こう書くとワカモトも遂にイギリス礼賛主義者に成り果てたか?と思われるかもしれませんが、もちろんそんな事はありません。
さて、ロンドンという街が世界中にあるのは有名な話です
例えば、カナダのオンタリオ州のロンドンはかなり大きな町でその存在を知られた街ですが、其の他にもアメリカにもロンドンはありますし、英語圏であれば世界中にあると言っても過言ではないかもしれません。
特にロンドンの街を歩いていると、地名や人名から、例えば、Wellingtonはニュージーランドの首都ですが、Duke of Wellington の像などに出くわすこともあります。
4月中旬に、BBCを見ていると Commonwealth Heads of Government Meeting 2018 という集会のレポートをしていました。よく見るとカナダのジャスティン・トルドー首相を始め、ニュージーランドやオーストラリアの代表(おそらく首相)が勢ぞろいしていました。そう日本語に直すと「英国連邦」という連合体のことを昔、中学校で教えてもらいましたが、それに当たるものです。
つまり、地名にしても、地球上の特に英語を母語や公用語にしている地域にとっては、イギリスは心の故郷のような存在なのではないかと思い始めました。丁度、日本人にとって京都が特別な存在だとであるように、英語圏の(アメリカは分かりません)皆さんにとってイギリス、特にイングランドは原点のような存在なのかもしれません。
日本に金沢や津和野など多くの「小京都」と言われる街がありますが、同様にまだ「小イギリス」が世界中にあるとイギリス人は思っているのではないでしょうか。または京都人が小京都に対して自分達が本物なんだと自負するところがありますが、同様の精神構造がイギリス人にもないと言えるでしょうか。
だからなのかと思うのですが、イギリスでは変化はなかなか目に見えないように思えますし、伝統を楯に融通が利かないこともずっと変わっていないように思います。それは変わらないのではなくて、イギリス人が変える必要がないと思っているからではないでしょうか。
京都に昔から住む皆さんが、京都の伝統と歴史に誇りを持ち、頑として変えない部分があります。それによく似ているように思います。少なくとも、英語圏に対して(恐らく世界中に対して)イギリスは精神的に今もその中心にあると無意識的に思っているのではないでしょうか。
今、テレサメイ首相がトップのイギリス保守党、およびその政府は Brexit (いわゆるEUからの脱退)の方法でもめに揉めていますが(かき回すだけかき回して、交渉の結果が妥協しすぎで理念が失われたと言って閣僚を辞任したボリスジョンソンはやっぱりな、という感じもします。このような混乱だけ生み出して責任逃れをするような政治家は世界中にいます)、これもまた亡霊のようにイギリスの独自性にこだわり、移民問題に端を発していますが、EUの中で平均化されるのを良しとしない心情が共有されているように思います。
じゃあ、日本の役割は?と考えると、いつまでもアメリカとの連携ばかり追いかけるのではなく、本当にグローバルにものを考えるようにマインドセットを変更するいい時期に来ているように思います。そこに英国や米国の英語ではなく、国際語としての英語が、ジグソーパズルのピースのように上手くハマってビッグピクチャーが完成するように思うのですが。
(2018.7.22)
★今回の教訓:イギリスは世界の京都、というメタファーはどうだろう。結構イケるのではないかと思うのだが。マインドセットを変えないと日本の閉塞感は払拭されないように思う。