オックスフォード通信(137b)詐欺メール(続報)

前回の詐欺では十分な情報が得られなかったようで(やった!)追加のメールが今朝、来ました。

みなさんもご注意下さい。

メールのリンクから案内される「偽アップルサイト」(リンクを貼ろうと思ったのですが、二次利用しようとすると正規のアップルサイトにリンクしてしまいます。手が込んでいる)。

(Appleのブラウザー Safariなら以下のリンクをアドレスにコピーすると偽サイトにジャンプします。クリックしてFirefoxなどが起動すると正規のアップルサイトにジャンプしてしまいます)
https://jpmailauthentent.serveirc.com/IDMSWebAuth?appIdKey=z7Tz4qimsMGm5L6xxNkaSlVbiDzaPzQE5JfJIiLiEPJpkNkIfOu3fEK1CEdrhVWqdalX4UCrps2A5xsj#

見分け方:上部のリンクはどれをクリックしてもジャンプしない。

★今回の教訓:同じ轍は踏まない。詐欺メールで賢くなる

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オックスフォード通信(137)詐欺メールに引っかかってしまいました

教員の仕事をしている立場もあり、常々、リスク回避や特に詐欺まがいのメール(フィッシングなど)には注意しているつもりでした。ところが人間には弱みがあるものですね。

私の場合にはアップルと同志社です。

誰しも信ずる人や組織があるものです。その人達から言われたりそこからのメールであると警戒心が突然低くなってしまいます。

朝、メールの整理をしている中で、アップルから下の写真のようなメールが来ました。今、その添付で送られてきた文書だけを見るとおかしいと思うのですが、「あなたのアップルアカウントが凍結されたので再設定してください」というメールにまんまと乗せられてしまいました。

誘導されたアップルのページもそっくり。そこではアップルIDやパスワードの再設定、そして利用するクレジットカード番号、有効期限。そして3桁のセキュリティー番号を入れるように促されます。何かを買ったわけでもないのにそのセキュリティー番号を入力するように言われた段階でおかしいと気づくべきだったのですが、それがアップルのページだっただけに疑うことを忘れていました。

これがオレオレ詐欺に始まる詐欺の秘技なのでしょう。相手の警戒心を解く

次へのページでは、インターネット決済番号の入力が。さすがにこの段階で「おかしい!」と気づきました。これは本当に何かを購入する際のページ、買っていない。

ただ、ここまでで散々電話番号なり住所、クレジットカード番号を入力。

その後、暗澹たる思いで、アップルIDのパスワードの変更。日本のクレジットカード会社に国際電話をかけてクレジットカードの停止してもらい番号の変更を依頼。ということはカードが新しくなるわけですが、イギリスに送付はしてくれる訳もなく、クレジットカードの住所をまず日本の実家に変更し、そちらに送付してもらいそこから国際便で新しいクレジットカードを送ってもらうことになりました。

金額の被害はなかったものの、クレジットカードは2週間くらいは使うこともできず、バックアップで持参したもう一つのカードは使ってみると実は古くてICチップが入っておらずスーパーなどの決済マシンで暗証番号入力という形では使えないことが判明、といろいろとややこしい事態になっています。

本ならすぐに方が付く問題も海外では問題が複雑になってしまいます。

まあ、自分の浅はかさと観念してこれからに活かしたいと思います。みなさんも、特に海外で生活してをしている日本人のみなさんも詐欺メールには十分ご注意ください。

(2018.8.11)

★今回の教訓:悔しい。
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オックスフォード通信(136)対等だと女性中心と誤解してしまうのか

イギリスでは女性が活躍していると思っていました

でもそれは単に男性と肩を並べているだけであって、男性中心の日本からするとその対等という状態が、私にイギリスは女性中心の社会と錯覚させるのかもしれません。

例えば毎朝見ているBBC One の Breakfast。女性キャスターの Naga Munchetty と男性キャスター Dan Walker が並んで番組を進めることが多いですが、日本と違うのは女性が補助的な役割ではなく、Naga が Dan に話をふることもその逆もあるということです。また、Naga が Dan にジョークをいうこともあれば、先日などは、今年の夏増えているというヘビが実際にスタジオに持ち込まれ、尻込みするDanを横目にNagaがヘビを手にはわせるという場面もありました。

