映しているのしょう。意気揚々とVisitorと書かれた入り口へ。そこで、Visitor?と聞かれたので、Yes, we are. と元気よく答えると残念ながらこの建物は一般訪問客は入ることが出来ないとのこと。何か理由をこじつけて入れて貰おうかとも思ったので、付近には自動小銃を首から提げた迷彩服を着たどこかの軍人(EU軍ってあったっけ?)もウロウロしていたので、ここはおとなしくどの建物であれば見学できるか尋ねることにしました。

パーラメント、すなわちEU議会とミュージアムは見学できるということでしたので、そこを目指すことに。歩いているとクビからランヤードで身分証明書を下げた人達がウヨウヨしておられます。残念ながら議会見学は終わったところで、次は午後2時ということでしたので断念して、EUの歴史を紹介する建物へ。

そこはまさにEUの歴史がぎっしり詰まっている世界でした。EUの歴史は第一世界大戦、特にほぼ全域が戦場となった第2次世界大戦の悲惨な状況からスタートしました。いかにして、そのような惨劇を繰り返さないようにするか、それにはヨーロッパ諸国がアメリカのような、United European Coutriesを築くしかないという強い決意に基づいてました。ここから徐々にEU加盟国を増やし現在の姿となっています。その間、特に、ソ連支配下にあったリトアニア、ラトビアなどの諸国の独立とEUへの加盟、同様にチェコやポーランドなどの東欧諸国のソ連からの離脱が大きな出来事として描かれていました。

現在のイギリスのBrexitでは関税同盟や人と物の行き来ばかりがクローズアップされていますが、もともと戦争を繰り返さないための国家間の共同戦略としてこのEUが構築されてきたことがよく分かります。そこには崇高な思想を見てとることができます。

このEUには小学生から中学生、高校生まで(高校の引率の先生はタバコを吸いながら歩いていました、これも有り、なんですね)多くの生徒・学生が見学に来ていました。確かに見る価値は大いにあると思います。私が中高校なら、将来は実態、このような国際機関で働いてみたいと思うと思います。

国家間統合の上に、移動の自由、それをもっと簡単にするために、ユーロトンネルを掘り、ユーロスターをロンドン~パリ~ブリュッセル~アムステルダムに走らせる。そして、共通言語の指標としてCEFRを作成し、母語以外に+2言語、コミュニケーションの手段として使えるように各国の教育の中で指導するようにする。実際に、EU本部周辺を歩いてみていろいろなことがつながる(Connecting the dots)ように思いました。

第二次世界大戦の反省をもとに国家戦略を共有しているEUに対して、日本はどうだろうと考えざるを得ません。アメリカ一辺倒の作戦は有効な部分があるかもしれませんが人々の共感を得ることは出来ないと思います。また、グローバル化との齟齬も大きくなってくると思います。第二言語教育政策も含めた日本としての国家戦略が問われているように、いやそれがなければ立ちゆかないのだと思います。

EUからもう少し学ぶ必要があるように思います。

★今回の教訓:このブログも帰りのユーロスター車内で。雪のため50分くらい遅れるのでイヤなら無料で他の日に予約を変更するよ、というメールが来ていた割にはほぼ時間通りに(出発は定時よりも2分早かった!)到着しそう。ドーバー海峡の地下トンネルも10分くらいで通過。ユーロスターがあれば、京都から博多へ行くくらいの感覚でブリュッセルとロンドンを行き来できる(実際、午後5時くらいまでブリュッセル市内にて、午後6:55の電車に、2時間の乗車だけれど、時差の関係で帰りはマイナス1時間となるので、ロンドン到着は午後8時、時計的には1時間。実際、ブリュッセル中央駅には5:30に到着。荷物検査、ベルギー側出国、イギリス入国ともスイスイとスムーズ(Residentila Permitを最初に提示したせいか、質問ゼロ)。ユーロスターを見直しました。

(2019.1.24)

オックスフォード通信(302/63)ブリュッセルはフランス語の世界

ブリュッセルではフランス語をよく聞きます

旅行者の人達のドイツ語やスペイン語を除けばほぼフランス語の世界といってもいいかもしれません。ユーロスターのような国際電車でもベルギー国境を越えると、それまでの英語・フランス語の車内放送が、フランス語・英語の順番に変わります。

