オックスフォード通信(番外編: 367)インベントリー・チェック

イギリスのフラットの退出(チェックアウト)は独特です

入居も大変だったのですが、チェックアウトする場合にはいくつかの手順を踏まなければなりません。今回お世話になった、FindersKeepersからは1ヶ月前にTo-doリスト(週ごとに分けてある)が送られてきます。

その一例は以下のようなものです。

2-3 months before your tenancy ends

Confirm your final inventory check appointment time with your contact

Ask telephone/broadband/satellite suppliers to temporarily stop the service and give them your new address

Arrange for your mail to be forwarded by Royal Mail

1-2 months before your tenancy ends

Book your pre-checkout appointment with your contact

Book for your carpets to be professionally cleaned by a carpet cleaning company **hiring a carpet cleaner or doing this yourself is not acceptable**

Book cleaners: general; oven; upholstery; windows

Book gardeners

As appropriate:

Take down curtains for dry cleaning (if required) and get re-hung *get receipts*

Order oil/coal/wood to replace stocks as necessary

Arrange for septic tank to be emptied *get receipt*

Arrange for chimneys to be swept *get receipt*

1 week before your tenancy ends

Check through your inventory and put everything back in order

Replace damaged or broken items if possible

Replace blown light bulbs and extractor filters

Replace batteries as necessary for smoke alarms, doorbells, CO detectors and telephone handsets

Arrange access for your professional carpet cleaner *get receipt*

Ensure refuse has been collected and your bins are empty

As you leave

Leave heating on constant at 15° (between October and March)

Turn off immersion water and heating (between April and September)

Check that all windows and external doors are shut and locked wherever possible and internal keys are left on worktop in kitchen

Set alarm if applicable

Handover all keys, remote controls units and parking permits to Finders Keepers

特にこの中でもクリーニングが問題です。今回、1年間の居住で室内はもちろん土足ということはありませんでしたのでかなり綺麗だったのですが、この不動産業者(letting agency)の規定で(ひょっとしたらイギリス全体?)プロの清掃業者に依頼をしてカーペットのクリーニングをしてもらわなければなりません。最初は自分でしようかと思ったのですが、プロに依頼をして領収書をチェックアウトの際に提示しなければならないということで、自分ですることは断念して、あらかじめ送られてきたリストから1社選んで委託することにしました(結果的に転職してしまったのですが、FindersKeepersのSimonに良さそうな業者を教えてもらいました。そして来てくれた業者もSimonでした。Simonに縁があるようです)。

Indigoという業者名のSimonはどうも個人経営のようで、引っ越しの前日に一人でやってきてみっちり2時間半、カーペットのクリーニングをしてくれました。よくテレビショッピングで宣伝しているようなお湯を噴射してゴミを浮きだたせて吸い取る、それの巨大版のようなマシンを持ってきました。オックスフォードは3-4階建てくらいの建物が多いので、そのような建物にはリフト(エレベーター)がついていることはほぼないので、機械自体を持って上がるだけでも大変です(地上にマシンをおいておいて長いホースを伸ばすという手もあるそうです)。

性格の良さそうなSimonは30才、3人の子どもがいるそうで、オックスフォード郊外に住んでいるのが楽しいそうです。コツウォルズを回っていると言っている意味がよく分かります。どのような小さな町や村にもパブ、教会、スーパーマーケット、この3点セットは揃っているのであまり不自由しないとのことです。 £120ですから約18000円くらいの経費です。

そして、インベントリー・チェック。200項目にも渡るチェック項目表がありました。特に今回は家具付きのフラットだったため項目が多くなっていたようです。とてもとても細かくて、例えば、スプーンは4個あるか?ワイングラスは2つあるか?というチェック項目にチェックを入れていきます。まわりの皆さんからもこのインベントリー・チェックは厳しく大変だと聞いていたので2-3日前にはチェックをはじめました。実は入居の際にもチェックしているので「事前ー事後」というセットになっています。よく研究でも質問紙を利用しますが、30項目くらいを超えると集中力が切れてきます。段々面倒くさくなってきて、あまり考えずにチェックマークをいれてしまったりします。

そして当日。インベントリーチェックでは、スプーンが1本紛失、ワイングラスが1個破損、キッチンのシンク下のドアの取っ手が取れてしまっている、電球が切れているものが6-7個が問題というところでした。そして、前日になって、ベランダの窓枠が剥がれてしまっていることを発見。これは私の責任外のはずですが、どうやって話をしていこうか、考えあぐねていました。

インベントリーに訪れたのは若手女子社員のJさん。細かく見るけど気にしないで、と訳の分からないことを言いながら30分くらいかけて各部屋を見てゆきます。そして、協議。すると、最初から無かったはずのイスとか電気スタンドがないと。それはおかしいと、話をしていると、Jさん間違えて1年前のチェックリストを持参してしまっていました。形勢逆転ではないが、いい感じになってきました。しかも、こちらのチェックリストを見せろと言わないので、どこが問題だと私が思っているかJさんには分からない。自己評価をさせればそれを開示させることは重要です。話をしているとJさん、電球だけで他のドアのノブがないことやスプーンなどは見逃しているようでした。ベランダには出ようともしませんでしたの、窓枠の問題も見つけることができるはずはありません。しめしめ。ただ、General Cleaningといってバスルームなどの全般的な清掃は必要となるそうで(Simonは要らないと言っていたのですが)、電球とそのクリーニングのみでチェック終了。サインをして、後日、精算となりました。少し拍子抜けという感もあったのですが、無事終わってよかったです(FindersKeepersに連絡しないで下さい)。

ただ、このチェックがすごいと思ったのは家中のものを200項目以上に分けてリストアップしていること。しかもそれぞれを1-2行で端的に説明しているところです。これはもう執念とも思えるくらいです。