教育学部の事務職員も女性が多く、現在の教育学部長も女性教授です。多く、と書きましたが、圧倒的ではなくて事務職員にも男性もいるし、オックスフォードの教授陣は男性の方が多いように思います。

男女が対等に扱われる社会とは、女性が中心の場面もあれば男性が中心の場面もあるということだと思います。女性も男性も互いにこびることなくリラックスして生きることのできる社会。

日本がそのような社会を目指すとすれば、女性が中心のモードを増やしてゆくことだと思います。どちらがいつも中心的な役割を果たすのでなく、次の仕事では女性が、その次は男性がと交替すればいいのだとおもいます。それが男性が外で働き、女性が家事をするというステレオタイプ的に固定されるからいびつになるのだと思います。

一方、それだけ女性自身が担うべき責任も大きくなるのは避けられません。

(2018.8.10)

★今回の教訓:ヘッドを固定してしまうのではなく、プロジェクト毎に男女の役割が交替してゆくようなスケジュールを組むことはできないだろうか。
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オックスフォード通信(135)第一次世界大戦終結から100周年

今年は第一次世界大戦(1914-1918)が終結してから100周年にあたります

BBCをはじめThe GuardienやThe Time などのメディアでも時々取り上げられています。またオックスフォードのどのカレッジにも第一次及び第二次世界大戦で犠牲になった学生の名簿が壁に刻まれています。

以前、カナダでも感じたことですが(カナダは第一次世界大戦には不参加)、だから戦争は良くないとかなぜ戦争を避けることができなかったのだろうという議論にはなぜならないのだろうと思います。

論調は淡々と戦争について振り返る、そしてこれだけの犠牲があった、という戦争の悲惨さについては確かに触れるものの、戦争を境にしてイギリスのマインドセットが変わったということはないように思います(日本は少なくともマインドセットを変えようとした)。

もちろん、イギリスからすると確かにナチスドイツに対する正当防衛という説は成り立つとおもいますが、逆に侵略戦争はアヘン戦争をはじめ散々世界の各地に繰り広げてきたわけです。いいかたが難しいですが、戦争自体に対する論考が薄いように思います。

これは戦勝国の立場でものを考えているからそうなるのかと疑う気持ちになります。戦争に勝ったから勝った国のしたことは正当化されるとでもいうのでしょうか。戦争は負けた国に責任が全てあるわけでもなく、戦争に参加してしまった又は戦争に国民を駆り立ててしまった国に責任があるのだと思います。

「なぜ戦争は起きるのか?」ということについてイギリスから考えるのは案外いいかもしれません。決してヒットラーがいたから「だけ」でも日本に「帝国主義」があったから「だけ」でもないと思います。

(2018.8.9)

★今回の教訓:長崎の日に思う
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オックスフォード通信(134)Scissors, please!?

調子に乗って散髪に行ってきました

調子に乗ってというのは、過去2回、居住のサマータウン内にあるバーに行っていい感じだったので、昨日、ちょっと時間がある、バーバーの前を自転車で通りかかる、じゃあ暑いので髪の毛をカットしてもらおうと、と軽い気持ちと思いつきで行ってきました(サマータウンには日常生活に必要なお店は親切な自転車屋さんからコインランドリー、銀行、教会まで一応全部揃っています。スーパーマーケットも4店舗あります)。

いい話はそうそう続かないということを実感しました。

これまで良かったのはイタリア系の人の良さそうなおじさんが過去2回とも切ってくれていたからだと悟りました。昨日は、初めてみる、どうもロシア系の女性でした。裾を短く、前は少し切って、てっぺんはそれほど切らなくていいとお願いすると、すかさずバリカン (hair clippers) を持ってカットとしはじめたのです。

羊の毛皮を刈る作業がありますが、まさにカットではなくて刈る、あんな感じ。大抵散髪では最初にお願いしたら何も言わないのですが、思わず語尾を強めて言ってしまいました。

Excuse me!

