今日は世界的に日曜日。
テニスのお話。
テニスのモンテカルロオープンを見たくなった。ロンドンからイタリアのモンテカルロは日本からと比べると格段に近い距離にあります。時差も1時間。じゃあ、ということで飛行機でひとっ飛びといけるわけがなく、何とかTVで見れないかといろいろと探していると(インターネットの過度の利用は危険ですが仕方がありません。BBCは子どもが1日6時間以上インターネットに浸っていると先ほどのTV Newsで警鐘を鳴らしていました)インターネットで中継をしているのですね。ひと月、£9.95(=約1500円)。イギリスにいて錦織が決勝にでいると聞くとどうしても生放送で見たくなりました。
インターネットで早速契約して、コンピュータからApple TVでテレビへ。最初は5年前のMacbookProでつないだのですが、ガタガタと解像度が落ちたり、止まったりと。これは最近契約したインターネット(Skyにしました!)のスピードが遅いのかしらと思ったのですが、コンピュータをイギリスに来る前に購入した最新のMacbookProに変えるとスムーズな画面。コンピュータの問題だったのですね。
さて会場の雰囲気は8-2くらいでナダルの応援。完全にアウェイ。その中で決勝にあがってきた錦織は立派だとあらためて思いました。海外に来て急に愛国者になったわけではないですが文化も言語も異なる中で堂々と戦っている錦織は素晴らしいと思いました。試合は残念ながら0-2で負けてしまいましたが、いいgutを見せてもらったと思いました。
ナダルとの違いは錦織に勝とうと思う気持ちが強すぎたのでしょうね。オックスフォードにきて思うのはこちらの人はゆったりと生活しながら毎日を楽しもうと思っているように見えます(そう見えるだけかもしれませんが)。そのために、いい意味で自己中心的に他人には変に関わらなくてはいいように丁寧に時に慇懃無礼的に振る舞う。大事なのはあくまでも自分なのでしょうね。
先週のゼミでCollectivism(集団主義)について議論したのですが、どこかに国のため、学校のため、誰かのためという背負うものがあるのかもしれません。それを今日の錦織の試合から見て取れた部分があります。
よくEnjoy! といいますが、そのためにはある意味では自分を大切にする少し自己中心的な部分を持たないといけないのかもしれません(別に他の人に迷惑をかけるような事をしろといっているわけではなくて、背負うものを下ろしたら楽になりますよ、ということです)。
(2018.4.22)
★今回の教訓:成果をあげようと思わない方が結果的にいいものが生まれるかもしれない。肩の力が抜けているので自分の能力を上手く発揮できる。