これからイギリスでフラットを借りる方のご参考になれば幸いです。

PS. 結果的にオックスフォードでアパートを探すなら、物件の近くにあるFindersKeepersが最適だと思います。対応は親切できめ細かく(例えば洗濯機が壊れたというと修理したり、最終的には新品を入れてくれた)、多くの物件を知っています。最初は分からなかったのですが、私が当初飛び込みで相談していた不動産業者は主として家の売買を専門としているところでした。

★今回の教訓:万全の準備は重要。

(2019.3.28)

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オックスフォード通信(最終回)旅の終わりは旅のはじまり

いよいよ本日早朝、イギリス・ヒースロー空港・ターミルナル2より出国することとなりました

この間、多大なご支援を賜った皆様に感謝申し上げます。

まずこのような機会を与えて下さった同志社女子大学に、そしてVisiting Resarch Fellowとして招聘して頂いたオックスフォード大学R先生に、健康面のサポートを事前に入念にしてくださったS先生、F先生、私の代わりに多くの授業を担当してくださったI先生、A先生、N先生に、いつも温かくサポートして下さった英語英文学科の先生方に、事務的な面でサポートして下さった英語英文学科研究事務室の皆様に、またいわば同伴者としてこの1年、一緒に学んできたi-Seimnarの若ゼミ18期生に、そして自分のことのようにこのイギリス行きを応援して下さった若ゼミの歴代の卒業生の皆様に感謝申し上げます。私がオックスフォードに行くことによっていい刺激を受けた、と。嬉しかったです。

そして何よりもこの1年、長年勤めた仕事を断念し、一緒にイギリスに来てくれた妻に感謝します。日頃忙しくあまり話をすることが多くなかった分、毎日午後7時にはそろって一緒に夕食を食べ、いろいろな話をすることができたことは私の人生の大きな財産になったと思います。

また、オックスフォードでいろいろな場面で、まさに一期一会でしたが、出会いいろいろな話をしてくださった研究者、教授、大学院生、オックスフォード在住のイギリス人、日本人の皆様に感謝します。

考えてみると本当に多くの人の支えがあってこの1年を過ごすことができたと思っています。

不思議なことですが、オックスフォードにいて、自分自身の小学生の頃の事がふとしたときによく頭をよぎりました。昔の古い家、火事で焼けてしまう前の綾部小学校の風景。何かジグソーパズルを見るように頭にその風景が浮かび、次に新しいピースがでてきて風景が完成するという具合に。恐らくこれまでとは異なる脳の部位をこの1年間使ったので違う場所が刺激を受けたのかもしれません。

刺激というと、イギリスは丁度Brexitのついての議決が続いている真っ最中です。丁度この原稿を書いている最中に、441-105でBrexitを4/12か5/22まで延期することが決まりました。イギリスのような長い歴史を持つ国も激動の時期を迎えています。

私もこれまでとは「1mm」くらいですが、異なった発想で4月からの仕事に臨みたいと思っております。

あらためまして、この1年間「オックスフォード通信」をお読み頂いた皆様に感謝申し上げます。

この通信は一旦ここで休止符を打たせて頂き(時々、スピンオフ版も構想しております)、帰国後は、オックスフォードの視点から日本や大学、同志社女子大学、授業について書き綴ることを計画しております。

引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

若本夏美

★今回の教訓:旅の終わりは旅のはじまり(「旅芸人の記録」1979、テオ・アンゲロプロス監督)。

(2019.3.28)

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オックスフォード通信(365/00)さらばオックスフォード!

ひとは何を目指して生きるのでしょう

オックスフォードではいろいろなことについて考える機会がありました。もちろん、よく生きること、社会に貢献できるような生き方をすることは重要だと思います。でもそれ以上にその人が生きがいを感じたり、楽しいと感じたりすることが生きている中にあることが重要だと思います。

と、ここまで書いてこれもまた少し違うようにも思います。オックスフォードの中心街のコーンマーケットでほぼ一日中、ギターの弾き語りをしている方がいます。大抵ボブディランの風に吹かれて(Blowin’ in the wind)を歌っています。なかなかいい声で歌詞が心に響きます。

この歌声を聞いていると何かを目指して生きて行くことが間違っているのかもしれないと思えてきます。目標とか考えすぎると大切なものをその過程で見逃してしまうのかもしれません。

イギリスでは自分の意図と関係なく多様な生き方を目にしてきたように思います。そのような中で、強く感じるのは日本人は本当は幸せであるはずだということです。変な言い方ですが、現在の経済・社会状況を世界的にみると日本はかなり好条件の恵まれている環境にあると思います。なのに、なぜか、幸福感が漂ってこない。

それは目標を立てすぎたり、人と比較をし過ぎたりしていることもあると思いますが、何よりも、間違ったこと、それが多少であってもそこに目が行きすぎて、多少の反対のよくできていることに目が向いていない事だと思います。ひと言でいうと、日本のいいところ、同僚のいいところ、友だちのいいところ、学生のいいところ、子どものいいところ、親のいいところを見ようとしてないところに問題があるのではないかと思うようになりました。

特にテレビの影響は甚大です。ゴシップ的な内容はイギリスではほぼ取り扱われることがありません。それを得意とする新聞をのぞけば新聞でもテレビでもゴシップネタは目にすることはありません。ゴシップとは極論すればスタンダードからの逸脱だと思います。日本はその逸脱の幅が極端に狭いようにも思います。それが窮屈に思ってしまう原因なのかもしれません。

よくグローバル社会とかグローバル化と言われますが、世界と比較して日本の優れたところをもっと互いに認め合い、そこに自信をもつことこそがそのひとつの方法ではないかと思います。