バリカンじゃなくハサミでしてほしい、そんなことをしたら刈り上げになってしまう。でも返ってきた答は、ならはじめにハサミでカットするように言ってよね、もう始めたので遅いわ、そんな感じの反応が帰ってきました。

そんな話は聞いたことがありません。でもバリカンを持っているのはその女性です。話は平行線でそのまま進行。回りはバリカンでカットされてしまいました。

さすがに前髪や中心部のカットはハサミでしたが。険悪な感じでオックスフォードに来てから3回目の散髪は終わりました。

いつもより£1安かったのはバリカンのせいでしょうか。帰り際に、今後ははじめにハサミがよければハサミって言ってよね、とのたまわっていました。ならはじめに聞いてよ、と思うのですが。横にいた別のバーバーが伏し目がちにすまないね、のような仕草をしていました。次は彼女がいない時に散発に来ようと思います。

ただ出来上がりはいつもとそれほど変わらないようで、それがまた悔しいところでした。
(2018.8.8)

★今回の教訓:昔から歯医者と散髪屋さんは変えるな、と言われている理由を実感。来春、日本に帰国しても河原町丸太町のバーバーのNさんはまだやっているかな。今度はもう一軒の少し高そうな個別予約制のカットもあったように思うのでそちらに行ってみようかな。または例のおじさんのいるときに行ってみようかな。イギリスは気のせいか、散髪屋さんに限らず店のスタッフが日によってゴロッと変わっているような気がする。
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オックスフォード通信(133)ヒロシマ

イギリス時間(=グリニッジ標準時)8月6日、午前0時15分、日本に向かって黙祷を捧げました

翌日のイギリスの新聞(本日、8月7日)でHiroshimaを取り上げていたのはテレグラフ紙のみです。エノラゲイの乗務員は投下後、口の中で鉛の味がしたと言っています。

日本では平成最後のヒロシマの日と報道されているようですが、ことイギリスに限ってみるとそれほど関心が持たれていないのは残念な気がします。

第二次世界大戦前、私の両親や祖父母は両方ともハワイや朝鮮半島、満州で暮らしていたのですが、父方の故郷がもともと広島であったため、親戚も多く、戦後は広島に引き揚げ暮らしていたため、小さな頃から広島を訪れることはよくありました。私自身は京都府綾部市の生まれですが、亡くなった長男の春海(春海)兄や、次男の保美兄は広島生まれです。

初めて広島を訪れたのが多分小学校3年生の頃でした。当時まだ山陽新幹線もなく、「しおじ号」という特急で何時間もかけて、確か呉線経由で夏休みに祖父母の家に行ったことを鮮明に覚えています。祖父母は戦後、農家を営んでいました。家の前に畑があり、お風呂は五右衛門風呂でフタの上にうまく乗らないと周りの鉄板に触れてそれこそ火傷しそうに暑かったのを覚えています。

宮島など広島の観光地を数多く訪問しましたが、原爆ドーム、平和祈念公園、そして原爆資料館の印象が強烈だったのをよく覚えています。現在の資料館よりも照明が暗かったと思いますが(昨年訪れた際、CGなども駆使した再現性に驚きました)、特に原爆に被災した人々の写真や衣服、持ち物が数多く展示してあり、驚きよりも原爆の恐ろしさを心底感じたように思います。

農家のトイレは母屋と別棟になっていて、思い出すと怖くてトイレにいけませんでした。

祖父母の家は現在でこそ広島市内に編入されていますが、中心部からはかなり離れているので、親戚でも原爆で被災した人はいなかったようですが、叔父は市内で被災していました。小学生の頃、一緒にお風呂に入ると、その背中にケロイドの跡が残っていたのを見て、原爆が身近にあることを実感しました。

その後、大学を卒業後、実際に8月6日の平和式典に参列したこともありますし、祖父母や叔父が亡くなり、広島の家が売却された後も、出張などで広島に行く機会のある際にはなるべく平和記念公園や原爆資料館を訪問するようにしてきてました。

訪れるたび、感じるのは、戦争にどのような意義があると言われようと、映画で戦争指導者がいかに美化されようとも、戦争が悲惨な結果に終わるということです。まして、原爆のように1つの爆弾で10万人単位で人が一瞬にして死んでしまうことの非合理性と残虐性。

「ヒロシマのある国」に住む私達にできることは何だろうと、真面目に自分に問いかけていました。(2018.8.7)

★今回の教訓:異国の地から故郷を想う。
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オックスフォード通信(132)47℃

暑いです

以前、イギリスの暑さは大したことがないと豪語していましたが(通信113)、暑くなってきました。特にヨーロッパ、スペインが連日47℃近くに達しているようでTVの天気予報では濃いオレンジから赤色に近づいています。こちらでも異常気象だと新聞でも報じています。それでもスペインでは48℃が過去最高気温というのでビックリします。そう考えると日本の41℃くらいはまだまだという感じがしませんか?(しませんね)

