オックスフォード通信(365/00)さらばオックスフォード!

ひとは何を目指して生きるのでしょう

オックスフォードではいろいろなことについて考える機会がありました。もちろん、よく生きること、社会に貢献できるような生き方をすることは重要だと思います。でもそれ以上にその人が生きがいを感じたり、楽しいと感じたりすることが生きている中にあることが重要だと思います。

と、ここまで書いてこれもまた少し違うようにも思います。オックスフォードの中心街のコーンマーケットでほぼ一日中、ギターの弾き語りをしている方がいます。大抵ボブディランの風に吹かれて(Blowin’ in the wind)を歌っています。なかなかいい声で歌詞が心に響きます。

この歌声を聞いていると何かを目指して生きて行くことが間違っているのかもしれないと思えてきます。目標とか考えすぎると大切なものをその過程で見逃してしまうのかもしれません。

イギリスでは自分の意図と関係なく多様な生き方を目にしてきたように思います。そのような中で、強く感じるのは日本人は本当は幸せであるはずだということです。変な言い方ですが、現在の経済・社会状況を世界的にみると日本はかなり好条件の恵まれている環境にあると思います。なのに、なぜか、幸福感が漂ってこない。

それは目標を立てすぎたり、人と比較をし過ぎたりしていることもあると思いますが、何よりも、間違ったこと、それが多少であってもそこに目が行きすぎて、多少の反対のよくできていることに目が向いていない事だと思います。ひと言でいうと、日本のいいところ、同僚のいいところ、友だちのいいところ、学生のいいところ、子どものいいところ、親のいいところを見ようとしてないところに問題があるのではないかと思うようになりました。

特にテレビの影響は甚大です。ゴシップ的な内容はイギリスではほぼ取り扱われることがありません。それを得意とする新聞をのぞけば新聞でもテレビでもゴシップネタは目にすることはありません。ゴシップとは極論すればスタンダードからの逸脱だと思います。日本はその逸脱の幅が極端に狭いようにも思います。それが窮屈に思ってしまう原因なのかもしれません。

よくグローバル社会とかグローバル化と言われますが、世界と比較して日本の優れたところをもっと互いに認め合い、そこに自信をもつことこそがそのひとつの方法ではないかと思います。

いよいよ本日、オックスフォードを離れます。Before Oxford (BO) とは異なる視点をもってAfter Oxford (AO) の日々を過ごしてみたいと思っています。

このブログもオックスフォード通信 1号からこの365号まで何とか続けることができました。これも皆様の温かいご声援のおかげと感謝しております。このブログを書きながら自分で発見することも多くありました。特に、ブログを書くことよって、1日1日を大切に過ごすことができたように思います。これをひと区切りとして更なる発展の道を探ってみたいと思います。引き続きご支援賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

★今回の教訓:あらためてイギリスは奥深い国だと思う。と同時に英語も面白い研究分野であると改めて実感。

(2019.3.27)

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オックスフォード通信(351/14)Brexit騒動

Brexitまであと17日、これは私の帰国日とも合致するものです

昨日(3/12)にはメイ首相がEUと交渉を重ねてきた修正案が前回に引き続き大差で否決されてしまいました。私はEU離脱には何もメリットはないと思うのですが、特に保守党(Tory)の強硬派には辟易としてしまいます。このままNO DEALとして離脱すると混乱するのは目に見えていますし、困るのは英国民でしょう。

それを喜ぶのは自分達の権益だけを守り、自分が生きている間だけは何事もなければいいという日和見主義です。EU離脱に賛成しているのであればどうするのか責任ある意見を述べるべきであると思います。メイ首相に働くだけ働かせて自分達はどこ吹く風というのはどこの国にも見うけられる人達です。

それにしてもメイ首相の粘り強さというよりは意志の強さと堂々とした態度には頭が下がります。ウソを言うことも、ごまかすこともなく、正々堂々というのがいいところです。国会中継も必然的に見る機会がありますが、議論は理路整然とおこなわれ、寝たりぼうっとしたりするヒマもそのようなムードもありません。だからこそ不思議なのはこの期に及んでこのゴタゴタぶりです。民主主義とはそのようなものかもしれません。

本日は、NO DEAL、つまり何の手段も講じないで離脱するかどうか、明日はBrexitを延期するかどうかについての投票がおこなわれます。これで今後10年程度のイギリスの行く末が決まってくるのではないかと思います。注視したいところです。

★今回の教訓:一国の首相には気品と弁舌の論理性が必要だ。言葉の種類には関係ない。

(2019.3.13)

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オックスフォード通信(348/17)ムラノ

ヴェネチアガラスのメッカ、ムラノ・アイランド(日本語に訳しやすいです:村の島)

現在宿泊しているホテルはS. Angeloのすぐ前。運河に面していてとても便利な場所にあります。ACTvという水上バスに乗って一路S. Marcoへ。運賃は24時間乗り放題ですが、S. Angeloは小さなバス停なので自販機もなし。船の中で買うことに。本当は2日券を買いたかったので、S. Marcoで降りたら買うというと、じゃあSt. Marcoまでの乗車券を買えとおっしゃる。幾らと聞くと€15と。やむなく一日券を買うことに(€20。この辺りの料金設定の無茶苦茶さがイギリスとよく似ています)。

ムラノという日本人的な名前の島まで約1時間。途中の(水上)バス停を停まり停まり進みます。ムラノは運河沿いはほぼすべてヴェネチアガラス一色。ブラブラとあるいていると天気も良く個々地域持ちです。

良く思うのですが、人の幸せの1/3健康状態が占めると思います。残りは、1/3が仕事や経済状態、達成感など、そしてあとの1/3が住んでいる場所の気候や天気ではないかと。その意味ではヴェネチアを歩いている人は観光客だけでなく、在住の皆さんも幸せそうに見えます。このようないい天気ばかりではないかもしれませんが、風光明媚で3月でも温暖な気候であると自然と笑みが漏れてきます。

今回、私はイギリスから飛行機で1時間50分(実際には時差があるので時刻上は+1時間)でヴェネチアに到着しています。ヨーロッパに住んでいれば2時間くらいでどこにでも行ける計算です(もちろん南の端から北の端まではもう少し時間がかかりますが)。そう考えるとヨーロッパに住むということはとても幸せなことだと思います。少し寒いところにも温かいところにも気分に合わせて移動することが出来る。バカンスを本格的に楽しむことができます。太陽の光をたくさん浴びると北風と太陽の寓話ではありませんが、自然とポジティブな気持ちになります。何かあたらしいことをはじめてみようという気持ちになることができます。

今回は時間の関係でヴェネチアのみの訪問ですが、歩きながら幸せを噛みしめることができるように思います。

ちなみにムラノでは(中にはMurano Shopというお店もあって、日本語に直して一人で笑っていました)、ヴェネチアガラスの店でペーパーウエイトを購入しました。なかなか気に入っています。

PS. サンマルコ広場などで日本人特に大学生風の観光客を沢山目にします。中国人よりも日本人観光客の方が多いような印象です。そんなにヴェネチアって人気あったのかと思っていました。

★今回の教訓:人の気持ちなんて案外簡単に変わるもの。天気が良ければそれだけでハッピーな気持ちになるのが不思議。

(2019.3.10)

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オックスフォード通信(327/38)Going to Ireland

 アイルランド・ダブリンに来ています

折角なので(これが大事)ダブリンの観光もしてみようと1日早く到着(といっても、日曜日の朝6時半に家を出発してヒースロー空港ターミナル5に到着したのは8時半(毎時30分おきに出ている直通バスがとても便利です)、飛行機に乗ったのが10時50分(ブリティッシュエアウェイズだったのですが、一番後の席で、しかも通路側と真ん中の座席。席を選択しようとしたr £24と法外な値段だったのでそのままに。変えなくてよかったです。何と一番後の座席の窓側は窓がない!その関係で飛行機が離陸したのも着陸したのも振動とアナウンスだけで知る始末。遊園地で暗闇でジェットコースターに乗っているようなもの。いま一歩、飛行機でアイルランドに来たという感じがしません)、3日間乗り放題のチケットでバスでダブリン市内に入り、ホテルに到着したのが午後2時と、やはりイギリスとアイルランドは近い!と思います。

共同研究をしているオックスフォード大のR先生は、飛行機が上がったと思ったらすぐに下がるとおっしゃっておられましたがその通り(といっても、上記の影響で上昇も下降もあまり分からず仕舞い)。

アイルランドの第一印象は、みんなとても親切で誠実と言えると思います。空港のインフォメーションもホテルのフロントも丁寧に対応してくれます。ホテルもこれまで泊まった中で最も高級という部類に入るかもしれません。晩ご飯を兼ねて行ったアイリッシュダンスのショーも、イギリスだったらとつい思ってしまうのですが、比較すると支出が少なく済む一方満足度は2倍くらいあります。

誠実・堅実と言ったらいいでしょうか。R先生にも詳しくダブリンの情報を教えてもらったのですが、17期生のYさんが以前約1年間ダブリンに住んでおられたので事細かく観光スポットやカフェ、晩ご飯の場所をLINEで送って頂いたのがとても参考になっています。

まずお薦めに従い、ギネスストアハウスへ。あのビールのギネスを作っている工場の直営店です。ダブリンのギネスは他とは違うよ・・・聞く人聞く人そう言われたとおり、最上階の6F(=7階)のバーにまず直行して(すいません、説明を全て省いてまず一番上に行きました)360度の眺望を楽しもうとしながら(実際は人が多すぎて景色は一望とはなりませんでした)、入れて頂いたギネスを飲んだのですが、まずてっぺんの泡のきめ細やかさにビックリ。これは明らかにこれまで飲んできたギネスとは違う。そして味もよりこなれた味わいのように感じました(こちらは正直微妙な感じ・それほど私の舌は敏感でないのかも)。ここでもカメラを持っていたら、頼まなくてもスタッフが写真を撮りましょうかと言って親切にしかも上手に撮ってくれる。もうこれだけでダブリンのファンになりました。

街の中心部をながれているLIffey(リフェイ)川には綺麗な水が流れています。アイルランドの首都といってもオックスフォードくらいの感じでバスにも乗っていますが、歩いてでも回れるくらいの規模の街です。