いよいよ本日、オックスフォードを離れます。Before Oxford (BO) とは異なる視点をもってAfter Oxford (AO) の日々を過ごしてみたいと思っています。

このブログもオックスフォード通信 1号からこの365号まで何とか続けることができました。これも皆様の温かいご声援のおかげと感謝しております。このブログを書きながら自分で発見することも多くありました。特に、ブログを書くことよって、1日1日を大切に過ごすことができたように思います。これをひと区切りとして更なる発展の道を探ってみたいと思います。引き続きご支援賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

★今回の教訓:あらためてイギリスは奥深い国だと思う。と同時に英語も面白い研究分野であると改めて実感。

(2019.3.27)

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オックスフォード通信(363/02)Bodleian Libraries

今回のオックスフォード大学での在外研究で一番多くの時間を過ごしたのがこのボードリアン図書館です

ボードリアン図書館とはオックスフォード大学のほぼすべてのカレッジや学部にある図書館と中メインの図書館の総称です。所属していた教育学部の図書館にも随分とお世話になったのですが、特にOld LibraryとRadcliffe Cameraは多くのインスピレーションが沸いてきた場所でした。

Old Libraryにはハリーポッターの映画にも出てくるDuke Humfrey’s Reading Roomと言われる閲覧室があり主に人文系の歴史的なレファレレンスが並んでいます。ボードリアン図書館ツアーでも回るコースになっているのですが、私は最初、ここには特別の許可がないと入ることができないと思い込んでいていつも羨望の眼差しで見ていたのですが、この図書館で働いておられる日本人のMさんがたまたま受付(監視係?)をしておられる時に伺うと、私も閲覧室に入る資格があるとのことでそれからは何度も入らせて頂き、じっくりと思索させて頂くことができました。

ただ、このDuke Humfrey’s Reading Roomは特別な場所で、もともとボードリアン図書館内は全ての写真撮影は禁止なのですが、特にここは厳しい場所です。一度、あまり知らずにここを通りかかって写真を撮ったところ係員から厳しく注意を受け、写真の削除をさせられたこともありました(知りませんでした・すいません)。

またこの閲覧室に入るには(となりのWeston図書館も同様ですが)、持ち込む荷物を透明の袋に入れ替えそれ以外のカバンなどはロッカーに預けないと入ることが許可されません。ラップトップのケースも不可でコンピュータを取り出した状態でないとだめです。これは盗難防止のためだと思いますが、ロンドンの大英図書館のReading Roomも同様の措置がとられています。

しかし、このDuke Humfrey’s Reading Roomは素晴らしい場所です。ほどよく薄暗く、回りを多くの偉大な先人の絵が取り囲みます。この場にいると自分が歴史的にはほんの短い時間を生きていることを実感するとともに、知が歴史的につながっていることを感じます。

誰も物音を立てることもなく静かに豊かな時間が流れていきます。

同様のことはこのOld LibraryとGladstone Linkというトンネルでつながっているラドクリフカメラも同様です。外から見ると素晴らしい景観ですが、内部は更に一層、知の殿堂・知が産まれる所という感じがします。写真を撮ることが許されていないのでお見せできないのが残念ですが、この場で構想を練ると質の異なるアイディアが浮かんでくるのが不思議です。

入場にも退場にもIDカードでチェックをする厳重さですが、その面倒くささを乗り越えた先には豊かな空間が広がっています。日本でもこのような場所を探したいと思います。

★今回の教訓:図書館のありがたみを実感したこの1年間。日本でも図書館をもっと有効に使いたい。

(2019.3.25)

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オックスフォード通信(352/13)ムービングセール

引っ越しの準備が佳境を迎えつつあります

とはいえ、現在住んでいるフラットはファーニッシュト(Furnished)で家具付きですので売りさばく(?)品目は数が限られています。最大の目玉のはずだった車は廃車になってしまいましたので(それでも廃車によって£164、また自動車保険の解約で約 £100、払い戻しがありました)、ソニー製のテレビ(32型)、自転車2点、未使用の布団2点、デスクスタンド、延長コードくらいです。

さて、昔トロントのアパートを引き上げる際はNot Furnishedでしたので、全てのもの、それこそベッドからデスクまで売りさばく必要がありましたで気合をいれてオープンハウスをしましたが、今回はMoving Saleのメールを関連するネットワーク(オックスフォード新規居住者向け)に送ることにしました。

綺麗に写真を撮り、送信。すると、2時間以内に10件の問い合わせ(メールまたはText=SMS)。反応の早さにビックリしました。特に人気なのがテレビと自転車です。これで儲けようと思っていませんでしたのでかなり低めの赫々設定が良かったのかもしれません(自転車は £30と £5)。布団も昨日の内に完売。残りはデスクスタンドと延長コードですが、もうこれは誰かにあげて帰る方がいいかもしれません。

いよいよ回りも片付きはじめ、帰国が現実的になってきました。本当はBrexitとともにイギリスを去る予定でしたが、6月末まで延期になってしまったため、平穏に去ることになりそうです。

★今回の教訓:Moving Saleはなかなかスリリングで楽しい。反応があるのが面白い。魚釣りに似ている?そんなことはない。一度、日本の研究室でもやってみようかしら。(写真の自転車はオーストラリア人がご購入、 £30=4500円、ちなみに半年前に前輪のタイヤ交換= £30)。

(2019.3.14)

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オックスフォード通信(347/18)ヴェネチアの迷路

今回はヴェネチアの島のホテルに滞在しています(前回といっても、大学3回生時ですので、37年前は大陸部のシティーにあるホテルに泊まりました)

その関係で食事の後も歩いてホテルまで帰ることが出来るのは有り難いのですが、このヴェネチアの島の部分はメイズのような迷路です。細い路地が張り巡らされ、途中に運河を渡る橋があちらこちらに架かっています。かと思えばその橋が架かっていないところがって、つまるところ行き止まりになります。