干ばつも広がっているようで山火事がスペインでも頻発しているようです(先日はギリシアで街を襲ったひどい火事がありました)。オックスフォードも連日30℃を越える暑さです。特に日中は暑さが応えるようになってきました。

それに合わせ虫の数も徐々に増えてきたようで、蚊は依然としていないのですが、小さな蜂を見かけるようになってきました。ただ、刺すような感じはありません。

というとあまり外に出たくなくなるのですが、オックスフォードで面白いのは確かに日の当たっている場所は暑くて堪らないのですが、通りでも日陰を選んで歩くと汗を書くほどではないのが不思議です。フラットの前の週末のマーケットもかなりの人が出ていました。ただ、イギリス人も暑いようで、スーパー併設の喫茶コーナー(M&S)などはギッシリ人で一杯でした。

じゃあ、雨とどちらがいいかというと断然こちらの暑いほうがいいですね。芝生はとうに枯れ果てていますが、それでも木々の緑が青空に映えて美しいです。

夜になると(最近では9時頃には暗くなってきました)ぐんと気温が下がるので助かります。

来週は日本からお客さんが次々とおいでになるので、共同研究のデータ分析などを早く済ませてしまいたいと思っています。日本は、もうすぐ、広島・長崎の原爆の日、そしてお盆ですね。

インターネットゼミの4回生も教員採用試験やアルバイト、お祭り、花火、BBQ、旅行とそれぞれに夏を謳歌しているようです。卒論も3章と2章の前半はほぼ全員、フィードバックを完了しました。

(2018.8.6)

★今回の教訓:暑い夏を体験しながら、時間を大切にしなくては、と思う。
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オックスフォード通信(131)Oxford University が世界一の秘密(10)図書館-2: Oxford Weston Library

オックスフォード大学図書館・Weston Library に行ってきました

ボードリアンライブラリーという名前のもとに各カレッジの図書館がオンラインでつながっているのですが、その中心に位置するのがラドクリフカメラとボードリアン図書館本館及びウエストンライブラリーです。

メインの入り口は一般市民向けで展覧会(例えば現在はホビットやロード・オブ・ザリングの著者、Tolkienの展覧会が9月までの会期で開催されている)ですが、大学関係者(Reader)向けの入り口は、すぐよこ、パブ Kings Arms の真向かいにあります。

ボードリアンライブラリーはカメラ厳禁など厳しいルールがあるのですが、このウエストンはオックスフォード大学の博士論文など貴重本を閲覧する用途に使われているため、一段と厳しいルールがあります。

何も知らずに入ろうと思ったところ、まず入り口で、バックパックをロッカーに預け、必要なものだけを取り出して、必要であれば透明のビニールバックに入れるように指示されます。その際、パソコンはよいがそのカバーは駄目など、袋物はすべて駄目とのことでした(盗難防止のためなのでしょう)。ロッカーには£1(返却型)必要ですが両替機も備え便利です。

おっしゃる通りにビニールバックに入れて3階建の2階(1F)へ。更に、閲覧室に入るにはIDの提示以外に、初めの利用にはドキュメントに必要事項を書き入れサインをする手鋸みよう。2015年に改装がおわった建物はピカピカなのですが、中を歩いてみると何か映画『ミッションインポシシブル』の中を歩いているようです。一般入り口から見えていた2階の近未来的な本棚の裏側から地上階を見下ろす雰囲気は、これまた映画『インターステラー』の最後の本棚のシーンのようです。

閲覧室に入ると、エアコンは入っていないものの外気温が30℃くらいあるのにヒンヤリした感じです。ラドクリフは大学院生が中心という感じでしたが、ここは研究者が多い印象です。年代も70歳くらいの方もいます。本が読みやすいように書見台もおいてあったり、デスクライトも各自でスイッチを入れる仕組みです(しばらくわかりませんでした)。Pencil Onlyと注意書きもあります

全くの無音でこれ以上のアカデミックな雰囲気を感じたことがありません。天井は寄木のモザイク模様で一層その雰囲気を高めます。

機能的でありながら豊かなアカデミック空間に浸ることができて幸せでした。

(2018.8.5)