そして夜のアイリッシュダンスのショーでケルトのアイルランドの虜になった感じです。今晩のアイルランドの音楽は、ギターとバンジョーにボーカルという編成なのですが、MC兼ボーカルが何度も言っていましたが、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど多くの英語圏の文化はアイルランドから人と一緒に移動したもの又はその影響を強く受けている可能性を強く感じました。音楽しかり言葉しかりです。アメリカのケネディ家に見られるようにアイルランドから何百万という単位でアメリカに移住していますし、移住した後もアイルランドの文化をその場で継承しているケースが多く見うけられます。アイルランドが英語圏文化の核であると言うといい言い過ぎかもしれませんが、それくらい大きなインパクトを与えてきたことはそれほど多くの人が認知してこなかったと思います(私もそうです)。特に音楽はそのままアメリカなどに輸出されてそれがブルーグラスなどとして発展したといってもいいかもしれません。

言葉も面白いところです。アイルランドではCrack (Craic)は挨拶に使われるそうです。通常はよく知られた意味として「ひび割れ」という意味が用いられますが、アイルランドでは、”What is the crack?” で “How’s it going?”(元気)という意味になるそうです。印象としてはアイルランド語(又はゲール語)が話せる人はそれほど多くないようですが、アイルランド語やアイルランドの英語が他の国の英語と微妙に食い違っているのも興味深い点です。

アイルランドは世界各国の英語を母語とする国の原点のひとつであることは間違いないと思います。もう少しアイルランドについて考えてみたいと思います。

★今回の教訓:特に世界で話されている英語とアイルランドの関係は興味深い。

(2019.2.17)

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オックスフォード通信(300/65)i-Seminar 第30回目:ファイナルセミナー&追いコン

春から取り組んできた i-Seminarもいよいよ本日、ファイナルセッションを迎えました。前半は従来通りのProcedureに沿ったセッションが進められました。本日は後半が追いコン(追い出しコンパ)となるため、会場が前半から楽真館R206教室に変更になりました。これはこのi-Seminarとしてはかなり大きな変更です。これまで利用してきた、S506やラーニングコモンズ・ワークショップスペースは2つのプロジェクタ、Wifi、そしてアップルTVが設置してあります。このアップルTVがミソでして、一見TVと関係あるようですが、実はMacとWifiを通してプロジェクタにワイヤレスで接続できる優れものです。これがあることによってゼミで利用してきたMacbookも簡単に大きなスクリーンに映し出すことができていました。特に現在のMacbookやPro, AirはType Cと言われる接続端子しかありませんので通常のHDMI接続が出来ません。

さて、R206を利用するにあたりどうしようかと考えたのですが、実は先日(1/12)の第16回英語英文学科卒業研究発表会で同様の事象があり(ブログは未アップロード)、その際にソフトバンクのSoftBank Pocket Wi-Fi(株、社グローバルモバイル)を利用した経験から割と簡単に解決策が見つかりました。ただ、先日の発表会では、SoftBank Pocket Wi-Fi 601HWが送付されたためだと思いますが(最新機種とのこと・・・たいていこの手のものは従来のコンピュータとの接続の相性は良くない)Macbookにはつながらず少し大変でした(詳細はオックスフォード通信(291/74)参照)。その経緯もあるので、今回はリクエストとして、501HW モデルをリクエストしておきました。

若ゼミ18期生でこれまでこの接続設定を継続的かつ献身的にしてきて頂いた、Mさんから昼休み(日本の)に一度接続チェックをしたいと連絡がありました。彼女は時差もこともよく分かっていて恐縮しながらも、事前チェックの重要性を理解していたので、私も奮起して早起き?して(早朝、3:30)接続設定を一緒に確認しました。やはりこのような大きなイベントの際には大切ですね。早起きして良かったと思いました。MacとPocket Wi-Fiの接続、MacとBose SpeakerとBluetooth接続、Macと教室内マイク・スピーカーのチェック(物理的にMacのスピーカーの前に持っていく)、Macの位置など手際よくチェックされていきました。幸い、MacとPocket Wi-Fiの相性も良く画面もクリアに映っていました(今回は一貫してFacetime利用)。

さて、本日のプログラムは以下の通りです。

4コマ目: 15:00-16:00 (R206 2F, Rakushinkan Building)

Convener: A & S

① Final Vermont talk topic: If you dare to choose one most memorable moment of the two-year seminar life, what is that?

② Words of the week: All endings are also beginnings.

③ Mini-slideshow (5 minutes)

④ Few words from Dr. Kitao

⑤ Few words from Miss Kato

⑥ Taking photos

⑦ Course evaluation

5コマ目: 16:30-20:00 (R206 2F, Rakushinkan Building)

⑧ 第16回若ゼミ送別会: 史上初のセルフ追いコンです。全員の力で素晴らしい会にしましょう!

Convener: N & N; A & M

3回生から取り組んできたsmall talk (Vermont Talk) も最終回。これまで2年間のゼミの中から印象的なものを1つ選ぶというものです。通常はMe, too. Me, three. 時に、Me, four. は有りなのですが、今回は他のメンバーが言ったものはNGというルールを設けたため、17+2 (教員)=19通りのイベントが結果的に紹介され、2年間を振り返る事ができたと思います。

次に私からこの2年間の総括を次の内容でお話しました(概略のみ表示)

・Thanking seminar members for their diligent participation and great contribution to the seminar

・New possibilities of the internet and the internet seminar

・Unlimited possibilities of the seminar members

・Wakamoto Seminar 18 as the best seminar in the world

・Realizing our motto: Never miss an opportunity to be fabulous

・Gratitude to Professor Kitao and TA Kato

特に、この1年間、私とタッグを組んで頂いた北尾教授には感謝の言葉しかありません。ご自分のゼミが有りながら、プラスアルファで若ゼミの面倒も見て頂き、一泊二日の冬合宿にもご参加頂きました。ご本人がVTでもおっしゃっておられましたが、北尾先生を冬合宿にお迎えして研究の質がグンと上がったことを実感しています(これは来年度のゼミにおいてもゲストをお迎えすることも真剣に検討したいと考えています)。またTAとして3回生秋学期からゼミのサポートをして頂いた大学院生の加藤さんにも感謝してもしきれないくらいです。特にこのゼミは2コマ連続で行ってきたため、5コマ目を中心にお世話になったとはいえ最初の4コマ目から配布物などの準備をして頂いていたため非常に長時間、面倒を見えて頂くことになりました。

この後、北尾先生からは、冬合宿について思い出をお話頂き、卒論が大学院レベルの質の高いものになっていると絶賛していただいたことは望外の喜びでした。また加藤さんからは年長者(ほんの少しだけ)として温かく優しく若ゼミメンバーに接して頂いたことが伝わってくるお話をしていただきました。i-Seminarとはいえ、4コマ目は北尾先生、5コマ目はTAの加藤さんが常にゼミメンバーの側にしてきめ細やかなご指導を頂いてきたことを改めて実感することができました。

後半は追いコンです。これは若ゼミ伝統行事で、3回生からですので実に16回目の追い出しコンパとなります(若ゼミでは3期生が多くの基礎を作っています。追いコン・現在では学科公式行事のポスターセッション・卒業研究発表会も3期生からスタート)。従来は追いコンという名前の通り、3回生ゼミメンバーが先輩を送ることになるのですが、本年度は3回生ゼミが開講されていないため、追いコン自体の開催も危ぶまれました。しかし、18期生の創造性豊かなアイディアによって「セルフ追いコン」という形で自分達で自分達の卒論の完成を祝い、卒業を祝す会を開催することができました。

オックスフォードからFacetimeによる中継で私も参加させて頂いたのですが、ゼミ活動の集大成として相応しいすがすがしい会となったと、誇りに思える素晴らしい追いコンとなりました。インフルエンザのため登校できなかったCさんもFacetimeで自宅から参加することができたのですが、いつも誰かがコンピュータに向かって話しかけたり(私には滅多にないことですが)、ゲームにもコンピュータを持っていって一緒に参加できるようにするなど、i-Seminarらしい光景が繰り広げられていました。和気あいあいというのは柔軟性があって自由でいいと思います。このゼミはゼミ長のような特定のリーダを作らず、プロジェクトやイベント毎に4名程度のリーダー集団が交替で担当する形を最初から取ってきました。

このメリットは大きく、

1.17名全員のリーダー性が育つため、ゼミ全体の力量が向上する

2.いわゆるリーダー疲れがない

3.リーダーが毎回変わるので、逆にリーダーに対しても自由にものが言えるため、アイディアがよく練られる、お任せにならない

4.リーダーが毎回変わるので、自由な発想ができる

今回の追いコンも「追いコン」担当の、A、M、N、Nさんの4名が時々私にも連絡をしてもらいながら、教室の配置図の作成からリフレッシュメントの手配、プログラムの作成まで全てを取り仕切って見事な仕事をしてくれました。

最終的には、会が終わったのが午後9時ですので、4コマ目からカウントすると実に6時間の長丁場でしたが、最後の片付けまで含めてすべて自分達でやり切った見事な追いコンになったと思います。

追いコンでのプログラムは各スタディーグループ毎に出し物という形でゲームが4つあったのすがそれらもこのゼミを象徴するような楽しいものでした(キーワード作文、若ゼミクイズなど)。そしてハイライトが最後のゼミメンバーによるスピーチです。追いコンというとどこでも最後にこのスピーチがあると思うのですが、最後の最後にいろいろな本音が聞けて興味深いのですが、本年度は特にイギリスから参加ということもありましたので、心にしみるお話が目白押しでした。少しだけ御紹介したいと思います(私の備忘録も兼ねて)

Yさん:最初はなかなか心をひらくことができなかった。もっと早く心を開けばよかった

Tさん:ゼミを離れてもいつもみんなが仲良くしてくれて嬉しかった

Mさん:STEPを通してゼミメンバーとの距離が近くなった

Aさん:大学に入って目標を失っていたけれど、このゼミを通してこの大学に来て良かったと思えた

Cさん:最初は教職を取っている人用のゼミだと思っていた。心にとげがあったけれどプロジェクトを通してみんながそのとげを取ってくれた

Aさん:忙しくてコンパなどに参加できないこともあったけれど皆が優しく受け入れてくれた

Rさん:JTECの時に自分で失敗したと思って落ち込んでいたときにも、心配しながら普通にせっしてくれた、何て心の優しい人達なんだと思った、みんなにとっては小さな事かもしれないけれど自分には大きかった

Nさん:これまで真剣に取り組むことがなかった、息を潜めて生きてきた、だからこそ大学に入って後悔のない4年間にしようと決意して臨んだが、ゼミのおかげで充実した大学生活になった