特に夜は見当がつきにくいのでどうしてもスマートフォンのGoogle Mapを頼りに歩くことになります。私だけかと思えば、みなさん歩いている顔が薄青い。つまり携帯の光に顔が照らされて歩いておられます。結局、みんな道が分からずGoogle Mapを見ながら右往左往しているようです。

このような迷路はどこかで経験したなあ、と思い出してみると、大学時代に訪れたモロッコ・ラバトの旧市街地(メディナ)が同様の迷路になっていました(当時はスマートフォンもなかったので迷路から脱出するのが大変でした)。

しかし、そのメイズのような路地を歩いていると昔ここが都市国家として独立した国であった誇りとその面影を垣間見ることが出来るような気になります。どの壁面を見上げても風格があります。歴史が何かを私に語りかけてくれているな気にすらなります。

ヴェネチア、ヨーロッパ中のヨーロッパと言えるかもしれません。

★今回の教訓:水辺の都市は面白い。道路に自動車が走っていない。簡単なことだけどすごい。工事の物資も宅配もボートで運搬。自動車完全ゼロも達成できるもの。

(2019.3.9)

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オックスフォード通信(342/23)MOT

車の車検に落第しました

帰国に併せて車をこちらで売却する予定にしていました。ただイギリスでは最初の3年でしたか、それを過ぎると毎年車検(MOT: Ministry of Trasprotation)があり、現在乗っているNissan Almeraも来たる4月3日が車検の期限ですので、少しは早い目に終えておこうと、3月4日を予約しておきました。

本当は前の所有者のK先生から教えて頂いたTさんにしてもらうはずだったのですが、連絡をしてもなしのつぶて。しかたなしにKidlintonにあるNissan販売所に連絡をしてMOTを受けることに。朝の11時にピックアップに来てくれて予定では同じ日の午後4時に返却の予定でした。ところが、その4時くらいに怪しい電話がかかってきました。

どうも車検を通すには修理がかなり必要らしく、NISSANまで来て欲しいとのこと。朝と同じ女性が若手の社員を伴って登場。駐車場に置いてある日産の車を持って帰るための要員です。キドリントンまでは20分くらい。道すがら大体の様子を聞きました。すると流石に2000年製ですので19年前の車はガタが来ているようで、多くの部品を交換しなければならないとのこと。特に深刻なのがエンジンからのオイル漏れとのこと。そういえば、先日ストーンヘンジまでドライブした際、キーキーという音が前部から聞こえていました。ただやっかいなのはこのMOTが登録されてしまっていると、車検を通さない限り車に乗れないとのこと。予定では3/20まで(私の国際運転免許証の期限が切れる)は乗る予定にしていました。

支店に到着するとRさんが事情を詳しく説明してくれました。修理事項がズラリと。少なくとも £1500、ひょっとすると £2000(=30万円)はかかるとのこと。それだけのお金があれば中古車が一台買えますし、第一転売することが難しいです(正直に告白しますが私はこの車を £600で売ってい頂いています)。しかも修理には2週間かかるとのこと。

本当はこの車のバトンを次のY先生に渡す段取りになっていたのですが、こうなると断念せざるを得ません。無念です。半年でしたが、コツウォルズを中心にいろいろなところに連れて行ってくれました。もう少し走らせてやりたかったです。

ただ帰りが大変。Rさんから書類のサインしろとのこと。よく見ると、こんなことが書いてあります。この車は車検が通らなかった危険な車、自宅などまでこの車に乗って帰るというけれど、私達には責任はありません。ドライバーの責任です。もし途中で警察に呼び止められたら £2500の罰金は本人が払いますと。ええええ。先ほどの説明ではRさんはダッシュボードにおいておけばしばらくは運転出来る証明書をあげると。話が違う。でも仕方ありません。警察に出会わないことを祈りながら20分の道を、同時に最後のドライブですので、Almera に感謝しながら運転をしました(時刻は午後6時半くらい、何しろ右のヘッドライトが切れていますので、パトカーにすれ違ったら一巻の終わりです)。

幸い、無事フラットの駐車場に到着。よく見ると一度も洗ったことがないAlmeraが外も中もぴかびかに。さすがNISSANです。Rさんともいろいろな話が出来て面白かったです。でも、ここでAlmeraがとお別れとは思っていなかったので満開の桜をバックに寂寥感が増す夕暮れとなりました。

★今回の教訓:車検はどこの国でも甘く見てはいけない。通らないかもしれないと思っていたらもう少しゆるそうな工場に持ち込んだのに。ただ、不十分な点検で次の方にバトンタッチも申し訳ない。何やら、ゲームの黒ひげ危機一発によく似ているような気になりました。

(2019.3.4)

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オックスフォード通信(341/24)同志社女子大学と人のつながり

大学でのつながりはいいものです

もうすぐ、若ゼミ18期生の卒業式ですが、このようなゼミメンバー同士のつながりもとてもいいものですが、大学を介したつながりもいいものです。

通信340にも書かせて頂きましたが、母がヒースロー空港から日本に帰る際、同志社女子大学ご出身でX航空にFlight Attendantとしてご勤務のSさんにはひとかたならぬお世話になりました。

月に数回搭乗されるということですが、母の乗るフライトにたまたま偶然搭乗されたとは思えません。きっといろいろとやりくりをして頂いたのだと思います。チェックインのアシストをして頂いたり、北極圏上空を飛行時には母にオーロラまで見せてくださったようです。

実はSさんと私はそれほど年も離れておらず、ひょっとしたら大学時代にどこかですれ違っていたかもしれません(私が一浪で入学していますので3年ほど重なっています。しかも後半の2年間は同女の西北、寺町今出川に下宿していました)。2年前に同志社女子大学英語英文学会が50周年の記念同窓会を開催した際にYさんを介して御紹介頂いたのがご縁です。