ブリュッセル市内はというとほぼフランス語の世界です。レストランでもホテルでも最初はフランス語、そしてこちらがフランス語ができないと悟ると瞬間的に英語での会話に切り替わります。

イギリスでこれまでずっと英語の世界に浸ってきただけに、フランス語中心の世界は少し衝撃でした。パリのようにもともとフランス語の総本山であればそうでもないのですが、ベルギーのような回りをオランダ、フランス、ルクセンブルクなどの囲まれている国でフランス語がほぼ日常会話を占めているのは興味深い事実です。そして必要であれば、英語も話すということです。分かりにくいかもしれませんが、私が言いたいのは英語を神聖化もしていないし、英語が話せることがそれほど大したことでもないという認識がすごいということなのです。いわば、英語は one of them に過ぎないということです。言い方を変えると、必要がある人には英語で会話しますけれど私達はフランス語に誇りを持っていますよ、という認識が新鮮だということです。これらはよく考えると、EU諸国に共通の特徴かもしれません。

一方、ブリュッセル市内でお話をする機会のあったみなさんは全て必要最小限の英語は話せる印象です。これは日本人が目指す英語のモデル、国際語としての英語 (English as a globa lingua franca) として適しているのかもしれません。

今回の旅はブリュッセルのみということなので、街を歩いたり、美味しいものを食べたりとゆっくりの旅行となりました。まずはベルギーというとビールということで、Grand Place に面するパブで3色のビールとムール貝を頂きました。イギリスではビールとワインが半々かレストランではむしろワインの方が多く飲まれているような印象でしたが、ベルギーではビールが飲まれている姿をよく見ました。しかもアルコール度数が6-7%くらいの強めのビールです(日本のビールは4-5%)。

これはイギリスと比べてもグンと寒い事が影響しているのでしょう。寒いところではアルコール度数が高くないと寒くてやってられないのでしょう。しかもレストランやパブ内は禁煙というのがイギリスと共通のことのようで、恐らく氷点下になっていたと思いますが、そのような寒さの中でも息が白くなりながらタバコを吸い、ビールを飲んでいる人達(ほぼ男性)の姿をよく見かけました。

オックスフォードでもそうですが、目を背けることができないのがpanhandlerの人達です。オックスフォードの街中にも中心部の角のいくつかに座っている人を見かけるのですが、ブリュッセルでは特に多く見かけたように思います。今晩は寒かったせいか、警察官が一斉に出動してどこか(恐らくシェルター)に移動するように指示をしているようでした(フランス語が分からないので恐らくですが)。日本でもホームレスの人達を見かけることはありますが、panhandlerの人達をみかけることはありません(映画「砂の器」ではありましたが)。ブリュッセルの地下鉄の中にもプラカードを持った人がpanhandlerに来ることもありました(これはパリとよく似ています)。それだけ移民の人達が多いとか貧富の格差が大きくなっていることの表れなのかもしれません。日本でも所得差が大きくなっているのは事実ですが、このような姿で、目にすることは多くないだけに目にする度に衝撃を受けます。特に氷点下の寒い中、子どもを連れた人達も毛布にくるまって座っている姿を目にします。

ベルギービールやムール貝を頂いたり楽しいことが多いのですが、いろいろな事を考えさせられるのが旅のいいところかもしれません。

★今回の教訓:英語は日常界隈程度少し話せるといいのかもしれない。ただそれは国民の一般レベルの話だが。専門的に話す必要のある人は+α必要なことは間違いないが。国民レベルで考える際には、必要な英語はそれほど高くなくていいと思う。グローバル化という言葉は高いレベルの英語を想像させるがそれほど頑張らなくてもいいのかもしれない。それよりも母語や自国の文化に誇りを持てることの方が重要だろう。

(2019.1.23)