Iさん:世界一あたたかいゼミだと思った

Mさん:若ゼミのキャラでないなと思っていた

Sさん:みんなに感謝の言葉しかない、ありがとう

Mさん:ゼミに入って大学に来た意味を見いだせた

Hさん:大人数は苦手だったけれど、この大所帯のゼミの人数が気にならなくなった

Hさん:4回生からゼミを離れたけれどいつも若ゼミだと思っていいと言われて嬉しかった(いつもそう思っていますよ)

Nさん:このゼミのメンバーはみんないつも目標に向かって頑張っている、ところがすごい

Hさん:スライドショーで3回生では笑っていなかったけれど、4回生から笑顔の自分が見つけられた、最初は大変だった

Mさん: 3回生の最初は英語でプレゼンテーションをしたり英語を話そうと思ってもなかなか出てこなくて口惜しかった、しばらく経ってみんなと打ち解けることができたと思える瞬間がやってきた

Nさん:尊敬できる人ばかり、その人のいいところを100個言えといわれたら全員について言える自信がある

Mさん(トリ):3回生の当初は打ち解けることが出来ず課題も大変でよく泣いてた、ゼミにも行きたくないと思うこともあった

思い出しながら書いていますのでもちろん正確ではないと思うのですが(すいません)、でもこのスピーチをお聞きして本当に良かったと思います。私が教員として気づいていないことばかりでこのようなチャンスがなければ知らずに終わっていたかもしれません。共通して、若ゼミを選んで良かった、同志社女子大学にきてよかった、と皆さんが異口同音に言って頂いたのは嬉しい限りでした。中には、わざわざ愛媛から出てきた甲斐があったとまで言って頂いたメンバーもいました。

また私の1,2回生の授業がきっかけだっという声もありました(「異質な人がいる」と思ったとも)。

今回の追いコンが事実上、若ゼミの最終回ということになるわけですが、お話をお聞きしながら、私の方こそ、このゼミを選んで頂きありがとうございました、と言いたいと思います。素晴らしいゼミメンバーに出会えて教師冥利に尽きます。ゼミは決して楽しいことばかりではなく、長時間のゼミに加えて時にはこれまで自分が経験してこなかった新しいプロジェクトに参加することも多々あったと思います。互いに切磋琢磨しながら、学術的にも高度な研究がゼミで出来たと思いますし、チームとしてもすばらしい友情を育む事ができたと思います。

今週のひと言にもあったように「旅の終わりは旅のはじまり」だと思っています。これからもこの若ゼミ18期生の旅が豊かに続いてゆくことをゼミ担当者としては願わずにはいられません。

最後に、ゼミメンバーを代表してAさんから「時差もものともせず、coachが日本にいるのと同じような感覚でゼミを指導して頂き、充実したゼミなりました、ありがとうございました」と言葉を頂き、全員から「ありがとうございました」との感謝の言葉を頂戴しました。この上ない光栄な瞬間でした。

i-Seminarから私自身が学んだことは多々ありますが、この言葉ほど嬉しいものはありませんでした。

Thank you, everybody!

PS. 後輩がいないので従来のプレゼントはなし、と思っていたのですが、追いコン係からにくいプレゼントが。またコース担当者からはゼミのマグが2点。ゼミメンバーは(恐らくこのブログは読んでいないと思いますが)なぜ2つのマグをプレゼントしてもらったのだろう?と不思議に思っておられると思いますが、それは秘密として、お薦めの利用方法を御紹介しておきたいと思います。写真付きのものはペン立てやゼミの記念として飾っておく。Never miss は割らないように気をつけながら普段使いでコーヒーや紅茶を飲むのに使いながら、ゼミ精神をいつも自分にリマインドする、というのがひとつの方法かと思います。もちろん、自分で自由にお使い頂くのが一番だと思います。

★今回の教訓:「旅の終わりは旅のはじまり」。これは映画「旅芸人の記録」(テオ・アンゲロプロス監督、1979年)の最後のセリフ。大学時代に衝撃を受けたこのギリシア映画。いい言葉だと思う。

(2019.1.21)

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オックスフォード通信(235)インタビュー

インタビューに協力をさせて頂きました

通常は質問紙で調査をしたりインタビューするほうですが、本日はオックスフォード大学で日本語を学ぶ博士課程Fさんと修士課程のTさん2人のインタビューに協力をしました。

準備もよく、手順も妥当なもので、約30分弱の日本語によるインタビューでした。Fさんは中国からの留学生、Tさんはイギリス人ですが、2人ともインタビューをするのに十分な日本語運用能力を持っているのにまず驚きます。

内容は日本の英語教育について。日本の英語教育全般についての考え、問題点と改善点、公立学校と私立学校の違いなどについての質問に答えさせて頂きました。私にとっても日本の英語教育の問題点を簡潔にまとめるいい機会となりました。

逆にこのお二人の日本語能力伸張の秘密は何かと疑問が湧いてきました。最後に逆質問という形でお聞きしたのですが、Fさんはまず読む方は漢字から大体なにを言っているか分かる、そして9才くらいから日本のアニメを見えて育ったそうで、テレビの日本語がインプットでアニメがモチベーションになっているとのこと。Tさんは漢字ファンとのことで漢字の成り立ちを認知的に理解することによっていろいろな漢字の意味が分かり、話をする際にも漢字をイメージして話をするそうです。

それぞれに外国語学習の秘訣があって興味深いものです。

日本においてもこのような外国人が日本語を苦労しながら学んでいる姿をみることがあればそのことによって励まされるのではないかと思います。

(2018.11.17)

★今回の教訓:ロンドンメトロポリタン大学のN先生のセミナーでお話になっておられた、“One size does not fit all” は外国語学習方略にも当てはまるのはないだろうか。sizeをstrategyと置き換えてみると良い。錦織と同様外国の大学で活躍されている方にお会いするだけで勇気づけられる。
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オックスフォード通信(218)時差とサマータイム

現在日本とイギリスには9時間の時差があります

先週の土曜日までは8時間でしたが、サマータイムも終了し9時間の時差となっています。この日本との大きな時差は例えば飛行機でこちらに来る際には時差ぼけ(Jet lag)になりますし、iSeminarを実施する際にもゼミ開始時の日本時間午後3時がオックスフォードでは午前6時となって多少辛いものもあります。

ただ、コインの裏表のようにしんどいことの裏にはいいこともあります。例えば、ゼミメンバーの卒論のドラフトを読んでいますが、彼女達が夜の12時に同期すれば、それはこちらで午後3時ですので、夜に読んでフィードバックを深夜12時までに送れば(同期)彼女達が朝起きた際には手元に届いていることになります。つまりこの時差を上手く使えば24時間時間が途切れることなく有効に使えることになるわけです。

もちろん、ビジネスの世界でもこの時差は上手く使われていて、企業のカスタマーセンターがアメリカと9時間半の時差があるインドにおいてあることがよくあります。すると夜のカスタマーサポートは無理することなく可能となります(昼はアメリカに切り替える)。

この時差の有効活用はたまたま私が今、イギリスにいるからできることですが、日本にいても大学関係者やアカデミックの世界で利用することはできないでしょうか。恐らく、考えてみるとあるはずだと思っています。

ひとの人生は退職が60才~65才、その後の余生が日本人で平均20年くらい。この時差を使えば2倍にはなりませんが、1.5倍くらいにはなりそうです。

明日はゼミメンバーはスポーツフェスティバルに参加します。私がいなくても締めのコンパまで自分達で企画するなど、ゼミとしての成長は着実です。世の中に、スポフェスなんてと思っている人がいるかもしれませんが、その証拠に企業でも企業内運動会などをいまだに実施しているところが多いです。大学時代にスポフェスのような行事に参加しないで、企業に入ってからできるでしょうか。

別にそのために参加するわけでありませんが、秋の一日、卒論や授業のことを忘れて思いっきりからだを動かすことは健康的だと思います。

ゼミメンバーの皆さん、どうぞ楽しい一日を過ごして下さい。

(2018.10.31)

★今回の教訓:今日のセミナーで語られていた、完璧な真実は必ずしも有用でなく、完璧に有用なものは必ずしも真実でないということばは重みがある。冒頭に311フクシマの原発事故が引用されていた。
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オックスフォード通信(211)Smetana

ロンドン・シンフォニー・オーケストラ (LSO)の演奏会に行ってきました

9月にプラハを訪れた際、スメタナ博物館に行く機会があったのですが、そこでスメタナのピアノや楽譜を見ることができました。スメタナというと「Ma Vlast(わが祖国)」が有名ですが、恐らく日本で教育を受けた現在の50才以下の多くのみなさんが、モルダウを音楽の時間に聞いたり、クラスや学年合唱で唱った経験があるのではないでしょうか。

私は中学の教師をしている際、3年生の合唱課題曲がこのモルダウだった経緯から毎年中学生の素晴らしいハーモニーを聞くことが出来ました(不思議に9年間の学級担任としてクラスで歌った合唱曲は全て覚えています)。特に学年合唱でのモルダウは人数が200名近くになったため(現在の少子化とは真逆の世界でした)素晴らしい迫力で胸に迫ってきたのを覚えています。

チェコでは残念ながらスメタナのコンサートに(ドボルザークも)行けなかったので残念におもっていたのですが、ロンドンのバービカンホール(Barbican Hall; Barbicanとはもともと見張り台のこと)でLSOがスメタナの「わが祖国」全曲を休憩なしで6楽章演奏するというので、出かけてきました。

当日はあいにくの雨模様で、しかも最寄りのSt. Paul 寺院の地下鉄の駅だけが封鎖でCloseになっていたため、1つ遠い駅から歩かなければならないなど、相変わらずロンドンの地下鉄には苦労することが多いですが(後から分かったことですが、9月から10月の週末、土日は計画的に駅を封鎖しているそうです。またこの日はオックスフォードからバスで出かけたのですが、ロンドンハーフマラソンの影響で市内の多くの道路が通行止めで通常とは異なるルートを通るなど大都市ならではの経験もさせて頂きました。コンサートからの帰りは動いているという地下鉄リバプール駅まで歩くのも億劫だったので奮発しVictoria駅までてタクシーに乗らせていただきました[タクシー・アプリ(ドイツで使ったものと同じもの)を使うと2-3分でその位置まで来てくれます。これは便利です。日本でも使えるといいのですが])。