大学を起点にしたこのようなご縁は人を言葉では言い尽くせない幸福感を与えてくれます。それもこれも同志社女子大学にそれだけの求心力があるからだと思います。20代前半をすごした貴重な大学、その名前を聞く度にいろいろな思い出が蘇ってくるのだと思います。それは私もまた同様です。

大学を起点にいろいろな人間関係が作り上げられていくことはとても嬉しいことです。これからもいろいろな場でそのようなことがあるといいと思います。ゼミメンバー同士のつながりはもちろんのことです。

★今回の教訓:人と人のつながりほど人を幸せにしてくれるものはない。そのような人間関係を大切にしたい。

(2019.3.3)

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オックスフォード通信(340/25)母来訪

 88才米寿を迎えた母がオックスフォードまでやってきてくれました

この1年間、少なからずの方々にご訪問頂いたのですが、母が最高齢となります。もちろん長時間のフライトはとても心配でしたが、X航空にご勤務で同志社女子大学ご出身のSさんを中心にフライトスタッフの皆様に温かいご配慮を頂きながらヒースロー空港に到着することができました。

本当はロンドンにも連れて行きたかったのですが、私自身ぎっくり腰になってしまったこともありオックスフォードを中心に一緒に散策したりしました。いろいろなところへ行ったのですが、なんの変哲もない(というと失礼ですが)オックスフォード植物園に行ってそのあとアフタヌーンティーを一緒に楽しんだのが一番の思い出のように思います。

植物園まで母と同じスピードで(しか歩けない!)歩きながら、朝鮮半島に生まれ、満州、牡丹江で暮らしていたこと、そして敗戦直後の引き上げの大変さ、そして引き上げてきた後の祖母の兄弟の家(山梨県・甲府)での居候暮らしの居心地が良くなかったことなど、系統的に母の人生のストーリーを聞いたように思います。

これまで何度も機会があったはずですが、母と二人、オックスフォードのハイストリートを歩きながら、植物園のベンチに腰掛けながらじっくりと話を聞きました。昭和5年(1930)生まれの母が日本に引き揚げてきた時が15才、敗戦前の勤労動員でろくに勉強できなかったため、甲府で女学校に編入したものの勉強について行けず、潜在能力を認めてもらい師範学校への進学を担任の先生に勧めてもらいながらも、断念したこと。本当は勉強したかったけれど周りの環境が許さず、17才で京都府綾部市で働き始めたこと、など、これまで点として聞いていたことがすべてつながったように思いました。母の向学心が子ども達は是非とも大学に進学させたいと思った動機になったことが母の人生を通して納得できました。

我が家は世間的には決して裕福な家庭ではありませんでしたが、兄妹3人、浪人や留年など(3人もどちらかを経験)親に苦労をかけながらも大学を卒業させてもらっています。今、大学で教える立場に回っていますが、あらためてひとりひとりの学生の背景にはいろいろなストーリーがあることを実感しています。

この若ゼミダイアリーの現在の主人公の18期生には「若ゼミ18期生を終えて」という非公開のエッセイ課題を提出してもらっています。どのエッセイも涙なしには読めない力作ですが、その中にはわざわざxxxから京都に出てきた甲斐があった、親に高い学費を出してもらった甲斐があったという記述が見うけられました。

大学教育でそのように思ってもらえるゼミや授業をしてきたことは、母の人生ストーリーと重ね合わせも、私自身教師としてこのゼミを担当できて良かったと心から思えるものでした。

恐らく、母と外国を歩くことはもうないだろうと思います。この母の来訪は私の人生にとってもとても意義深いものとなりました。あらためて、兄妹、妻をはじめ母を温かくサポートして下さった皆様に感謝の気持ちで一杯です。

★今回の教訓:親孝行と言えるかどうかは定かではないが、一緒の時をじっくり持つことは大切だと思う。

(2019.3.2)

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オックスフォード通信(336/29)Witch’s shot

オックスフォードで二番目に恐れていたことがぎっくり腰です

2年前に朝起きようとして腰全面(両側)がぎっくり腰になっていてどうにこうにも起き上がれず、這うようにして車に乗って(カーブに来ると腰が痛んだのを覚えていてます)大学に行ったのを覚えています。その後亀岡市内のK整形外科に行ったところ、レントゲン台に上がれと冷たく言い放たれ、レントゲン台に上がれるようならここに来ないとおもったの(うらみ)をハッキリ覚えて老います。

なのでオックスフォードでは絶対にそうならないように朝起きるときにも腰のウオームアップをしてから起き上がっていたのですスが、少し油断していたのでしょうか、昨日の朝、シャワーを浴びようと少しかがんだところ、左側の腰に激痛が走りました。

マズイ!

後の祭りです。もともと、ドイツ語で Hexenschuss といわれたのをそのまま英訳したのがwitch’s shot(魔女の一撃)です。一般的にはlumbago、lower back pain と言われているようです。昨日は何とか車の運転もできて、昼の間は元気だったのですが、夜フラットに帰ってくる頃に再び激痛が。日本のF先生に念のためにといって頂いた、シップと痛み止めの頓服剤を飲んで就寝。また、ぎっくり腰をしたことのあるひとはご存じですが、ベッドに上がるのが一苦労。腰に負担がかかると激痛が走ります。でも幸いにも熟睡できた朝になると元気になっているかと思ったのですが、そんなことはなくて、むしろ症状が悪化しています。というよりも、寝ている時の状態から違う状態に移る時が一番しんどいのですね。10分くらいかけて(本当です)はうようにしてベッドから降りて、たどたどしい足取りで洗面台へ。