オックスフォード通信(301/64)Eurostar again

ベルギー・ブリュッセルに本日より二泊三日の予定で旅行に出かけています

目的はいろいろとあるのですが、年末にパリ~ロンドンへのユーロスターの旅がいろいろとあったので(詳しくはxxを参照)、今回はすっきりと楽しくユーロスターに乗ってみたいというのが目的の1/3くらいを占めています。

ロンドンからはキングスクロス駅(ハリーポッターの9・3/4ホームで有名)に隣接のPancras International Station から出発します。8:55発の電車(パリ行きと異なり2時間に一本の頻度で出発しています:所要時間約2時間+1時間の時差)。パリはクリスマスシーズンということもありパスポートコントロールが長蛇の列でしたので、ゲートが閉め切られる30分前よりも更に1時間くらい前に到着するよう、朝6:05オックスフォード発のTubeバスで出発しました。余裕と思っていたのですが、ロンドン近郊にさしかかった辺りで雲行きが怪しくなってきました。

渋滞です。

この時間は大丈夫だとおもっていたのですが(ロンドン市内に近づいたのが午前7時前だったので通勤ラッシュよりは1時間くらい早いと予想していました)、イギリス人は予想以上に早起きで早く家を出ているようです。余裕と思っていたのが一変、Google Mapで計算するとNotting Hill Gate からどのルートで地下鉄に乗ってもPancras 駅に到着するのが午前8時半、出発の25分前でアウトです。

バスの中では急いでも仕方ないのでどのバス停で降りるべきか冷静に考えながら、策を練りました。結果的にはNotting Hill Gate のバス停で降り(その前のShepard’s Bushは地下鉄の選択肢が少ない)、Centeral LineとCircle Lineに乗るがの得策出あることが分かりました。本当はもっと早く渋滞情報をキャッチして、ロンドン郊外のxx駅で降りて地下鉄に乗り換えるべきでした(イギリスはバスに乗っていても安心できません:以前、電車よりもバスと言っていたのですが・・・)。

Notting Hill Gate バス停、到着、7:52 → オイスターカードをすぐに出せるようにしておいて 7:57 Notting Hill Gate Station (Central Line) から地下鉄に乗車  → 8:04 Edgware Road StatinでHammersmith Statin で乗り換え → 8:15 King’s Cross/ Pancras International Station に到着。乗り換えで2分早い電車に乗れていました。ひょっとしたら間に合うのではないかという期待が。

小走りで(全力で走らない・走れない)地下鉄の駅から Pancras International Station の方向を表示をよく見ながら慎重に方向を見定めて移動。結果的に35分前に駅に到着することが出来ました。

いま、このブログはユーロスター内、丁度、ドーバー海峡の地下トンネルを通過している間に書いているのですが、余裕を持ってと言う初期の目的は果たせなかったのですが、電車に乗り遅れる事態は避けることが出来ました。

今、丁度、ドーバー海峡の地下トンネルを抜けて、フランス側に抜けたところです。車内放送もこれまでの英語・フランス語の順番からフランス語・英語の順番に変わりました。外はうっすらと雪が積もっています。先ほどの車内放送でもカレー付近の悪天候のため電車が遅れると連絡がありました。

Pancras International Stationのパスポートコントロールは、イギリス出国(1分)、フランス入国(EU)(1分)と拍子抜けするくらい簡単なものでした(逆に荷物検査で詰まって渋滞を起こしていました)。駅構内は少し空港のようなゆったりした雰囲気。カフェにもクロワッサンが置いてあります。

★今回の教訓:今回はカレー周辺の大雪で10分遅れただけでブリュッセルに到着。快適な旅だった。

(2019.1.22)

オックスフォード通信(297/68)スマホをイギリスの地下鉄でなくしたら?

スマホをイギリスの地下鉄でなくしたら?