さて、 Barbican Hallですが、思ったよりも狭いというよりもどの席もステージに近い様子で、聴衆全体がステージに集中できるデザインになっています。

少し面白いとおもったのは、チケットの係員の対応です。大きな荷物はクロークに預けるようになっているのですが、知らずに入ろうとした私に、「うーん、ちょっと大きな感じがするね。預けてもらう方がいいな」といった感じのソフトな言い方で私に対応してくれました。その一言でこのバービカンホールにもロンドン・シンフォニーにも親近感が湧くのが不思議です。

わが祖国はレコード(CDではなく)で全曲聴いたことがあるのですが、休み休み、日をあけて聞いていたので、全楽章を一気に聞くのは初めてのことでした。もちろん、第二楽章のモルダウは素敵で歌い出しそうになるくらいだったのですが、他の楽章も力強く、ドラムとシンバルが迫力のある曲想を演出していてあっという間の90分でした。

やはりチェコに行っておいて良かったなあと思いました。曲を聴きながら何となくですが、チェコの風景が目に浮かぶようでした。第一楽章のハープから始まる美しいメロディーも印象的です。

民族というよりも、誰にとっても故郷は大切だなと実感します。ドボルザークよりもスメタナの方がよりヨーロッパらしい感じもするのですが、チェコの自然と風土を大切に思う気持ちは同じだと感じました。

生で聞く音楽はCDやレコードと違い、五感で音楽を感じるように思います。コントラバス奏者の弓が途中で切れてしまって、奏者がそおっとステージを降りていったハプニングも含めて(すぐに戻って来られました)心に残るコンサートでした。

ビートルズ、モーツアルト、ドボルザークに加えてスメタナもまたこれから長く聴き続けることになるだろうな、と思っています。

2月には同じホールであのウイーンフィルのコンサートがあるので行こうと思っています(マーラーの9番です)。

PS. LSOの常任指揮者にはサイモンラトルが就任。ただ本格的な演奏活動は来年からとのこと。

(2018.10.23)

★今回の教訓:ロンドンとオックスフォードはいい距離にあると思う。ストラットフォードアポンエイボンに行った際、かのシェークスピアは二晩、馬に乗ってロンドンに行ったと博物館で説明があったけれど、オックスフォードならその時代でも一晩で行けた距離だと思う。
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オックスフォード通信(206)The British Museum

大英博物館に満を持して行ってきました

満を持してというのはいつか行こうと思いつつそのタイミングを計っていたのですが、在英も半年を過ぎ観光シーズンも済んだころを見計らって日曜日の午後に訪れました。

地下鉄 Tottenham Court Road で降りて(とてもきれいな駅でした)徒歩10分くらいで到着。反対側に随分と長い行列をにみつけました。聞かずもがな大英博物館への長い行列でした。雨が降っていたので、Queue も嫌だなあ帰ろうかと一瞬思いましたが、その行列はグングン進みます。何と10分ほどで荷物チェックのところへ。チェックといいながら顔を見るだけでパス(どうも日本人はパスのようです)。

さて、学生時代に一度旅行で来たきりなので実に36年ぶりの再訪ですが、広くて見きれないことだけは覚えていたので、ロゼッタ・ストーンだけは見ようときめていました。流石、エジプトやギリシアから略奪してきたことに良心の恥じらいを感じているのか入館料がFreeというのは有り難いです。

昔はもっと暗い感じだったのにと思うほど、会場は明るく広々とした感じに作り替えてありました。お目当てのロゼッタ・ストーンは(どこですか?と聞かれるのが嫌なのか)1F (Ground Floor)の分かりやすいところにありました。

昔はそのままおいてあったような記憶なのですが、現在はガラスケースにビシッと収まっています。そこに黒山の人だかり(本当)。かき分けながら前へ進むと目の前にロゼッタ・ストーンが。

このストーンは何か謎めいた威厳のようなものを感じさせますが、それ以上にこの暗号のような(暗号です)象形文字をフランスの言語学者 Champollion がよく解読したな、とその情熱と才能に感服しました。紀元前3000年前のものですから実に今から5000年前のものが残っている、しかもその時代に人間が言葉を記録していたということは重要な事実だと思います。

もうこれだけで本当に十分だったのですが、エジプト、シリア、バビロニアと見て回りました。興味深いのは石に彫られていたのはほぼ男性でしかも戦士の姿。弓矢や剣を突き刺すすがたです。それは勇ましいのでしょうが、その時代にはそのようなことの繰り返しだったのかと思うと、現在の文化的で平和な世界はそのような殺戮の時代の基礎の上に成り立っているのかもしれません。

一方、ギリシアのパルテノンの彫刻になると人間の肉体美や優雅さが描かれるようになってきます。高校時代に嶋本先生に世界史で教えて頂いた通りの特徴です。

大英博物館は過去の世界を垣間見ながら未来を見つめるいい場所なのかもしれません。

PS. お腹がすいたので何かたべるものを、と思っていた、何とお好み焼き屋さんが。つい入ってしましました(あべの、というお店でした)。山芋の入ったまさに日本と同じような味でうれしくなりました(ただ、二人でビールを入れて約6000円は少し高いと思います)。ロンドンには他にもお好み焼き屋もあるようで日本食のお店はかなり多いとのこと。ただ一時に比べるとロンドンに住んでいる日本人はかなり減っているとお店の方はおっしゃっておられました。

(2018.10.19)

★今回の教訓:大英博物館の土産物売り場は大行列。入り口付近の土産物売り場がおすすめ。売っているものは同じだけれど行列はゼロ。他の売り場で見付からなかったロゼッタ・ストーンのトランプと、TAのKさんおすすめのロゼッタ・ストーンのUSBを購入。
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オックスフォード通信(200)Thinking outside the box

オックスフォード滞在が200日目となりました

この通信も最初は2-3回書けば、と思ってはじめたのですが、イギリスに住んでみて戸惑い、発見、怒り、喜びなどその時に書いておかなければ忘れてしまうものが多くあったので書いている内に50回、100回と回数を重ねることができました。これも「時々読んでいます」といったゼミや大学の卒業生、又は他大学での受講生の皆さんからの温かい励ましがあったからと感謝しております。

この200日で随分、自分のものの見方も変わってきたと思います。

また、来年度の授業の計画を立てる段階でこれまでとは違うアイディアで授業を見ることができるようになったと思います。言い方を変えると、これまでは「こうでなくてはいけない」という固定観念に知らず知らずの内に囚われていたように思います。授業の講時についても、何曜日でなければならない(例えば、4回生ゼミは木曜日の4時間目でなくてはいけないとおもっていたのですが、現在のゼミメンバーに聞いてみると案外月曜日でもいいという返答が多くありましたこの授業は課題を出さなければならないと思っていましたが(外国語教育論では伝統的にMoodleにコメントを書いてもらっていましたが変更してもいいように思います)、課題なしの講義というスタイルでもいいのではないか、その分、参考文献を提示して学習したい学生が事前に学べる仕組みをつくればいいと思うようになりました。

そんなの簡単なことだと思われるかもしれませんが、なかなか変えることはできないものです。一端はじめたことを途中からリセットするのは面倒くさく、腰が重たくなります。

また毎日、夕食を決まった時間に食べられるようになって、これまで夜の10時くらいに帰宅してから夕食を食べていたことが必ずしも良くないことだと分かるようになってきました(今更?)。仕事量は変わらないと思いますので、これからはそれだけ、仕事にメリハリをつけないといけないということだと思います。

来年度の授業時間割も1つの大学の分を除いてほぼ決まってきたのですが、これまで夜の7時半から9時過ぎまで担当してきたある大学院の授業も夕方の4時半からに変更していただきました。

すこし現場から離れてみることは少し遠くから物事を見ることにもつながるということなのでしょう。

Think outside the box、ということですね。

オックスフォードに来る前にある先生から、Before Oxford (BO) – After Oxford (AO) のようにいわば歴史の時代が移り変わるかのような違いがでないといけないと、助言を頂いたのですが、そのような認識の変化が起きているようにおもいます。あとは行動ですね。

このオックスフォード通信も365回まで綴ることができれば、是非「アフター・オックスフォード通信」として続けてみたいと思っています。

引き続き、御愛読の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(2018.10.13)

★今回の教訓:10月はセミナーも多く、コンピュータ関連の講習会にも数多く参加する計画を立てている。オックスフォードの真髄発揮というところか。
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オックスフォード通信(197)Poster Presentation

学部全体でのポスターセッションに参加してきました

これはいい機会と私もH先生との共同研究のここまでの成果をポスターにまとめて発表させていただきました。5:00-6:00がポスターセッション、6:00-6:30がラウンジが新装されコーヒーコーナー(Pring’s)の公式オープン行事でした。

教育学部には数多くのリサーチグループがあり(約10個)、そのリサーチグループ毎にポスターボードコーナーがあり約1時間にわたりポスターを通した発表会となりました。

学生の皆さんもそうですが、私達もこのような発表の機会は以下の意味で重要です(1)期限までに何とかデータや考えをまとめようとする、(2)人前で発表するので適度なプレッシャーを感じながら頭の中でリハーサルをする、(3)ポスターセッションのように人と話をすることによって新たな発見がある。

トロント大学のMerrill Swain 博士が提唱したアウトプット仮説がありますが、まさにアウトプットすることによって自分の研究の欠陥に気づき、また仮説を試す機会となります。本日いろいろな人と話をする機会がありましたが、グローバルリンガフランカとしての英語をどのようにストラテジー研究に結びつけるのか、いいところまでは来ていると思うのですが、もう一歩考えを進めないといけないと自覚することができました。

同時にこの発表会を通して多くの人と話をして知り合う機会になりました。現在、4回生の卒論のなかで、Trigger(きっかけ)が外国語学習において大事ではないかと考えている人がいますが、その通りだと思います。ひとつのきっかけで世界が大きく広がり、気持ちが豊かになることがあります。

よく、Never miss an opportunity to be fabulous! と学生の方に言っていますが、本当ですね。正直、発表会の前は少しドキドキしていましたが、終わってみると晴れ晴れした気持ちになります。人生、少しドキドキする事の方がいいのかもしれません。

Never miss an opportunity to be fabulous!

(2018.10.10)

★今回の教訓:さあ、第二歩を!