本日は所用でロンドンへ行くはずだったのですが、諦めてキャンセルすることに。早く直せるようにしたいと思います。

本当に魔女の一撃でした。

★今回の教訓:病気やケガが海外生活の一番の不安。なったものはしかたないけれど。何とかしたい。

(2019.2.26)

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オックスフォード通信(328/37)モーアの断崖

アイルランドで有名というと断崖

一日ツアーに参加してきました。北アイルランドのGiant’s Causewayにも興味があったのですが、単純に1時間分遠いということ、西のCliffs of Moher(モーアの断崖)を選択しました。Brian(ガイド)とRob(運転手)のコンビはFriednlyで親切。アイルランドは裏切りません。

M7を西へ西へ、Limerickから空港のあるShannonを通り、Doolinの近くからは大西洋が姿を現します。ここまで約4時間。しかし、Brianはアイルランドの歴史を中心にほぼずっと話しまくり飽きさせません。またすごいと思うのが、客席へ歩み寄り一人一人に何か質問はないか、といいながら話かけてくるところです。このタイプのガイドははじめてです。

特注、Barack Obama Plazaというドライブインで休憩(行きも帰りも)。はじめは冗談かとおもったのですが、オバマ大統領の母方のgreat-great-great father(もうひとつgreatがついていたかも)がこの近くのMoneygall村の出身ということで、大統領の任期中に専用のヘリコプターでこの地に降り立ったそうです。その時のヘリコプターの写真や本人の写真が、2Fにはアイルランドにゆかりのあるアメリカ大統領の展示会場があります。本人のほぼ実物大の写真だけでなく、外には銅像も。日本も小浜市が何かすればよかったのに、と思うのですが、名前以外のつながりを見つけるのは難しいところですね。

さて、モーアの断崖。断崖の連続で直角に切り立っています。幸運にも天気に恵まれ青空を背景に太陽がキラキラと綺麗です。Walk Trailが作ってあって安全にみることができるのですが、何十メータ(アイルランドはメトリック法でメートル・キロ表示なので分かりやすい)したの海上からものすごい風が吹き上げてきて、潮くさくないのですが、雨が降っているような場所とものすごい風が海から吹いているところ(ほぼ全域か)があります。大人でも吹き飛ばされるくらいの風速で台風レベルです。

なのでフェンスよりも外にでてはいけないといわれているのですが、命知らずの人達が数多く崖の近くまで。風が反対側から吹いたり、足下が崩れたら一巻の終わりです。GoProを手にした青年が崖の外に一脚を伸ばし、その青年を家族で支えているという場面も目撃しました。Rangerと印字されたジャンパーを着た監視員もいますが、下に落ちてしまったらどうしようもないと思います。

しかし、この絶景はいままでみたことのないような息を呑むようなものでした。なぜでしょうか。明るい大西洋があるからなのか、日本海のような荒波が崖にぶち当たる荒々しさがいいからなのでしょうか。虹もかかり、風に体を揺らされながら約2時間、この風景に見とれました。

自然は偉大だということを実感させられます。新婚旅行にも絶好だと思います。

帰りはThe Fieldというアイルランド映画と乗客からのリクエストでアイルランドがでてくるPS. I love youの映画を観ながらダブリン市内まで戻ってきました。優に午後9時を回っていましたが、いい疲労感につつまれることができましした。

アイルランドは人口600万人の小さな国ですが、緑豊かな、魅力的な場所だと思います。

★今回の教訓:ブライアンの饒舌な語りに感動。しかもアイルランド英語の方が日本人には分かりやすいと思う。グローバルリンガフランカのモデルになるか。

(2019.2.18)

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オックスフォード通信(311/54)大雪

 オックスフォードは雪の一日でした

BBCではあちらこちらで雪のため車が立ち往生してしまったり、学校のバスが渋滞に巻き込まれて帰れなくなったため近くの大学の寮に泊まったなど、テレビはBrexitは一服、雪と悪天候の話ばかりです。

小中学校も休校になったところが多くあるようで、オックスフォードの街もいつもよりもひっそりとしてようです。夕方、近くのコーヒーショップ(コスタ)に出かけたのですが、今日は6時には店を閉めるとのこと。どこも早じまいという感じです。

2月は少し静かなスタートです。

少し論文を読みまとめるスピードを上げなければなければなりません。

★今回の教訓:案外雪の方が集中できるから面白いものです。

(2019.2.1)

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オックスフォード通信(306/59)Witney

コツウォルズと言われる地域でオックスフォードから最も近いのがウイットニー(Witney)です

自家用車で20分、道が混んでいても30分あれば到着します。オックスフォードの郊外になりますので、ここに居を構えて大学まで通っておられる先生もいらっしゃいます。高速が無料ということもあり、少し気分転換に出かけてきました。

A40を西に少し走るともうウイットニーへの看板が見えてきます。と同時に独特の薄ハチミツいろで統一された街並みが点在します。小さな街ですが、落ち着いた雰囲気です。と同時に、教会、パブ、銀行、スーパー、商店街とミニオックスフォードという感じは否めないものの、ここだけで生活できるものが揃っています(イギリスはどこに行ってもその街で生活できるようになっているのが素晴らしいです)。

日曜日はSunday roast をメニューにしているパブが多いのですがカフェ・レストランは通常メニューのようです。久しぶりにバーガーを頂きました。すると必ず、Do you need something?と聞かれるので、Ketchup と言うことになります。無くても十分美味しいのですが。

回りは夫婦、家族連れ、又は友だち同士で集まっているグループです。日曜日の昼下がり少しこのような落ち着いた街で美味しい昼ご飯を食べるのもいいと思います。人が少なくても商店街やこのようなお店が健在であるところがイギリスの伝統が守られている秘密なのでしょうか。田舎に住みながらも高い水準の生活ができるのは理想的な生き方かもしれません。