★今回の教訓:真摯に学問に向き合う雰囲気を感じることができるのがオックスフォード大学の最大の強みかもしれない(通信120も参照)。
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オックスフォード通信(130)Jacinda Andern (PM of NZ)

ニュージーランドを年末年始に訪問してからすでに5年近く(2013年末-2014年頭)経ちます

南島のクイーンズタウン (Queens Town) から旅をスタートしたのですが、飛行機が徐々に高度を落として南アルプスの切り立った山々が目に入り、そして氷河の水が流れ込んだ湖を見たときの感動を今でも忘れることができません。その後ロープウエーで高台まで上がってみたのですがさらに青々とその湖は水を湛えていました。ミルフォードサウンドの静まりかえったフィヨルドも強く印象に残っています。

本日のイギリスガーディアン紙をめくると、ニュージーランドの女性首相である Jacinda Andern が出産から6週間で仕事に復帰したニュースを一面で報じていました。何か、日本との大きな差を見せつけられたようで少し呆然とするような気持ちでした。

ニュージーランドは美しい国土を持っているだけでなく、女性が住みやすく働きやすく出産もしやすい国なのだなと思います。

基本的姿勢として私は特定の大学とか誰か国会議員だけが悪いと追求する気持ちはサラサラありません。漏れ伝わってくるニュースでは出産をしないゲイに手厚い保護はいらないとか生産性が低いとか(エルトンジョンが聞いたら激怒すると思いますが)、すぐ辞めてしまう女医さんを抑制するために大学入試で女子の点数を一律減点してきたとか、それ自体は呆れ返る話ばかりで、なぜそのような国会議員や大学が存在するのか目を疑いますが、それは誰の責任なのかと思うわけです。民主主義国家と言っても日本はその程度なのか、と思うますが、モグラ叩きのように次から次へとレベルを疑われるような話が出てくるのは、その特定のグループや個人の問題ではなくて、日本人全体が醸し出してきた負の文化の表れなのかもしれないと思います。

陸上競技での10000M走で言えば周回遅れもいいところで2-3周遅れているように思います。

もちろん、そのような問題を放置もできないし追求もしなければならないけれど、国会議員ならそのような政党には一切投票しない、そのような大学には子弟を送らないなど国民が毅然とした態度を取らないからいつまでもこのような問題が起きるのだと思います。そもそも自分は関係ないとか、暗に支持をしている人たちの割合も多いのではないでしょうか。

これまでは選挙になって、土下座されたり、涙ながらに訴えられるとそれまでのことをすっかり忘れて一票入れるのは、日本人のおめでたい、お人良しが現れているように思ってきたのですが、最近ではむしろ、未来に対して無責任な態度だと思うようになっています。その一票を投じたり、棄権をすることが、現在の日本の状況を生んでいることにもっと目を向けるべきだと思います。

私は別に日本が全てニュージーランドのようにならなくてもいいと思いますが、少なくとも今回の記事を読んで、ニュージーランドの方がさわやかな風が吹いているように思いました。

さわやかな風が吹いている地域を増やせば、愛国心も自然と備わってくるように思います。

デジタルは若者の独断場。社会を変えるいいチャンスなのかもしれません。

さわやかな国に住み、さわやかな風の吹いている大学で教えたり学んだりしたいものです。

(2018.8.4)

★今回の教訓:女性の首相がいて、出産して職に戻る。これ以上のロールモデルはないだろう。
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オックスフォード通信(129)イギリスにおける移民問題

EC離脱問題の発端にもなったイギリスへの移民問題

昨日のガーディアン紙に移民問題に関する「現場」で実際に起こっている事象についての長文の記事が掲載されていました。

一言で言うと、本当の苦渋を味わっているのは、移民の人達と直接対峙している職業の人々 (frontline workers) である、と。2014年の移民法(The 2014 Immigration Act)によって例えば、医師。イギリスには日本と同様の国民皆保険制度、NHSがありますが、治療に来た移民にその資格に当てはまるかどうか確認をしなければならない、銀行は移民への小切手が落ちないように不当な対応をせざるを得ない、家主も影響を受ける、そして小学校の先生。給食費が無料になるかどうか、移民の状況、すなわち不法移民なのかそれとも認可された移民なのかその状態を6才や7才の子ども達に直接聞かなければならない、と言うのです。