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オックスフォード通信(195)マラソン

本日は、オックスフォードマラソン(ハーフ)が開催されていました

参加した、わけではもちろんないですが、幸い現在住んでいるアパート(フラット)の前がルートに入っているというので、朝10時前に表に出てみました。

先日、テニスを一緒にしたTさん達が走ると言っておられたので探していたのですが、それどころではないすごい数の皆さんが走っておられました。

恐らく人生でマラソンを生で見るのは初めてではないでしょうか。ちょうど折り返し地点の手前のだったので、折り返す直前のランナーと折り返して来たランナーの両方を見ることができました。

すごいですね。迫力というか、個々のランナーを見るのはほんの1-2秒のことですが、それぞれのランナーから何か訴えかけるものを感じます(いわゆるかぶりもののランナーはほぼ皆無で[1名だけいらっしゃいました]みなさん真剣そのものの表情でした)。マラソンが好きで走っている胃人、何かを賭けて(お金ではない)走っている人、健康増強のために走っている人、仲間と一緒に走っている人、タイムをかけて走っている人(先頭ランナーも見ることが出来ました)。それぞれぞれのモチベーションが違うけれど同じロードをマラソンランナーとしてこれだけ多くの人が走っているのがとても興味深かったです。

その中で一人の女性がKeep Calm and Run onという紙を掲げて「Come on Guys! … (何か言っておられたようにも思いますが覚えていません)」と声援を送っておられたのが印象深かったです。もちろん、「Keep Calm and Carry on」のもじりですが、いい言葉ですね。

マラソンにも人生があるのですね。

(2018.10.8)

★今回の教訓:関係ないと思ってもまず足を運んでみることは大事だ。何か感じるものがある。
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オックスフォード通信(182)i-Seminar 16回目: Eureka !

インターネットゼミはカッコ良く言うと、iSeminar といえるのかもしれません

English Playbook(同志社女子大学英語英文学会刊, 2017) の本日の英単語(勝手にコーナーを作りました)は、“Eureka !” (303, p. 79)だったのですが、まさに「分かった!」というひらめきの瞬間です。ひらめきとは実にかしこまった場所では起きないもので、昔から「三上」(馬上 [ばじょう:馬や乗り物にのっている時]、枕上 [ちんじょう:枕の上、つまり寝ている時]、厠上 [しじょう:トイレ])がひらめきがおきやすい場所と言われています。これに付け加えるとお風呂に入っている時があると思います。2017年に同志社女子大学に講演に来て頂いた作家の三浦しをんさん(「舟を編む」の本などで有名。ちなみに同僚のジュリエット・カーペンター先生がこの英語翻訳をされました)もシャワーを浴びている時にいい考えが浮かぶとおっしゃっておられました。私もオックスフォードに来てからずっとシャワー派ですが、しをんさんと同じくシャワーを浴びていると不思議にいい考えが浮かびます。先日も、来年度のゼミテーマ、何かいいものがないかと考えていたのですが、シャワーを浴びている時に、“Eureka !” の瞬間がやって来ました。ただ、シャワーの問題点はメモを取れないことです。しをんさんは思いついたらそのまま走って行ってメモを取るとおっしゃっておられましたが、私は呪文のように思いついたことを復唱して覚えるようにしています。あと、もうひとつ付け加えると、朝の祈りの時ですね(毎朝心静かに祈っています)。あとは今日のように食事をしている時ですね。私の場合はまとめると、シャワー、祈り、食事となるでしょうか。

私はどこで “Eureka !” と思ったかというとゼミ後にパブにご飯を食べにいったのですが(昼からビールは飲んでおりません。食事だけです。念のため)、そのパブにiPubというゲーム機を見つけてピンときました。あ!これだ!という瞬間です(そのほか、ソフトドリンクとして飲んだ、ジンジャービアがこれまでで最高のものでした。帰りに近くのスーパーで見つけて1ダース購入しました[Old Jamaica Ginger Beerです。日本でも売っているかもしれません。香りが最高です])

さて、7/23以来のゼミ再開です。

日本は祝日にも関わらず17名全員、北尾先生、TAの加藤先生、そして私と1名も欠ける事なく全員そろって秋学期をスタートすることができてとても清々しい気持ちになりした。

秋学期のiSeminarのスタートに合わせて、新しいデバイスとして Air Pods(Apple)が加わりました。当初はBluetooth Speakerを購入しようかと考えていたのですが、いわゆる「ワイヤレス・イヤホン」を導入しました。

本日のゼミは通信状態もまずまずで(2-3回フリーズしました)Facetime (Apple) を利用して、午後3時から午後6時半すぎまで(イギリス夏時間:午前7時すぎから午前10時半頃まで)セッションが行われました。前半の4コマ目は英語、5コマ目は日本語でのゼミでした。

同志社女子大学側ではそれほど違いが分からなかったのかもしれませんが、オックスフォード側では、 Air Pods を使うことによってまず、音が以前よりも(MacPro内蔵のスピーカー、iPhoneに付属の有線のイヤホンと比較して)クリアに聞こえました。そして、 Air Pods 内蔵マイクを通して話ができるため、マイクを気にする事なく(以前はコンピュータのマイクに向かって話す感じがありました)対人コミュニケーションの姿勢で話が出来た点は大きな違いでした。

秋学期はゼミの集大成。3回生から始まったゼミは卒論という大きな山を目指してこれまで培った、英語スキル、応用言語学の知識、ゼミとしての切磋琢磨する成長ムードなどを総結集して行きます。17名がこれまで先輩が書いて来たような質の高い卒業論文を作成することは並大抵なことではありません。ただ、本日のゼミで強調したように「卒論だけに終わらないように」大学行事にも積極的に参加しながら最高峰を目指したいと思います。最近思うのですが(上記のヒラメキについても書いた通りですが)少し力が抜けて、楽しんで取り組む方がいいものができるのではないでしょうか。これは人生においても同じかもしれません。要は、どうすれば楽しむことができるか?ということになるかもしれません。

私は不在ですが、スポーツフェスティバルにも参加しEVE祭 (11/23-25)にも出店します(今年は「豚汁」です!)。SPにも5名参加しています。また伝統の地獄の冬合宿も同志社びわこリトリートセンターで11月に開催します。来年度ゼミである若ゼミ19期生(4回生からのスタート)、20期生(3回生)への若ゼミの案内方法についても画期的なものを考えてくれています。

若ゼミ卒業の諸先輩におかれましては是非後輩である若ゼミ18期生をこれまで以上に温かくサポートしていただきたくお願い申し上げます。

さあ!卒論に向かって! Never miss an opportunity to be fabulous!

(2018.9.25)

★今回の教訓:iSeminar なかなかいいかもしれない。(c) を取っておこうかな。Googleで検索すると眼医者さん関係が出てくる。なるほど、アイか。
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オックスフォード通信(180)ベルリンで自由について考える

私達は生まれてから自由な環境に育っているので分からないのかもしれませんが、行動、旅行、仕事や住まいの選択の自由は、水や空気と同じくらい重要なのかもしれません

今日の午後、チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)に行ってみました。ここでベルリンが東西に別れ自由に行き来ができなくなっていたのか思いながらそのボーダーを眺めていました(米兵風の軍服を着用した2名の兵士風の人が立っていました)。東ドイツの人にとっては、住む家も仕事も食べるものもあったけれど、自由に国外に出たり、自由にものを言ったりする自由がなかった(秘密警察に逮捕される)ことが耐えきれなかったのだろうと思います。

では、自由はあるけれど貧しい生活と、食べるものや住む場所など豊かな生活があるけれど自由がないのはどちらがいいのでしょう。今日、ベルリンの壁やこのチャーリーを訪れた人は後者だというかもしれませんが、なかなか難しい問題かもしれません。

話は飛びますが、日本では近年、高齢者の万引きなど軽犯罪が増えているというニュースを聞いたことがあります。その理由は刑務所では住む場所も食べるものも無料で提供してくれるのでわざわざ再犯を犯して戻ってくる高齢者が多いとのことです。近年の刑務官は高齢受刑者の介護までしなくてはならず大変な状況だとその記事は伝えていました。

ベルリンの壁やシュプレー川(Spree)の国境を命をかけてまで超えてきた東側の人達には共感も同情もしますが、本当に「西側」ではいい人生が待っていたのでしょうか。本日は、元ソ連共産党委員長・大統領のゴルバチョフがプロデュースした壁の博物館(The Wall Museum)も参観してきましたが、壁を打ち壊すまでの過程やその意義については述べていましたが、では東西ドイツが統合してドイツ国民がより幸せになったのか、という点については疑問を持たせないような持ち上げ方が気になりました。

イースト サイド ギャラリー(East Side Gallery)の壁に描かれた有名な絵画群を見終わった後、ベルリン・ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(Bahnof Warschauer Straße)からポツダム広場へ行くべく、U(地下鉄)に乗ったのですが、次の駅を過ぎるとなぜか電車は反対方向へ。そういえば、次の駅でほとんどの人が下車していたのを不思議に思っていたのですが、Schlesisches Tor 駅から先は通行止めで、バスの代行運転になっていました(後からわかりました。ベルリンでは何度も反対方向の電車に乗ったりも含めて地下鉄とS・トラムの乗り間違えが何度もありました)。何とか代行運転のバスに乗ったのですが、よほど迷っているように見えたのでしょう、ベルリン在住のクリスチアーナさんが流暢な英語でどこでどう乗り換えたらいいか、分かりやすく説明をしてくれました。

その際、ベルリンの壁のことについても聞いてみましたのですが、クリスチアーナさんによると壁がなくなったことも東西ドイツの統一も良かったとおっしゃておられました。クリスチアーナさんはハンブルクの生まれで子供の時に西ベルリンに移ってこられたそうです。同じベルリン市内の反対側の東ベルリンには親戚もいて分断時代は苦労したとおっしゃっておられました。このような話が無数にあるのだと思います。

市民の目線から見ると同じ街の中に壁があって行き来ができないのは不自然すぎるのは事実だと思います。「では統合してみんながハッピーになったと思いますか?」という質問には難しいことだとおっしゃっておられました。そう出ない人もいると思うと正直におっしゃておられました。

社会主義は歴史の遺物のように扱われていますが、資本主義はその代替としてうまく機能しているのか、という問題についてはフランスの経済学者ペケティが「21世紀の資本」で厳しく批判していますし、2016年のアメリカ大統領選挙前に「1-99%」の議論がありました。

壁は自由を束縛するものとして絶対悪であると思います。またそのような壁を今後作ることを許してはいけないと思います。しかし壁がない世界はそれだけでいいかというとそうでもない。壁はなくても自由でないことがたくさんあります。水・空気・自由と並べられるように壁がないのは絶対必要条件ですが、自由とは壁がないだけではないと思います。

