オックスフォード通信(340/25)母来訪

 88才米寿を迎えた母がオックスフォードまでやってきてくれました

この1年間、少なからずの方々にご訪問頂いたのですが、母が最高齢となります。もちろん長時間のフライトはとても心配でしたが、X航空にご勤務で同志社女子大学ご出身のSさんを中心にフライトスタッフの皆様に温かいご配慮を頂きながらヒースロー空港に到着することができました。

本当はロンドンにも連れて行きたかったのですが、私自身ぎっくり腰になってしまったこともありオックスフォードを中心に一緒に散策したりしました。いろいろなところへ行ったのですが、なんの変哲もない(というと失礼ですが)オックスフォード植物園に行ってそのあとアフタヌーンティーを一緒に楽しんだのが一番の思い出のように思います。

植物園まで母と同じスピードで(しか歩けない!)歩きながら、朝鮮半島に生まれ、満州、牡丹江で暮らしていたこと、そして敗戦直後の引き上げの大変さ、そして引き上げてきた後の祖母の兄弟の家(山梨県・甲府)での居候暮らしの居心地が良くなかったことなど、系統的に母の人生のストーリーを聞いたように思います。

これまで何度も機会があったはずですが、母と二人、オックスフォードのハイストリートを歩きながら、植物園のベンチに腰掛けながらじっくりと話を聞きました。昭和5年(1930)生まれの母が日本に引き揚げてきた時が15才、敗戦前の勤労動員でろくに勉強できなかったため、甲府で女学校に編入したものの勉強について行けず、潜在能力を認めてもらい師範学校への進学を担任の先生に勧めてもらいながらも、断念したこと。本当は勉強したかったけれど周りの環境が許さず、17才で京都府綾部市で働き始めたこと、など、これまで点として聞いていたことがすべてつながったように思いました。母の向学心が子ども達は是非とも大学に進学させたいと思った動機になったことが母の人生を通して納得できました。

我が家は世間的には決して裕福な家庭ではありませんでしたが、兄妹3人、浪人や留年など(3人もどちらかを経験)親に苦労をかけながらも大学を卒業させてもらっています。今、大学で教える立場に回っていますが、あらためてひとりひとりの学生の背景にはいろいろなストーリーがあることを実感しています。

この若ゼミダイアリーの現在の主人公の18期生には「若ゼミ18期生を終えて」という非公開のエッセイ課題を提出してもらっています。どのエッセイも涙なしには読めない力作ですが、その中にはわざわざxxxから京都に出てきた甲斐があった、親に高い学費を出してもらった甲斐があったという記述が見うけられました。

大学教育でそのように思ってもらえるゼミや授業をしてきたことは、母の人生ストーリーと重ね合わせも、私自身教師としてこのゼミを担当できて良かったと心から思えるものでした。

恐らく、母と外国を歩くことはもうないだろうと思います。この母の来訪は私の人生にとってもとても意義深いものとなりました。あらためて、兄妹、妻をはじめ母を温かくサポートして下さった皆様に感謝の気持ちで一杯です。

★今回の教訓:親孝行と言えるかどうかは定かではないが、一緒の時をじっくり持つことは大切だと思う。

(2019.3.2)

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