インターフェースということばがあります。異なるものの境界面、何かと直接接している部分という意味です。現場という言葉をこの用語で置き換えてもいいかもしれません。移民との接点、インターフェースの仕事の現場にしわ寄せがいってしまっています。一方で政策を決めている政治家にはそのような具体的な人々の苦渋は見えない。

一方、話は変わりますが、アメリカの電気自動車メーカー、テスラ、その最高経営責任者(CEO)を勤めるのがイーロン・マスク。Peypalなどの企業を立ち上げてきたことでも有名です。現在モデル3と言われる主力の車を製造を目指すも目標の製造台数に追いつかず、陣頭指揮を取るために夜は工場の床の上に寝ていたそうです。「私が床の上で寝るのは、道の反対側にあるホテルに行けないからじゃない。ここで働く誰よりも悪い環境に身を置きたい」と米誌「ブルームバーグ」のインタビューに答えています(クーリエ、ジャポンより)。

同じトップでも、政治や教育制度などのしわ寄せをいつも受けてしまう真面目な人たちのことを、それが彼らの仕事なのさ、と気にもとめないトップダウンの命令を下す人達と、イーロン・マスクは対極にいるように思います。美化されている部分が多いかもしれませんが、彼の言葉には多少の真実があると思います。少なとも「最初から最後まで責任を持とうとしている姿」には心を打つものがあります。

一方で、先日、イギリスのメイ首相の交渉の仕方が妥協しすぎだと言って、外務大臣を務めていたボリス・ジョンソンが辞任しました。彼のような政治家からはEUからの離脱の最後まで見届けようとする責任感と誠実さが見られません。

政策決定することは重要ですが、現場はどうなっているのかと心を寄せようとする気持ち、最後まで見届けようとするトップの姿勢は、小さな違いかもしれませんが、最終的には決定的な違いを生むように思います。役割分担と割り切るのではなくて、面倒でも現場に足を運ぶかどうか、そのことによって問題の本質が見えることがあると思います。インターフェース上で働く人たちはトップのそのような誠実な姿に勇気付けられ、難しい仕事でもやり遂げようとするのでしょう。

現場の苦悩を感じられるか否かがトップの資格ではないかと思うのです。日本の諸問題もトップがそのような姿勢を持つことによってかなりの部分、改善されるように思うのですが。民の気持ちが分かるかどうか。

要は自分さえ良かったら後は野となれ山となれ、という、我良しの偏狭さが問題なのでしょう。自分の偏狭さを自覚している人にはまだ救いはあるのですが。

(2018.8.3)

★今回の教訓:トップの選び方にも問題があるのだろう。正解はないが、ヒントはあふれていると思う。そう言えば、ジンバブエも長期独裁政権から一点、大統領選挙が行われていた。結果はまだ判明しないそうだが。
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オックスフォード通信(128)イギリスのセキュリティー:パソコンのオキパ

みんなパソコンを置いたまま休憩に入ります

自分のオフィスではなく図書館の話です。図書館以外にもコスタなどのカフェでトイレに行く際にもパソコンは机の上においたままです。

ビックリします。これは時々ではなくとずっとです。オックスフォードに来てからありとあらゆるところで、本だけでなくラップトップなどなくなると学生生活や仕事に大きな影響を与えるものを置いたまま、トイレに行ったり食事に出かけたりしています。

オックスフォード大の図書館に1時間以上の離席の場合には荷物を持って出るようにという注意書きがあるように1時間くらい自分のパソコンを置きっぱなしにすることはザラのようです。注意書きでいうと、オックスフォード大では盗難に注意という張り紙は一度も見たことがありません。

トロントにいる時、私の友人の友人が、大学の図書館で勉強をしていて疲れたのでその場で伏せって寝て置きたらカバンから机の上においてあったパソコンまでごっそりと盗まれたということがありました。それゆえ私はトイレに少し席を立つ際にも、パソコンなどをデイパックに入れて持って行きます。それは習慣なのでいいのですが、自分だけそのようにしているのが少し気になっています。

と言っても、ラップトップを机の上においたまま離席する勇気はまだありません。

最初はセキュリティ・カメラがあちらこちらにあるので、そのおかげで盗難がないのかと思ったのですが、そのような装置はどこにも見当たりません。おそらくオックスフォード全体でセーフ・コミュニティーが出来上がっているのだと思います。そしてその掟を破るようなことがあれば、周りの目がそれに立ちはだかるのだと思います。