日本でもそのようなライフスタイルができるようになるといいものです。

★今回の教訓:都会=高い水準の生活、と画一的にならないところにイギリスという国の底力を感じる。

(2019.1.27)
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オックスフォード通信(293/72)Heathrow

従兄弟ご一行様がやってくるというので(計4名)、ヒースロー空港までお迎えにあがりました。

ヒースローまではオックスフォードから直行のバスが1時間に1本走っており、車内はWifi完備、オックスフォード市内を出ると数カ所停車するだけで、1時間少しの時間ゆっくりと過ごすことができます。

ヒースロー空港はロンドンの西の端にあり、EXPRESSを使うとPaddigton駅から15分(でも高額!乗ったことありません!)、地下鉄(ピカデリーLINE)を使うと1時間くらいかかりますが、oysterカードでロンドンからもアクセスが容易です。

従兄弟を待つこと2時間くらい。税関の混み具合で、飛行機が到着してから、早い場合で1時間くらい遅い場合には2時間くらいかかることがあります。この日は遅いパターン。

ここで待っているとイギリスが多民族国家であることを実感します。インド系、アフリカ系、アジア系など多様な人々が空港で出迎える家族との再会を喜ぶ姿を目にすることが出来ます(そういう私もハタから見るとアジア系住民が親族を迎えに来ていると言うことになります)。見ているだけで感動的です。大学生、特に私が勤務する同志社女子大学英語英文学科に空港で働きたい!という学生が数多くいますが、こうやって空港で人々を観察しているとなるほどと分かる気がします。

さて、従兄弟(私の母の妹の子ども)とその娘さん2名が出てきました。

日本人はハグでは無くて握手であるところも民族差があって面白いところです。

★今回の教訓:空港は人間味溢れる場所だ。

(2019.1.14)

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オックスフォード通信(287/78)Speeding Ticket

日本では21世紀になってから一度も交通違反がなかったのですが、ここオックスフォードでスピード違反のチケットを切られてしましました

といっても警察官に摘発されたのではなくいわゆるオービックという自動速度取り締まりの機械によってです。いつもどちらかというとスピードはもっと出さないと行けないとスピードを上げるように必死になっている方ですので(みなさん、時速120kmくらいでは走るので100kmくらいでは後に列ができるかどんどん追い抜かれるか、何かプレッシャーをかけられるかです)まさがスピードオーバー違反のチケットを切られるとは夢にも思っていませんでした。

それは自宅フラットの近くの路上でした。イギリスはメリハリがすごくて、AとはMという記号のついた高速、自動車専用道路にはまず自動速度取り締まりの機械は置いてないのですが、市内になると急に制限速度が30マイル(約48km)に制限されます。それまでビュンビュンと飛ばしていた車も急に速度を落とします。

そのような車列についている時は大丈夫なのですが、自分が先頭に立ったり、「つい」気が緩んだりすると、自宅が近くなったということもあり、スピードが出がちになります。

私が受け取った郵便には、30マイルのところを6マイル(=約10km)オーバーしていたとのこと。つまり、制限速度48kmのところを58kmで走っていたとのことです。

この話で昔、京田辺の警察署の前でスピード違反のチケットを切られたことを思い出しました。日本ではほぼどの警察署の前も制限速度が40kmになっています。ちょっと考え事をしたりしているとつい60kmくらいでてしまいます。これとよく似ているなあと思いました。

最終的には £100(=15000円)くらいの罰金を払うことになると思います。これについては後日談がありますので、また続きを書きたいと思います。

(2019.1.8)

★今回の教訓:日本でもイギリスでもスピード違反のチケットほど腹立たしいものはない。

オックスフォード通信(261)Bisceter

オックスフォード近郊にあるBisceterという街までドライブしてきました(約20分)

ビスターはオックスフォードから北東に15マイルくらいのところにある小さな街ですが、大きなアウトレットがあることでも有名です。アウトレットは鉄道駅とほぼ直結していてロンドンからも多くの買い物客がやってきています。

近年はここも中国人観光客が多いらしく、買い物した大きな袋を沢山手に抱えたアジア系観光略が目につきます。

お目当てはイギリスの寒さにも耐えられる冬用ジャンパーでしたが、残念ながら気に入ったものが無く、結果的にフラットのあるサマータウンのアウトドアのお店で買うことになりました。でもドライブはなかなか楽しいものです。

(2018.12.13)

★今回の教訓:アウトレットが必ずしも安いわけではない、というのはどこの国でも同じ事か。

オックスフォード通信(256)Christmas Carol at Christchurch

午後開会のChristmas Family Concertに参加してきました。妻はグループの集まりがあるということで一人でクライストチャーチに出向きます。Family Concertというだけあって家族連れがほとんど。ただ選曲は本格的で知っているクリスマスの曲も多くありましたが玄人好みの曲も沢山ありました。

オックスフォードは本格的にクリスマスを迎えつつあります。

(2018.12.8)

★今回の教訓:クライストチャーチ大聖堂は音がよく響きます。合唱の声が昇華されるような不思議な気持ちになります。

オックスフォード通信(248)Magdaren Arms

料理の美味しいレストラン(通常、レストランは料理で勝負なので当たり前ですが)イギリスのベスト10に入っているという評判の Magdaren Arms というパブに行ってきました。

(2018.11.30)

★今回の教訓:オックスフォードに集う日本人の会。私が見落としている日本人からの視点をいつも気づかされます。貴重な会です。

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オックスフォード通信(240)Thank giving Day & Black Friday

ケロッグカレッジ (Kellogg College)のサンクスギビングディナーに参加させていただきました。金曜日の夕刻から開催のThanks Giving Day の特別ディナーに大学院生のAさんにご招待いただきました。Black Fridayとはショッピングモールやお店のセールのことです。