諦める、諦めざるを得ない、Lost and Foundへ行く。

このあたりが多くの人が取る手段だと思いますが、そうでない人達もいます。

私の知り合いの日本人の例。旅行者です。夜の11時半くらいに携帯に電話が標題の内容でかかってきました。相方がロンドンで無くしたとのことです。日本でもそうですが、もうその時間では何をしても無駄だと思います。今晩は諦めて明日の朝一番に下車した地下鉄の駅に行って、相談するように、そしてその英語も伝えて電話を切りました。ロンドンとはいえ夜は物騒なので、しかも女性が出歩くのは危ないからとくれぐれも出歩かないように念を押しておきました。

すると30分後にまた電話が。

今後は相手が何を言っているか分からないので代わって欲しいとのこと。代わると、何と、地下鉄の駅員さんでした。「スマホなくしたといっているけどあるわけないやろ」「忘れ物が届く駅が2つ先にあるので、明日の朝、行ってみてくれ」とのことです。当然至極の対応です。

でもその二人を見捨てる分けにも行かず、そのロストアンドファウンドのある駅を教えてもらって電話を切りました。ここまでのところで、あれほど念を押したのに夜にノコノコとスマホを外で探している様子に激怒しそうになりましたが、よく考えるとそのスマホには大事な情報だけでなく、この旅行で取った沢山の写真が入っていることを想像しました。

夜はもう12時を回っています。そこで妻の登場。その無くしたスマホに電話してみたら?でも出るわけがない、と思いつつ電話してみました。すると、Hello..との返答。出た!Who is this? と聞いてみるとそのロストアンドファウンドのある駅の駅員さんでした。

この時ほどビックリしたことはありません。

スマホの型、色もピッタリで、本人のものと判明。翌朝一番に取りに伺うと感謝して電話を切りました。

深夜まで対応するロンドンの地下鉄の駅員さんにも感動しましたが、恐らく電車の座席の上に忘れられていたのでしょう。それを駅員さんに渡してくれたロンドン子の親切さにも感動。

外国で旅先でこのような親切にであうと一生忘れませんね。

★今回の教訓:素朴な疑問、なぜはじめから自分のスマホに電話しなかったの?

(2019.1.18)

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オックスフォード通信(277/88)イギリス再入国の難:BRP

パリからは華麗にユーロスターで帰国の予定でした

ユーロスターの発着するパリ北駅(Gare Nord)に到着したのはユーロスター発車の1時間前。既に多くの人の列が。その時点で15:13発の電車に間に合わないのではないかというイヤな予感が。

パリ到着からこのタイプの直感はいろいろと当たっています。

その1)パリ到着した日は快晴で凱旋門に登ると(階段なので本当に登頂という感じ)エッフェル塔などパリ市内を一望することができました。きっと夜景も綺麗だと思ったのですが、その日は疲れていたので、再度登る気にもなれず、最終日にしようということになりました。でもパリでこんなに天気がいいのは珍しいのでその日に登っておかなくてはと思ったのですが、案の定、最終日のみならず残りの2日間は曇天で、エッフェル塔のてっぺんも霧に隠れるくらいでした。しんどくても天気のいい日に登っておかなくてはなりません。

その2)天気は悪いが最終日に凱旋門の上からシャンゼリゼ通りを眺めようと、閉門時間が10:30なのでそれに間に合うように行こうとしていました。私は走った方がいいのではと直感的に思ったのですが、慌てる必要はないとの声に普通に歩いて行ったところ、10時閉門で10:30最終下門ということらしく凱旋門の入り口に着いたのが10:02。タッチの差でアウト、夜景をみることができませんでした。丁度、片付けをしているところが見えたので本当は1分少しの差だったと思います。

さて、ユーロスターに話を戻すと、北駅の中でまず大行列に並び、最初にたどり着いたのが、フランス国境です。ここでパスポートを見せて無事フランスを出国することになります。やれやれと思っていたら、今度はイギリスのパスポートコントロール。フランスに比べて明らかに進度が遅い。フランスのパスポートコントロールが4-5名だったのに対して、イギリスは3名。もちろん、出国と入国の差はあるでしょうが、どうも発車に間に合いそうにない気配。その時、フランス語・英語の放送で15:13のユーロスター、最後のお客さんが乗り込むまで発車することはありません、という愛にあふれた放送が。しかも2度も。これで電車に乗れると思ったのですが。さて、私の番がやって来ました。空港の税関よりもはるかに多くの質問が。イギリスで何をしているのか、何ヶ月住んでいるのか、いつまでいるのか、専門は何かなどなど。そして最後になぜBRP (Biometric residence permits = 居住許可証) を持っていないのかという質問が。

はて、BRP は必要なの?