今日の午後、図書館の外で恐らく観光客の外国人(英語ではありませんでした)の携帯電話での声高の会話が耳に入ってきました。それは5分以上続いたと思うのですが、一人の女子学生が外に目をやり、受付の方へ歩いて行きました。その後ピタッとその声が止みましたので、恐らく図書館員に訴えに行ったのだと思います。日本ではあまり見かけない光景です。

目には見えないけれどアカデミックな良いコミュニティーがあるのがオックスフォードなのだと思います。

安心して何かに集中できる環境は研究をしたり学んだりするのにとても重要なことだと思います。

同志社女子大学の楽真館ラーニングコモンズもそのような空間になるといいですね。またその可能性は十分あると思います。ラーニングコモンズについては、先月末発刊のAsphodel (2018) Vol. 53 に大学院生グループの研究論文(加藤他)が掲載されていますので是非ご一読下さい。

(2018.8.2)

★今回の教訓:日本の盗難注意の張り紙には何か効果があるのだろうか。
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オックスフォード通信(127)若木は嵐に育つ

オックスフォードに来てからすこし自分の教師生活を振り返ることがあります

公立中学校で11年、短期大学の講師・助教授として8年、大学の助教授・教授として17年、計36年教師をしてきたことになります(大学院留学などの期間を含む)。その間、多くの素晴らしい教師に出会ってきました。すぐ頭に思い浮かぶだけでも、大学時代にはゼミの担当であった稲葉宏雄先生、田中昌人先生、天野正輝先生、田中耕治先生、大学院修士課程では髙島英幸先生、山岡俊比古先生、二谷廣二先生、次重寛禧先生、田中正道先生、青木昭六先生(青木先生にお世話になったのは院を修了してからだが)、大学院博士課程では Sharon Lapkin先生、Merrill Swain先生、Nina Spada先生、Alister Cumming先生、Nishisato Shizuhiko先生など学生として院生として多くの先生の薫陶を受けてきました。

一方、多くの大学の教員や研究者と異なり、私は大学卒業後教師として働いた後、30才を過ぎた頃大学院に入りましたので、教師の仕事に関しては大学時代及び中学教員として働いた20代に出会った先生方の影響を多く受けてきています。

その中でも、大学4回生の時、京大に1回だけ講演に来られた林竹二先生と同じ中学校で働いていた当時の学年主任だった中村昇先生との出会いは大きかったと思います。

林竹二先生は今から思うと亡くなる2年前の講演だったと思います。「授業を通して教師も生徒も変わる」ことを実感を込めて当時の法経1番教室を埋め尽くした学生に語られました。その信念に基づく話しぶりに、困難を伴いながらも、教育の可能性を大いに実感したのをよく覚えています。「国語でなくとも英語でも同じことはできるでしょうか?」と直接先生に質問したところ「もちろんです。多くの英語の先生が素晴らしい実践しているではないか」と力強くお答え頂いたのも鮮明に覚えています。

中村昇先生には、授業もクラス運営もうまくいっていない時、あきらめないで一緒に頑張っていこうと同じ目線で日々励まして頂きました。当時、経験も浅く「教えられたように普通に教えていた私」の授業に魅力がなかったのは事実です。もちろん、その後、大学の教員になって物事がすんなりと授業がスムーズに進んだ訳ではないですし、苦労もありましたが、20代の教員時代の比ではありません。林先生のような魂の授業をしようと思ってもできないもどかしさ、明らかに生徒の興味をつかみきれていない授業、忙しい毎日、見えない展望。

でも今から振り返ってみるとその日々の葛藤があったから今の自分があることに気づきます。当時、三上満先生の「若木は嵐に育つ」という本を読んで、嵐の中にいる若者は全然そんな気になれないよ、と思っていました。でもその嵐にもいつか対処できる方法を編み出すことができるのも事実で、今から思うと三上先生は正しかったと思えるのです。

振り返るのには早いのはよくわかっていますが、今日このようなことを考えていたのも、今春大学を卒業し、関西のある市の中学校の英語教員として奮闘しているAさんと昨日、テレビ電話で話したことがきっかけです。彼女はまだ常勤講師の身分ですが、英語の授業に加え、学級担任、クラブ指導も受け持っています。新採ですら多くの場合1年目は学級担任は免除されるのと比較しても荷重の負担です(おまけに教員採用試験の準備もしなければなりません)。このような状態でありながら管理職からはできていない所について手厳しい指導というか叱責が度々あるそうです。本来なら、これだけの負担を強いているわけですから、このようにすればもう少しうまく行く、といったサポートをするのが、又はそのような体制を取るのが管理職の仕事だと思います。