Kellogg Collegeはあのケロッグがスポンサーになって設立されたカレッジですのでオックスフォードでは比較的新しいグループに所属します。サンクスギビングだけあってターキーなど肉中心のメニューになっていました。

(2018.11.22)

★今回の教訓:格式高いディナーを忘れることはできません。

オックスフォード通信(230)錦織とフェデラー

テニス Nitto ATP Final Tour をロンドンまで見に行ってきました

冬合宿あけでかなり体力を消耗していたところではありましたが、いつも学生諸姉に “Never miss an opportunity to be fabulous!” と言っていますので、第一日目の好カード「錦織対フェデラー」を逃してはいけないと思い、体に鞭打って出かけました。

11/11は Remembrance Day ですが、本年は第一次世界大戦 (WWWI) 終了から100年目の記念日ということで仮眠から目覚めてBBCをつけるてみるとエリザベス女王からチャールズ皇太子、ウイリアム、ハリー夫妻といったイギリス皇室の面々がテレビに映し出されていました。100年目ということで恐らく例年よりも盛大な式典になっていたのでしょう。最後はイギリス国歌斉唱ですが、エリザベス女王だけは歌わないのですね。God save the queen と言っているわけですので歌える訳はないのかもしれません。戦争でなくなった人を弔うのは当然のことですが(フランスには先進国の指導者も集まっていました)少し違和感も感じるものがありました。それは出てくるのは軍人ばかりで戦争で亡くなった一般市民はその弔いには入っていないという点です。第二次世界大戦に比べて一般市民の死者は少なかったのは事実ですが、かなりの数の市民が犠牲になっています。以前のブログにも書きましたが、この国(イギリス)では100年前からパラダイムシフトすることなく同じ思想がつながっていると思います。それは戦争に負けたことがないため、戦争を反省する機会がなかったのでしょう。

さて、その式典がロンドンで行われているので交通規制が多くなされているだろうと予想しながら、Thorn-Hill Park からバス(Tubeが丁度来たのでそれに乗りました・このブログも同じTubeのバスの中で書いています。ロンドンでのバスの降乗車にはMarble Archが便利です。X90とTubeという同じロンドン=オックスフォードのバスが停車します)に乗りました。多少の混雑はあるものの1時間半で到着。到着してみると Remembrance Day の跡形は全くなく、Marble Archから歩いたBond Streetの辺りはもうクリスマス一色という感じでした。日曜日ということもあったため、かなりの人出で混雑していました。

ATP FinalツアーはO2アリーナというロンドンでは少し西にあるコンサートホールで開催されていました。チケットは午後12時~、午後6時~、または両方という設定です。午後6時からのチケットを選択したのですが、最初がダブルス、その後シングル1回戦という順番です。

会場はほぼ100%、ところどころにいる日本人(しかしかなりの日本人が見に来ていたように思います)を除けばフェデラーの応援でした。フェデラーがサービスエースを決めると割れんばかりの大声援です(Make a noiseというサインがでて、何dbなのか表示がでるようになっています。錦織がいいプレイをしてもそれは出ませんでした)。

淡い期待をもちながら、横に座ったスロバキアから来たというアンドレといろいろと話をしながらダブルス→シングルスと試合を観戦。そしてついにその時が。アンドレはフェデラーをみるためにわざわざスロバキアから飛行機に乗って昨日到着したと言っていました。恐らくそのようなファンが大多数だったのでしょう。アンドレ(英語が上手くいろいろと話をしたのですが、きっかけはiPhoneの充電用ケーブルを持っていないかというものでした。ついでに充電器自体も貸してあげる羽目に)。アンドレにiPhoneでの写真の撮り方もご指示頂きながら(Live撮影がテニスの試合には向いているとのこと。あとからショートビデオの中からいい部分だけを写真として切り取るそうです。いいのですが、ただ、どこからどこまで写真を取っているのか、テニス会場のようなうるさい場所ではその判断が難しいです)、いいショットだった、あそこにスロバキアの旗が見える(フェデラーの奥さんはスロバキアの出身で後にスイスに移り、シドニー五輪でフェデラーと知り合ったそうです)、あそこにフェデラーのお父さんがいる(彼は2003年にフェデラーの試合を見て以来ぞっこんとなったそうです)、などと解説を聞きながらゲームに集中していきました。

第一セットはタイブレークの末,7-5で錦織の勝利。そして第二セット。あきらかにフェデラーがいらだっているのがわかりました。調子が悪かったといえばいいのでしょうか?錦織にサービスを破られ、錦織の勝利まであと1セット。後のインタビューでも答えていましたが、small change をしてみようと(そのchange自体の中身については語っていませんでした)この試合に臨んだ錦織の勝利で、セットカウント2-0で見事錦織の勝利となりました。

会場は割れんばかりの大声援です。

あらためてベスト10以内のプレーヤーのテニスは面白い、しかもその人の調子よっていくらでも下剋上はあり得ることが証明された日でもありました。

この日の(生で見るのは初めてですが)錦織は多少のムラはあるものの落ち着いていたようにおもいます。海外で活躍している日本人を目の当たりするのは(何度も書いていますが)勇気づけられるものです。海外で日の丸を見ても違和感を感じることはありません。それは恐らく純粋に日本人を応援しているからであって、軍国主義を復活させようとか、戦前や教育勅語を復古するような邪険を感じさせないからでしょう。

試合がおわって日本人と顔を合わせるとみなさん晴れ晴れした様子でした。自然と「よかったね」といいながら見知らぬ者同士がハイファイブをしたり握手したりしていました(私も)。

(2018.11.12)

★今回の教訓:海外で活躍するためには英語も必要なのは事実。

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