今回の旅は実はいろいろと構えて臨みました。バルセロナは世界の最高峰を争うくらいスリが多い。パリもしかり。絶対にiPhoneを出してはいけない(半分ウソ)。なので不要だと思われるものはすべて「置いてゆく」ことにしました。クレジットカードは日本のものを1点、その他は空港のラウンジカード、そして帰りのロンドンで乗るはずの地下鉄のオイスターカード。以上3点のみです。これにiPhoneがあれば十分のはずでした。BRPはパスポートがあるのであえて要らないだろうと必要なものにカウントせず出発しました。

事実、ヒースロー空港からイギリスを出国する際にも何ら問題がありませんでした(もっと振り返ると秋にドイツに旅行した際、イギリスに再入国する際にはパスポートだけでOKでした)。ところが、パリ北駅に到着した際に、提示するものとして「身分証明書とパスポート」と怪しい掲示があったのです。さて、質問に戻ると、持ってきていないというと、それまでの笑顔が(3人の中で一番ニコヤカそうな顔立ちでした)急に曇り、「どこにあるの?」「自宅のフラットに忘れてきた」「なぜ忘れてきた?」「要ると思わなかった」「今度から気をつけます」「今度はないよ」と、ここで話が終わると思ったのですが、目の前で何やら定型の書類にチェックをいれたり私の名前を書き入れたりと作業が始まりました。これはどこかで見たことのあるような風景だなと思ってみていたら、そうイギリスに来た当初、銀行口座を開設しようと思ってバークレー銀行ですったもんだがあった際に、銀行員が手書きでコンピュータ画面をメモしていたことを思い出しました。イギリスは何か、トラブルがあった際には、究極の手書きで何かを作業するのです。

とてもイヤな予感が。更にその途中で係員が交替、と思いきや、私のパスポート一式を持ってブースから出てくるではないですか。そしてこちらへ来いと。えええ、居住許可証を忘れたことってそんない悪いことなの?だったらどこからに大きく書いておいて欲しいと思いますね。

別室の前で待て、とのこと。既にそこにはトラブルをかかえた2組(人)の皆さんが。そして10分おきくらいに係員がやって来て最初に1名は振り出しに戻るように出発ゲートと反対方向へ。2人目は無事だったようで、といってもパスポートにA4の分厚い書類が挟んであるのを見ました。私はまだ「全員が乗るまで出発しない」というアナウンスを信じながらイライラして待っていました。

私はこのようなときにイライラしない人の気持ちが分かりません。そりゃイライラしたり立って待っていても何も状況は変わらないかもしれませんが、イライラ⇄イライラしない、という図式ではなくて、こうすればこうなるという解決策を考えるのが状況を改善する方法だと思います。このような状況でイライラしていない人をみると余計にイライラ感が募ります。イライラしないのは単に当事者意識が欠けているからなのでは?と思うわけです。

そのイライラして待つこと20分、既に時計は出発時刻よりも30分過ぎています。係員は今度だけだといいながら、何も書類も挟まないパスポートを返却し、荷物チェックに急げという。急いで荷物チェックのコンベアー(このチェックは結果的にやってますよという儀式だけでチェックしている人を見なかった!)を通り過ぎ、ホームにダッシュ、と思いきや途中にアテンダント風の女性がいたので、15:13のユーロスターは?とすがるような思いで聞いたところ、

It is gone!