矛盾を感じます。

しかし、一方で彼女の話を聞きながら、自分自身の20代を思い出していました。時代も置かれている状況も大きく異なります。でも困難にあることには変わりはありません。

管理職と対決して仮に管理職が折れて、Aさんをサポートしてくれるように変わってくれるとそれはいいかもしれませんが、そこに至るまでの道のりを考えるとそれこそ呆然となります(本来は、同じ学校で教える同僚がもっと手を差し伸べるべきです。また、なぜ新卒の講師が担任をしなければならないのか、その学校の人事構成に歪さを感じます。誰かが担任を拒否しているわけです。どの組織にも理由をつけてしんどい事から逃れようとする人がいるものです)。そのようなことに使うエネルギーは「授業」に向けるべきだと思います。

「授業が変われば、生徒も教員も変わる」。この林竹二先生の教えはいまも生きています。しかし、一方で授業を根本的に変えることはそれこそ大変です。

マンガ『美味しんぼ』に先代から受け継いだだ天ぷらやの二代目の話があります(二代目の腕)。どれだけ修行して工夫してもお馴染みさんからは親父さんにはまだまだだねと認めてもらえないと悩んでいるのです。そこへ山岡がやってきて、てんぷらではなくて、付け合わせの漬物に工夫を凝らせ、とアドバイスをするのですね。二代目はぬかから工夫をしてピカイチの漬物を天ぷらと一緒に出すと、馴染みの客が、腕を上げたね、と絶賛するというお話です。

いろいろな解釈があると思うのですが、私はどこか一部分でも改善すると全体がよくなったように人間はいいように錯覚すると理解しています。

Aさんにアドバイスをしたのは、学級担任もクラブも英語の授業も全部を変えようと思ってもそれは気が遠くなるし非現実的、英語の授業に絞って、しかもその10%(5分間/50分授業)だけを何かあたらしいアイディアで変えてみてはどうだろうか、ということでした。

幸い、英語の授業は切り口が色々とあります。デジタルネイティブの20代の教員であれば、まずインターネット、iPad、電子黒板などICTが真っ先に頭に浮かびます。ビジュアルや音声と組み合わせると一層効果的です。そして、ALT。ALTのサポートで沢山の教材をICTを駆使して作ることができます。これは若い先生の得意分野です。まさにDigital Age の真骨頂です。

Aさんには是非、英語の授業から切り込んでいってほしいな、と思います。

「石の上にも三年」

そう、卒業式にゼミの皆さんにお話しました。今回は教師の仕事について書きましたが、仕事について3年くらいはどの業種でも大変です。

嫌なことは寝て忘れられるのも若者の特権です。また翌日は新しい一日として臨むことができるのが若者の特権です。あっけらかんとしていたらいいのです。

誰しもできなかった20代があったのです。今この文を読んでいただいたみなさんが20代なら出来なくて、もともと、と思って、「少しずつ」改善を目指してください。

今読んでいただいているのが50代の管理職の皆さんなら(あまりない状況ですが)、自分の20代を思い出して、建設的なアドバイスをしてあげていただきたいと思います。自分の学校をよくしたい気持ちは分かりますが、それは同僚性を基盤した協働性の上に成立するものだと思います(豊中市の校長をしている畏友のN先生にこの話をすると激怒するだろう)。

A先生、一歩一歩、授業を見つめて改善してゆきましょう。いつか、私のように振り返る時がきますよ。生徒はよく見ていますよ。大丈夫。A先生は未来の教師です。経験を積んで少しずつ授業を改善してゆきましょう。

若木は嵐に育つ

(2018.8.1)

★今回の教訓:上に立つ人の人格は格段と重要だと思う。長のつく役職についた途端に勘違いする人が結構いる。一生、その長の仕事に留まれるのなら別だが、自分がその仕事を離れた時にどれだけ周りの人に慕われるか考えて行動するべきだ。実力のない人ほど偉そうにするのはいつの時代も変わらない。有言実行のリーダーと一緒に仕事がしたいし、そのようなリーダーシップが取れる人にいつかなりたいものだ。
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