旅行しようとするとお金もかかりますし、大学に行こうと思うと授業料も必要となります。私達の周りを縛っている目に見えない壁はたくさんあると思います。そのような壁が減ってくると人はより自由に楽しく生きることができるのだと思います。この中には外国語を自由に使いこなすスキルも含まれると思います。

2日間のベルリン滞在で、ベルリンの壁記念館と壁の博物館、それにチェックポイント・チャーリーを訪れました。その中で特に胸を締め付けられるのはベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された人達のことです。多くは若者でした。ドイツが統合された後、その責任追及が始まったとベルリンの壁記念館の展示は示していますが、国防大臣ですら自分の意思ではないとその責任を否定していることにビックリします。トップであったホーネッカー国家主席はキューバへ亡命し、誰も国境線を乗り越えようとした人を殺した責任を自ら認めた人がいないことはどう考えればいいでしょう。

これは、ハンナ・ アーレントがナチスの犯罪を「banality of evil」(悪の陳腐さ)と呼んだこととよく似ています。悪というものは大罪人が行うのではなくて、ごく平凡な人間が自分で何も考えることなく、官僚的に処理するところから起きる、とアーレントは述べています。

今回のベルリンの壁についていろいろと目にする中で、官僚的に、ではなくてみんなが「兵隊」になってしまったからこのようなことが起きたのではないかと考えるようになりました。それは国境線を守る兵隊だけでなく、国防大臣やホーネッカー国家主席に至るまで「思想の兵隊」になってしまったのではないか、だから嘘を言っているわけでもなく、本当に罪の意識がないのだと思います。兵隊とは言い方を変えると「何かを守る」ために「何かを犠牲にする」ことだと思います。

その犠牲が人の命であっても「仕方がない」と思う。でも、その思想も突き詰めると玉ねぎのように芯は何もないのですね。ナチスの思想がそうでしたし、戦前の日本の国体がそうでした。

そうならないためには3つだけ対策があると思います。ひとつは「納得のいくまでむやみに人を信じないこと」(映画『戦争と人間』、山本薩夫監督)です。かっこ悪いからわかったふりをする、これが道を誤るもとだと思います。かっこ悪くても分からなければ、安易についていかないことです。

もうひとつは「笑う」ことです。兵隊は絶対に笑いません。官僚も笑いません。人間的感情の最大の発露は笑いと泣くことです。笑うとこれまで悩んでいたことがバカバカしくなります。笑うことで人間的感情を取り戻すことができます。変な思想は、笑うことを恐れます。そのような考え方は間違っている証拠です。

最後は、いろいろな世界を見ることです。旅をすることです。今回、ウイーン、プラハ、ドレスデン、ベルリンと4つの都市、3つの国を旅する中でいろいろなものを見たり、人の姿を見たり、話を実際にして見たりする中で、自分の考えがまだ狭いことがよくわかりました。あのような姿がいいと思うことも、あれはいけないな、と思うことも含めていい刺激を受けました。

いい機会をあたえて頂いたことに感謝します。

(2018.9.23)

★今回の教訓:壁を作らざるを得ないような社会主義は失敗、でも資本主義も不十分。その2つを乗り越える第三の思想ってあるのだろうか。
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オックスフォード通信(176)ドボルザーク

朝一番にドボルザーク博物館に行ってきました

ホテルから歩いて10分くらいの距離にあります。彼自身が住んでいた場所ではなかったようですがかれの生前から同じ場所にあったとのことです。訪れてみて良かったと思います。ドボルザークの音楽は彼の素朴で気取らない性格からできたのだと言うことを知ることができました。愛煙家であったことは意外ですが、田舎に住み、プラハ音楽院の教授の職のオファーも断り、音楽をひたすら愛していたように思えました。ブラームスとの交流があったことも意外です。

展示の中で最も興味を惹かれたのがアメリカへの数年間の旅行・在住です。改めてドボルザークがアメリカ行きの中で交響曲第9番を書き上げたことはすごいと思いました。アメリカでの新しい生活に向けた期待と不安、故郷への想い、新しい可能性へ賭ける思いをこの交響曲に込めたのだと思います。今の私の心情と重なる部分があるのはもちろんですが、誰しもの人生とも重なるのではないかと思います。

モーツアルトもそうですがその気持ちや心情が音楽として見えるところが天才なのだと思います。ひょっとしたら天才ではなくて誰にもそのようなことは不可能ではないのかもしれませんが、交響曲や音楽としてまではまとめることができないだけかもしれません。

彼の代表曲を聞くことが出来るようにいくつかの音楽が選曲してありました。第9番も良かったのですが、スラブ舞曲のメロディーに心が躍りました。心をくすぐられる音楽です。といっても洗練されたものというわけでなく、何か懐かしくなる音楽です。

やはり今晩のコンサート(第8番、通信175参照)に行きたくて、博物館の受付の方に聞いてみたのですが、これはコンサート会場のBox Officeに行って懇願するしかないのではないか、ということでした。

ウイーンの皆さんもとても親切だったのですが、それ以上に親切なのがこのプラハの人達です。朝、ドボルザーク博物館の帰りにトラムに乗ったときには(実は逆方向に乗ってしまいました・日本、イギリスと反対の右側通行なのでトラムなどの方向も間違えがち)おばあさんが横に座って、10分くらいずっとチェコ語で私にいろいろと話しかけてきます。どうもいろいろな助言をしてくれているようなので、yes, of course などと答えていたら話は通じているようで、わたしも言っておられる言語は分かりませんでしたが、何となく言わんとすることは分かるという不思議なコミュニケーションをしました。降りる際には、スリが多いからお前の後ろポケットに入っているものを気をつけろ、と言ってくれました。私はこれはパンフレットで財布じゃないから大丈夫だというと通じたようです。帰りがけにニコッとした笑顔が素敵でした。また、時計台広場に行こうと思ってトラムに乗ったときには迷っているように見えたのでしょう、完璧な英語でどこに行くんの?迷ってない?とご婦人が声をかけてくれました。じゃあ、その前にユダヤ人墓地に行った方がいい、私がそこまで案内するとまで言って頂きました(結果的に時計塔は修理中で12時の音を聞くことは出来ませんでしたが、墓地は後から行きました)。もう一人の子連れの女性にも優しく声をかけていただいています(よっぽど迷っているように見えるのでしょう)。

でも、こうやって英語や、英語-チェコ語で話をしながら一つ分かったことがあります。コミュニケーションする態度は「目」ですね。いろいろな観光客が来ていますが、目を見るとこの人は話をしたがっている、話をしたらおもしろそうかどうか、が分かります。

中高の英語科の評価に「「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」がありますが、「目」で判断・評価するといいのかもしれません。目は大事ですね。おそらく私も目で何かを訴えていたのだと思います(教師の習性かもしれません)。

ところで、コンサート会場のRudolfinum (Dvořák Hall) に足を運び受付の方にチケットがあるかどうか→ない、当日券はないか→ない、キャンセルのチケットを手に入れることはできそうか→100人以上待っている、せめて会場をみせてくれないか→だめ、と取り付く島もない状態でした。ドボルザーク博物館の係員の女性は、手を合わせてお願いしろ、とボディーランゲージで示してくれましたが、流石にそこまではできませんでした(別件ですが、プラハのパンハンドラーは過激なアクションで迫ってきています。思わず心が動きそうになります)。

でも、小さな頃から好きなドボルザークでしたが(ユーモレスクが入り口です)、博物館やホールからいいインパクトを頂きました。昨日も書きましたが「第8番は次回のお楽しみに」いつかもう一度、プラハで聞きたいと思います。

代わりにというわけではありませんが、夜、ヴルタヴァ川 にペダル式のボートを繰り出し(奥さんの発案です。頭が柔らかいのはいいですね。スマートな証拠)流れているか流れていないか分からないくらいの緩やかな川の流れにゆらゆらとゆられながらカレル橋、プラハ城の夜景を見つめていました。

思えば、プラハの春の1968年から50周年、ビロード革命と言われる1989年の共産党政権の崩壊から約30年、第二次世界大戦中はヒットラードイツに、戦後はソ連に影響されながらもチェコ人の本質を見失うことがなかったチェコ人のしなやかで気さくな知性は傑出していると思います。

ウイーンもそうですが、プラハでも母語のチェコ語以外の表示や案内は要所を除いて(例えば、地下鉄で外国人観光客の乗降が多い駅など)母語のみです。それは母語に対する愛情と誇りを感じさせるだけではなくて、堂々とした印象を与えます。それについて誰も不満があるようにも思えません。グローバル社会で生きて行くというのはそのような姿なのではないかとも思います。

日本のように、どの場所でも英語・中国語・時に韓国語で表示、アナウンスをするのは「便利」かもしれませんが、それと引き換えに日本語に対する誇りを失ってしまってるのではないかと思うようになりました。これは変な硬直化した考えではなくて、バランスを上手く取りながら日本語を大切にするという姿勢です。分からなければ「英語」で観光客は聞けばいいのです(日本語ではなくて)。その時に応対できるだけの「基礎的英語能力」を日本人が付けておけばいいのです。今の状況は英語で聞いてもお答えできませんから、できるだけあらかじめ英語や中国語でお知らせしておきますよ、というように受け取られてしまうかもしれません。

明日は、ドイツ、ドレスデンに移動します(「世界の車窓から」風になってきました)。

(2018.9.19)

★今回の教訓:チェコで目を背けることができないのが第二次世界大戦中のヒットラーによるユダヤ人大虐殺。展示をみながらヒロシマ・ナガサキ、そして東京大空襲を思い出した。戦争の犠牲になるのはいつの時代も庶民だ。

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オックスフォード通信(175)プラハ

ウイーンからプラハへ電車で移動しました

ウイーン中央駅は予想以上に大きく、清潔で、電光掲示板などよく整理された使いやすい駅です。プラットフォームがどこになるか心配だったのですが、1時間前には表示され(9番ホーム C-Fでした。このC-Fの意味が最初分かりにくかったのですが、同じホームにA、Bと乗り場が指定されています。私が乗る前の電車がFあたりから出発したのですが、Aにも同様に電車が止まっており[Don’t rideと表示が出ていましたがが] 間違えて乗り込んでいる人もいました。その後発車した後に気づいたのか走っている人もいましたので分かりにくいところです)。

さて、朝、9:10発のTrain Jet スメタナ号にて一路プラハへ。ヨーロッパ版の新幹線とのこと。それほどのスピードは出ませんが(最高で120km/hくらい)電気気動車が牽引しているので揺れもなく快適な列車の旅です。