と分かりやすい英語の返答が。ガッカリするよりはそりゃ流石に30分も待っていることはないよな、というあきらめの気持ちの方が大きかったです。アテンダントの女性は慣れた手つきで次のユーロスターの(なにせ30分に1本です)空き座席を確認して、ハイと次の16:13発のユーロスターの乗車券を渡してくれました。

Gatwick空港のドローン騒動から始まった旅はユーロスター乗り遅れ(というよりはBRPの不携帯)という失態で幕を閉じることになりました。持ち物には気をつけたいものです。

(2018.12.29)

★今回の教訓:日本ならこのような状況が発生する場合、何度もテレビや新聞などで注意を促すでしょうが、イギリスが異なるはすべて個人責任であるという点だ。責任のある個人が自分でその情報を集める必要がある点だ。飛行機では不要だったからユーロスターでは・・・というのではなくそれぞれ丁寧に情報を集めなくてはいけないということなのだろう。

オックスフォード通信(276/89)パリ紀行(3)バルセロナとパリ

昨日、オルセー美術館に行ってみて少しビックリしたことがあります

それはオルセー美術館の中でピカソ展をやっていたことです。まあ、美術館の中で展覧会というのはあり得ないことではないのでしょう。でも本当にビックリしたのは、バルセロナのピカソ美術館で見たかった一番の絵画がこのピカソ展インオルセー美術館で展示してあったことです。

絵も旅をするのだなあ、と思いつつ、実は、ピカソ自身も同じように旅をしていたのだと思い出しました。若きピカソはバルセロナで腕を磨き、頭角を現すなかでパリにその活躍の場を見いだしました。このバルセロナとパリは対照的な街なのかもしれません。

バルセロナは太陽が主人公のような明るい地中海をイメージする街です。そこにいるだけで太陽が応援してくれているような明るい気持ちになれます。一方、パリというと同じ12月でも気温が10℃くらいも低く、考えはどんどん自分の内側に指向するような気持ちになります。パリでは大らかさよりは真剣さ、踊り出すような明るい気持ちよりはじっくり考え抜くような事に向いている街だと思います。

ピカソも画家としての成熟度が高まるにつれて、パリという街で新たな画風を見いだそうとしたのかもしれません。しかし、マネやモネ、ルノワールといった印象派の画家達にはそのような深刻さが見いだされません。ひょっとしたら彼らはパリではなくて、フランスでも南仏のマルセイユやニースで絵を描いていたのかもしれません。

バルセロナとパリは好対照なおもしろい街だと思います。

仕事をするのに住む街を変えることは贅沢なことですが、できればやってみたいものです。私は断然、バルセロナ派です。冬のこの時期にオックスフォードでいうところの夏があるのは素晴らしいです。

何もしなくても、バルセロナにいるだけで幸せな気持ちになることができます。

(2018.12.28)

★今回の教訓:といいながら冬のパリも美しい。シャンゼリゼ通りのライトアップは息を呑むよう。このような美しさと寒さはよくマッチするような気もする。

オックスフォード通信(275/90)パリ紀行(2)29年ぶりのルーブル美術館

さすがスリの本場です。

昨夜の白タクに続き今度は凱旋門近くでスリ集団に遭遇しました。というよりは、日本人観光客を待ち構えていたと言った方が正確でしょう。私はあまりきれいな格好で旅行に出ないので、みなりからしてどう考えてもお金を持っているよう見えないので安全です。今回の旅行にはクリスマス休暇ということで大阪で働いている娘も合流しています(フィンエアにてバルセロナで合流。そのこともあり、Gatwick空港の騒動にも関わらず是が非でもスペインに飛ぶ必要が有りました)。

約30年前にパリを訪問した際にはサクレ・クール寺院周辺でジブシー風の子ども達に囲まれた記憶がありますが、今回は身なりもきれいでどう見ても高校生くらいの女の子(という感じです)7-8名。凱旋門の近くのメトロ駅を上がると待ってましたとばかり娘の回りに3-4名が。デーパックがあっという間に開けられてしまいました。幸いそこには何も無かったので無害だったのですが、驚くのは悪びれないところ。こちらが英語で文句言ってもフランス語で言い返してくる。きっと油断している方が悪いんだとでもいっていたのでしょうか。

私達を諦めたようで、渋々退散しましたが、様子を見ていると、次に駅から上がってくる日本人観光客をねらっています。ねらわれているのは日本人ばかり。英語教育が批判されますが、このような危機的状況でどのように英語で対応するか、中学校で教えてておくほうがいいかもしれません。

そんなことがありましたが、凱旋門を(エレベーターで)上がると快晴のパリが眼下にひろがっていました。朝一番で正解でした。

(2018.12.27)

★今回の教訓:詐欺やスリと共存しているのがフランスか?でもそのような中でもたくましくサバイブしなければならない。
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オックスフォード通信(274/91)パリ紀行(1)白タクとスリ

バルセロナからパリに飛行機で移動しています

パリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着。予想以上にスムーズに税関も(予想に反して、スペイン→フランスでもパスポートチェックはありました。
シェンゲン協定では不要のはずですが)通り、さあ、クリスマスの日のタクシーはあるかと思って、乗り場に行くと、Paris?と声をかけてくる人が。Wi!というと乗り場は6番だと。いそいそと付いていくとあの車という。その時点で何か変だと気づきました。そうタクシーのてっぺんにタクシーのマークがありません。危ないところで白タクに引っかかるところでした。

はじめから「白タクに注意」と思っていると大丈夫なのですが、気が緩んでいるでしょうね。この窮地に陥りそうな場面をすくってくれたのが「本物のタクシー運転手」でした。この白タクを蹴散らしてくれて自分のタクシーに案内してくれました(自分の稼ぎを上げようと思っただけ?)。しかし、旅行にでるといろいろな危険もありますが、普段では得がたい、今回のような「気をゆるめてはいけない」という教訓に気づくことが出来ます。

バルセロナでは目抜き通りのランプラス大通りに面したアパートホテルでしたが、パリでは凱旋門のすぐ近くのホテルです。

(2018.12.26)

★今回の教訓:旅行は詐欺との戦い。普段の生活でもそうか。ひとをだましてはいけない、だまされてもいけない。

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オックスフォード通信(273/92)バルセロナ紀行(4)グエル公園

バルセロナにはガウディー設計の建築物があちらこちらにあります

まずはグエル公園へ。石を使ってこのような局面を出すことは考えも付かない。発想ひとつで石でも自由自在に操ることが出来るとは。そう考えるとディスニーランドも好きだが、創造性という点ではガウディの足下にも及ばないだろう。聖家族教会も教会内の美しい色の(光による)ハーモニーに圧倒されたが、ここはタイルによる明るい色の調和が見られる。ここにいるだけで温かい気持ちになることが出来る。

(2018.12.25)

★今回の教訓:スティーブジョブズはなぜガウディに言及しなかったのだろう?ピカソで十分だったのか?

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オックスフォード通信(272/93)バルセロナ紀行(3)ピカソとバルセロナ

モンジュイック城 (Montjuïc Castle) からバルセロナの街を一望してきました

街全体が、イタリアのフィレンツェに見られるような黄色と明るい茶色を基調としている。眺望はよく、聖家族教会もはっきりと見える。ここまでバスで来て、上り坂をかなり上り、ロープウェイで頂上まで。真っ青な地中海も眼下に見える。とても12月とは思えないポカポカの陽気だ。冬は寒いパリにいて、ピカソはどれほどこのバルセロナに降り注ぐ太陽を恋い焦がれたか、よく理解できる。坂の途中にあるミシュランの★付きのレストランで食事をする。窓際のまた街が綺麗に見える席でランチを楽しんだ(ランチはそれほど高くない)。ビールはここでも美味しい。次はサングリアを注文してみよう。

(2018.12.24)

★今回の教訓:バルセロナは太陽の街。これに尽きる。

オックスフォード通信(271/94)バルセロナ紀行(2)36年ぶりのサグラダファミリア

大学3回生の時以来なので実に36年ぶりに聖家族教会(サグラダ・ファミリア)を訪れました。

1982年の2月か3月だったと思いますが、現地に来てみると大学生の時に来た際に目にした部分とその後に作成された部分が建物の色でハッキリと分かります。当時は教会は全くできていなくて外周の2つの塔のみ(「生誕のファサード」と「受難のファサード」)ができていただけだったと思います。当時の記憶をたどってみると、どちらの塔かわすれましたが、大変な思い出塔のてっぺん近くまで登ったこととそこから地中海が見えたことはくっきりと頭に浮かんできます。特に、塔に上るがエレベーターもなかったので本当にしんどかった思いは足が覚えている感じです。でもバルセロナのどこに泊まってどのようにしてそこまでたどり着いたかなどは全く記憶にありません。