イギリスもそうですが、トンネルもカーブもほとんどなく直線の旅です。オーストリア西部に広大な草原が広がっています。雄大です。

列車はウイーンからチェコ国境の町Brunoを越えて山の中を走ります。イメージとしては山形新幹線といった感じです。スピードを出せるところは160kmくらい、山間部にはいると70kmくらいです。

車内はWifiや電源も完備されていて2等車で十分という感じです。それにしてもこのオーストリア=チェコ国鉄は生真面目で5分列車が遅れていることを申し訳なく思っているようで何度も5分遅れているとアナウンスします。このような態度はイギリスでは久しく見たことがありません

結果的には10分遅れでプラハ中央駅に到着しました。プラハの印象は石畳の街、そしてドイツ語とは異なりチェコ語が話される国。

まずはプラハ城に登るべく歩き始めました。プラハは大きな街ではないし、ウイーンとよく似た感じなので例えば一日乗車券などの買い方や有効化 (Validate) の方法などは同じです。ただ問題はトラム。なるべくトラムに乗りたいとおもうのですが、Google Mapの乗り換えでは地下鉄ばかりでなかなか出てきません。しかたなく、地下鉄に乗り込み、といっても3分くらいで到着。そこからはひたすら長い坂道を上がっていきます。

実は、到着して、お昼ご飯を食べていないことに気づき、ホテルマンのおすすめのチェコ料理のお店で、ウインナーとローストビーフを頂いた後でした。もちろん、ここにチェコビールがセットになっているわけでビールを飲んだ後に山の頂上にあるプラハ城に登るのはなかなか骨の折れるものでした。それにしても多くの観光客です。ウイーンよりも街が小さい(観光地域が)か観光客が多いように思います。

土産物屋さんやレストランの印象はより民族的、よりギリシアよりという感じでしょうか。親しみを持てる感じです。英語はウイーンで話をした人達よりもコミュニケーションしやすい印象です(これは全くの個人的印象です)。

今回、プラハでは是非、ドボルザークのゆかりの場所を歩いてみたいと思っています。クラシックで一番好きな曲は?と聞かれたら二もなく、「ドボルザーク、交響曲第8番、イギリス」と答えるくらいです(実は、明日、チェコ交響楽団演奏でその第8番がプラハで演奏会を開くことを知りました。大人気らしく、チケットはすべて売り切れ。事務局に昨日メールを送ったら2ヶ月前に売り切れていますのであきらめて下さい、と親切な返事が。もう一回来なさいということなのかもしれません)。

本日のハイライトはプラハ城の中にある「聖ヴィート大聖堂」の尖塔に登ることでした。高いところが小さな頃から好きなので(リバプールを案内して頂いたD先生は全く逆の好みだとおっしゃっておられました)、プラハ城までの道のりでかなり消耗していましたけれど、オックスフォードのSt. Mary教会くらいだろうと高をくくって登りはじめました(この高をくくることは結構大事なことです)が登っても登っても着きません、同じらせん階段の繰り返しです。時々、鐘楼が見えるくらいで、バベルの塔のようにどこまでも階段が続く感じです。何度も休憩をはさみながらやっとのことで頂上へ。プラハの全貌を目にすることができた感動と足の疲れが半々というところです。年の割には足腰には自信があったのですが(最近腰は怪しい)、その後登ってくる人を見るとすいすいと息も切らさず登頂する人も多いところから、まだまだ修行が足りないと思った次第です。

大聖堂のてっぺんからプラハの町並みを見ながら、たとえば、1400年当時の国王カレルは何を考えていたのだろうかと考えていました。恐らく、日本の戦国時代の武将と同じ心情だったのかもしれません。ただ違うのはお城と教会がセットになっているところです(オックスフォードもカレッジと教会がセットになっています)。一方、宮崎駿「ルパン三世カリオストロの城」の城下町のような飲食店がお城の麓に軒を並べているのは日本でも同じ事だったのかもしれません。

風景は綺麗だったのですが、一方で、ここに来ている人は何に感動しているのだろうか、とも思いました。歴史的建造物?古さ?絶対的な美しさ?自然と街の融合?私達が忘れかけている人間らしい町並み?

たしかに、ブルタバ川にいくつもかかる橋と煉瓦色の屋根の町並みは中世のようですし、無条件に美しいと思います。またカレル橋自体、味のある他にない、絶対無二のもののようにも思います。

答は分かりませんが、今の自分の生活にないものがこのプラハの町並みにはあるのでしょう。

(2018.9.18)

★今回の教訓:ドイツ語圏、チェコ語圏、イタリア語圏などが隣接していれば共通語としてのリンガフランカ構想が浮かぶのは理解できる。共通言語が生活に必要だ。
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オックスフォード通信(174)Tower of Babel

先日のオックスフォードでの学会でお目にかかったウイーン大学の Mariene 先生にオススメの場所を教えていただき何ヶ所か訪れてみました

まずはシェーンブルク宮(Schonbrunn Palace)へ。ホテルの近くから地下鉄に乗って約20分。その車両に乗っていた半分くらいの乗客が下車。なにやら胸騒ぎが。駅を降りてみるとバスは何台も停まっているし、延々と続く人、人。まあ、入れなことはないだろうとタカをくくって入り口に。宮殿ですのでかなり広いスペースでしたが、それでもかなりの人が。

入場券売り場は長蛇の列ですが、Information で聞いてみると長時間のツアーでなければ自動販売機でチケットが買えるとのこと。英語を含め(日本語はなかったような)6ヶ国語くらいに対応したスマートな自販機でチケットを買っていざ入口へ。

入り口で預けなければいけないというバックパックを手渡し、ゲートへ。ゲートには厳しい顔をした女性係員が。また胸騒ぎ。チケットを手渡すと12:36分のチケットなので2時間後に戻ってこいとのこと。まあそう言わないで、という雰囲気も作らして貰えず断固却下されました。一度市内に戻って夕方来ようかと思ったのですが、今後は少し優しそうな男性(男女の区別をいうわけではありませんが、このような場面では男性の係員の方が柔軟に話を聞いてくれる傾向があるように思っています)に聞くと30分オーバーくらいまでが許容範囲とのこと。この宮殿は厳しい。

あきらめて、宮殿裏手の(?)庭に出てみてビックリ。広大でしかも幾何学的に設計された庭がはるか遠くの方まで続いています。ただイギリス人的発想では芝の刈り方が甘いなあなどと思いながら散策しているとあっという間に2時間が。それくらいガーデン、噴水、塔(登るのに更に追加の入場料が)には見所がありました。さすが、ハプスブルク家です。さすが、マリアテレジアですね。塔の最上階からは遠くウイーンの町並みを遠望することができました。シュテファン大聖堂の尖塔もこの景色によく合っているように思います。

厳しい受付がいるので少し早足で戻ってくると12:30、6分前です。自信を持って券を渡すと、Too Early と断固とした口調の英語が。絶望感に襲われながら3分待ち、流石にいいだろうと思った時にはその係員は他の入場者と話をしていてしめしめと思ったのですが、何のことはない、入場用のマシンが早すぎると受け付けない設定になっているのです。地下鉄駅のオープンさとのギャップに少しびっくりしました。

どうせみるものは大したものはないだろう(失礼しました)と思っていたのですが、音声案内を聞きながらのセルフガイドで回る各部屋からは荘厳・淡麗かつ現代に生きる歴史をひしひしと感じることができました。特に、マリアテレジアの前で6歳のモーツアルトが演奏した部屋と舞踏会が開かれていた大広間にはしばらく立ち尽くしました。そうだったのですね、マリアテレジアというとあのマリーアントワネットの母というつながりしか知らなかったのですが、モーツアルトが同時代にというよりも、マリアテレジアの時代が醸し出す雰囲気の中で音楽を作っていたということなのですね。

世界史は高校時代好きな科目だったのですが、この時、マリアテレジアとモーツアルトがなぜ一緒に教えられなかったのだろうとふと不思議に思いました。答えは簡単で大学入試では政治的・社会的なことは出題されても文化的な側面についてそれほど重要視されていなかったからだと思います。

しかし、このように大人になってから外国の街を訪れる際に興味深いのは政治経済よりも、人々の暮らしや生活、文化的な側面の方です。昨夜耳にしたモーツアルトの音楽が頭の中で流れてきました。マリアテレジアはどのような顔でモーツアルトの音楽を耳にしていたのでしょう。それは丁度、シェークスピアがエリザベス1世の時代に生きていたことと同じような関係なのかもしれません。

その後は、バベルの塔を見に、ウイーン美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)へ。途中、マーケットをしているという Naschmarkt の近くの Kettenbruckengasse 駅で下車(ドイツ語は途中で切らないので1つの単語が長い)(結果的には日曜日でマーケットはお休みだったのですが、そのホームに衝撃のポスターが。10.2からバベルの塔展。絵、ということは今は展示していないのか。そういえば日本でバベルの塔展をしていたな、まだどこかを回っているのだろうか、とだんだん弱気になってきました。でも地下鉄で乗り合わせたリビア人の男性二人が面白かったので、まあいいかという気になりました。お前はどこから来たんだ、と聞いてくるので日本というとおおテクノロジーの国か、寿司は好きだと、いろいろとステレオタイプ的なことを言ってくるので、テクノロジーは確かに当たっているが、寿司は毎日日本人が食べていると思っているだろうというとそうだと答えるので、その誤りは正しておきました。一方、リビアはどこにあるか知っているかと聞いてくるので、自信を持って日本人は100%その場所を言い当てることができるというととても喜んでおられました。わかりますよね、リビアの場所。ちなみにその母語はアラビア語ですよ)。

博物館へ行く気が一気に失せたので、途中、サンデイ・ストリート・ロックコンサートみたいなイベントをやっていて(最初は遠くの方からデモ隊の雄叫びのようなものが聞こえると思っていました)、そこでホットドック(すいません、ウイーンはイギリスよりも格段に食べ物が美味しいです)を食べたりしながら、美術館入り口へ。高い入場料を払う気がしなかったので、受付でミュージアムショップだけ行きたいと申し出ると、一目瞭然で分かるような赤のストライプのIDをいただくことが出来ました。せめて、バベルの塔のトランプでも買おうと思ったのですが(外国では必ずトランプを買うようにしています)、あまりにできが悪いので、クリムトのトランプなどを買って、レジでバベルの塔は展示していないよね、と聞くと、横でお金を払っていた客が残念だったな、来月から展覧会だと追い討ちをかけて来ます。するともう一人の客が、いやいま展示をしているはずだと。それはないともう一人の客が言い返すと、「20分前にこの目で見てきた」というではありませんか。えええ。するとミュージアムショップのレジの係員はとても親切で気が回る人ですぐさまウエッブを検索して2Fのxx室!と教えてくれました。