さて、久々にみた本気の太陽に後押しされ、まず真っ先にサグラダファミリアを訪れることに。最初は歩いてブラブラ行こうと思ったのですが、ホテルのあるランブラス通りからはかなり遠いこともあり(といっても3kmですが)タクシーで行くことに(大学生の時はもちろんそんな贅沢はしていません、確か)。

町並みはイギリスとは異なるヨーロッパの面持ちです。20分くらいで到着。圧倒的な存在感で見るものを圧倒するのがこのサグラダファミリアです。大人気のため入場できるのは到着の11時から4時間15分後の15:15。

少し眠くなってきました。この続きはまた明日書くことにします。

(2018.12.23)

★今回の教訓:大学生の時分にいけるところにはいろいろと行ってみるものだ。

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オックスフォード通信(270)バルセロナ紀行(1)

すったもんだの末、何とか飛行機に乗れました。Gatwick空港行きのバスの中で、Easy Jetが全てキャンセルになったことを知って、すぐさま、High Streetのバス停で降りて、フライトショップへ。すると、気の毒がってくれながらも君にはオプションは2つあると。はて、プランAは、すぐさまオックスフォード鉄道駅からバーミンガム国際空港行きの電車に乗り、バーミンガムからどこかを(忘れました)経由してバルセロナへ。電車は15分後に出発するとのこと。無理。どう考えても、タクシーを呼んで来てもらっても全部時間を含めると30分はかかる。プランBはBristolまで電車で行き、途中、バスに乗り換えて、本日の深夜の直行便でバルセロナへ。でも致命的な問題が。バスが本当にこのクリスマスの時期に時間通り来るか。バスが時間通り来ないとアウト。感心したのはイギリスの事情をよく知っていながら(日本のJTBなら未だしも)このような机上の空論を提示できるところ。普通考えるとどちらも絶対無理。

他にないのか?British Airwaysは飛んでいないのか?飛んでいる、との返答。Heathrowは無傷。でも満席とのこと。席は本当にないのか?というとビジネスならあと2席あるとのこと。はじめからこちらを言って下さいよ、と思ったけれど、どうみても身なりからしてお金を持っているように見えなかったのか、この案は最初から想定されなかったよう。確かに高い!Easy Jetが一人約1万円程度のところを、ビジネスはその10倍!でもこれは翌日のフライトだし、昼頃の出発で3時くらいにはバルセロナへ到着できる。

大枚をはたきました。でも正解だったと思います。

翌日の飛行機の中ではユーロスターがダメでギリギリこの飛行機のチケット(ビジネス)が買えたと感謝している乗客の声が聞こえてきました。

ビジネスクラスにはメリットもあります。楽天カードのお陰でヒースローなどの空港ラウンジを(もともと)無料で使うことが出来るのですが、ブリティッシュエアウェイズのラウンジは桁違い。何しろ、シャンパンを注文したら持ってきてくれる。私達は厚遇を見込んで午前中からラウンジに入り浸っていたのですが、午前中は朝食、昼になるとカレーなどの昼食に食事が変わる。一日中、滞在したいくらいです。Wifiももちろん。それに日航と提携しているからか朝日新聞や日経新聞までが置いてある。感動しました。

打って変わって機内は古い機体で、ビジネスクラスとはいえ普通の座席。三人席のまん中にテーブルが置いてあって、強制的に二人席にしてあるだけ。食事はよかったです。飲み物も。

客層も概して(私達を除けば)上流階級風の皆さんで、私が知り合いになったイギリス人は車のディーラーをしていてバルセロナに別荘がありクリスマスにそこに滞在するとのこと。おかげで、バルセロナのお薦めのレストランなどを教えてもらえました。

学生時代以来(1982年2月)2度目のバルセロナ。食べ物に夢中になっていると妻にピレネーが見えると言われて外を見ると、見事な雄姿が。

★今回の教訓:写真はフランスとスペイン国境のピレネー山脈。

(2018.12.22)

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