危機一髪。

すぐさま方針転換。受付で改めてチケットを買い(ウイーンではチケットを買うと必ず、Where are you from? と聞いてきます。不思議に思ってなぜ聞くのかと聞くと、そのように聞くように決まっているとのこと。午前中のシェーンブルク宮でも全く同じ質問をされました。本当に皆に聞いているのでしょうか)、ダッシュ気味で2Fへ(と言っても、ドイツと同じで0階から数えるので、3F、ここの美術館は更に0.5という中二階?もありました)。

ありました。あのブビューゲル (Bruegel) 作、The tower of babel です(これはホテルに帰ってから調べたのですが、ブビューゲルのバベルの塔には2作あって、1作はオランダに、そしてこのもう1作がこのウイーンにあるとのこと。日本で展覧されたのはオランダのもののようです)。

しばらく立ち尽くしました。

天に届くかというバベルの塔。聖書にも登場するこのバベルの塔。言語との関わりにおいても興味深いのですが、天国に届くように人が知恵を合わせて塔を作るというのですが、ブビューゲルの描写は細かく人々を無理強いして働かせる領主や外敵を攻撃する大砲も描かれています。

でも人々が更なる高みを目指してコツコツと塔を建設する様子は何か私達にインスピレーションを与えるものです。古来から人はこのように何かを夢見ながら果たせぬ夢に終わるかもしれないものに挑戦してきたのだと思います。これは外では無理やり働かせられているようにも描かれていますが、この塔を作るのは人間の本能ではないかとも思いました。

それほど混雑もしない贅沢な空間でバベルの塔について色々と考えを巡らせていました。

それにしてもレジで一声かけてよかった!

PS. その後、国立図書館 (Austrian National Library) へ。これがまた分かりにくい所にある。今回の旅では珍しく (?) Vodaphoneが完璧にカバーしてくれているので (giffgaffは全く駄目)Goodle Mapが使えて便利なのですが、図書館はなかなか分かりませんでした。問題は核心の場所まで行ったときに全く反対方向の矢印案内があったことです。オックスフォードのボードリアン図書館と同様の1300年代くらいからの本の展示がしてありました。エスペラント語についての情報も展示してあり興味深いものがありました。

(2018.9.17)

★今回の教訓:私にとってのバベルの塔とは?あなたにとってのバベルの塔とは?ひとりひとりが人生の中で打ち立てようとしているバベルの塔があるはずだ。
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オックスフォード通信(173)Wien Vienna ウイーン

オーストリアのウイーンに来ています

ロンドン(Gatwick空港)から1時間50分(時差が1時間あるので3時間かかるように見えますが)、LLCのEasy Jetを利用しています(天気が良くてイギリス側、フランス側の海岸線が綺麗に見えました。イギリス緑がクッキリしているのに対してフランス側はくすんだように見えるのは手入れの違いでしょうか。また着陸前にウイーンの街が見えたのですが周辺には風力発電の風車がズラリ。近未来映画のようです)。ヨーロッパなのでどこも同じだと思っていたのですが、やはり真面目にその場を踏まなけrばいけないと確認することがいくつもありました。

まず、ドイツ語。もちろんオーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を皆さんが話をしているとは思っていたのですが、ドイツ語だけです。英語で話かけるとアクセントのないニュートラルな英語で(本当に分かりやすいです。すいません、イギリス人よりもはるかに理解力が上がります)かえってきます。なのでオーストリア人の英語能力の高さは疑いようのないところですが、地下鉄や電車の放送は(車掌さんは外国人と見ると英語で話してくれます。地下鉄や電車の切符も独特です。何しろ、地下鉄の改札がなく、車内検札もなし[あるのかもしれませんがまだ経験していません。空港からの電車ではありました]。正直、空港からの乗り換えの地下鉄はタダ乗りしてしまいました。すいません!)ドイツ語のみ。日本なら、日本語→英語→中国語→朝鮮語と(JR嵯峨野線の場合)順番にします。プラットホームの電光表示も少なくとも日英でしているはずです。

しかし、ウイーンではドイツ語のみ

不便を感じるよりも、オーストリアの人達がドイツ語に誇りを持っている姿を想像して逆に好感を持ちました。そうですよね。イギリスでフランス語のアナウンスもするかというとしません!

二番目。タバコに緩い。数珠つなぎみたいですが、ホテルに早く着いてまだチェックインできないので昼ごはんの美味しいところを尋ねる→美味しいヴィエナ・シュニッツェル(Wiener Schnitzel)を頂く→そこの美人のウエイトレスにウイーンでオススメのカフェを尋ねる→素晴らしいカフェで「ウインナコーヒー」の原点のようなコーヒーとこれまで食べた中で一番美味しいザッハトルテ(Sachertorte)を頂く、とVirtuous Cycle(正の連鎖)をうまく辿れたのですが、そのカフェに行ってみてびっくり。久々にカフェの中でタバコをふかしている人を見ました(イギリスでは皆無)。また、今晩、ホテルの近くのバーでビールを飲もうと入ってみたのですが、これまた煙がもくもくしていてすぐに退散しました。タバコ文化なのでしょうか。あまりタバコを隔離しようと思っていないようです。

今夕はウイーン楽友協会でモーツアルトのコンサートに行って来ました。思えば大学3回生の時のヨーロッパ旅行では楽友協会のみ入ることができず悔しかったのですが、その黄金の間でのコンサートに参加することができました。開始が遅く、夜8時15分 ~ 10時まで。モーツアルトの名曲を聴きながら、改めてモーツアルトはすごいことを実感しました。41歳までの人生であれほど多くの名曲を作曲したこともさることながら、作曲した曲は誰もを魅了する素晴らしいメロディーばかり。

天才という言葉で片付けのは簡単ですが、彼は自然と天にあるものを音楽として表現したのだと思います。ビートルズも同じような天才でしょう。リバプールに行けばビートルズを礼賛し、ウイーンではモーツアルトか、と思われるかもしれませんが、同じ人間が行ったこととして考えると凄いことだと思いました。私もモーツアルトやビートルズのように、真理を探求してスラスラと論文が書けるといいのですが(だいぶ良いところまで来たと思うのですが今考えている問題をあと一つ詰められていません)

これはCDを聞いているだけではなくて、その場で実感しないと分からないことなのではないか、と思います。

(2018.9.16)

★今回の教訓:ウイーンを流れる河はドナウ。ストラウスが歌うように(テムズ川とは異なり)青く雄大なドナウだ。
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オックスフォード通信(172)7 pence

7ペンスというと日本円でいうと10円くらいでしょうか

ポンドからユーロとクローナ(英語ではCrown、チェコの通貨です)に為替交換をするためにオックスフォード市内の両替所に行ってきました。不思議なことですが銀行よりもどうやらレートがいいようです。

と言ってもそれほど高額ではなくて全部で1万5千円程度です。アプリがあるので(App)便利ですね。レートを確認して、£100(約15000円)ほどユーロに、そして£20(約3000円)をクローナに交換しようと思いました。

両替所はオックスフォード観光案内所の中にあってとても便利なところです。私の前に英国人の大学生風の男性が私と同様にポンドからユーロに交換していました。私の番になって、まずはユーロからということですが、£100に7セント出せば丁度€110になると親切に言ってくれます。ところがどこを探してもというか普段クレジットカードしか持っていないので(本当にクレジットカードとApple Payがあれば事足ります)小銭は持っていません。

ああああ、という残念な空気が流れ始めた時、私の前に両替した男性が「どうぞ」と7セント差し出してくれるではありませんか。

先に書いたように日本円にすれば10円ほどですが、心が動きました。

なかなかできることではないですね。私だったら、と立場を置き換えて考えてみてもすぐにサッと差し出せるか、自信がありません。

人に、特に、海外で親切にしていただくと心にしみるものですね。このお返しは日本できちんとさせて頂きたいと思います。

Pay it forward!

PS. 明日からしばらくはヨーロッパの諸国の旅にでます。現地からお届けします。お楽しみに。

(2018.9.15)

★今回の教訓:額の多少ではないのだろう。爽やかなその青年の顔がくっきり浮かんでくる。
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オックスフォード通信(169)芝刈りと散髪屋さん

オックスフォードに来てからイギリスのいろいろな場所に行く機会を得ましたが、一つ不思議なことがあります。

どの街にも散髪屋さんが必ずあるのです。

そりゃあ、どの国のどの街にもあるでしょうと言われそうですが、目に付くだけでもその数が少なからず、いや多いと思うのです。ひょっとしたらイギリス名物の代名詞のパブより多いかもしれません。

ここでいうところの散髪屋さんは男性を対象とした Barbar です。女性用の美容院は正直どれが美容院か分からないところがありますのでその数はハッキリと分かりません。

外国にはしばらく済んでみるもので、そのような素朴な疑問はあるとき、ふと解決するものです。ヒントは芝刈りにありました(または植木と言ってもいいかもしれません)。

これまたイギリスの訪れる街、街、どこにいっても家の前の植木が綺麗に整頓されていて芝生がこれまた綺麗に刈ってあるのです。

私の住むフラットにも少し広い目の共用の芝生があるのですが、今年のように酷暑で芝生が刈れている間は流石に刈るものもないので芝刈り機(lawn mower)を見ることはありませんが、少し雨が多くなってきて芝生が復活した先週には早速、芝刈りが行われ、3月に来たときに見たような芝刈りの目がうっすらと見えるようになりました。

芝刈り・植木の整頓・(特に)男性の散髪、これは皆共通しているのではないか、とハタとひらめきました。自然に生えているもについては丁寧にしかも小まめに小ぎれいにしなくてはならない、そのような暗黙の了解があるのではないでしょうか。そうやって見るとオックスフォード大学の学生や先生も頭を短く綺麗に散髪している人が多く見受けられます。

それはなぜそうしなければならないのか、と言うところまでは分かりませんが、やっと共通点までたどり着いた感じです。

(2018.9.12)

★今回の教訓:間違っているかもしれないが、自分での発見は嬉しいものだ。
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