オックスフォード通信(330/35)ウイーンフィル

ロンドン・バービカンホールにウイーンフィルの演奏会を聴きに行ってきました

昨夏にオーストリア・ウイーンを訪問した際、ウイーン楽友協会・黄金の間でモーツアルトの演奏を聞くことが出来たのですが(見る?)、演奏は残念ながらウイーンフィルではなかったのでいつか、憧れのウイーンフィルハーモニーの演奏会に行きたいと思っていました。

丁度本日、ロンドンでコンサートがあるということで、少し早い目に出て、映画「ノッティングヒル」の近くを散策したあと、バービカンホールに向かいました。

チケットは早々に完売とのことです。本日は、マーラー最後の交響曲第9番一曲のみ、休憩なしのノンストップです。指揮はハンガリーの重鎮、Adam Ficher、2Fからの観覧となりました。

開場まで時間が少しあるので、バーでスパークリングワイン( £8,シャンパンのことです)を頂いてから、会場へ(荷物検査は係員が荷物の中を懐中電灯で照らすくらいと、割と簡略化されていました)

マーラーは5番くらいしか聴いたことがないので9番ははじめてがコンサートということになります。正直なところ、第1,2楽章はバイオリンがいま一歩調和していないような感じがあったのですが、徐々に歩調が合ってきたのか、会場の熱気とオーケストラがよき相乗作用をしてきたのか、大編成のオーケストラが一体となってきます。そして第3楽章でのストリングスの大合奏。オーケストラ全体が浮き上がってきたような浮揚感を感じます。

マーラーが死の2年前に書き上げてたことが示唆するように(50代でなくなっています)、第4楽章はマーラーの「死とは、生とは、人は何のために生まれてきたのか」といった問いに対する回答が詰められているように、聴きながら思いました。丁度ゴーギャンが「人はどこから来てどこにいくのか」という絵画を描いたのとよく似ているのかもしれません(ボストン美術館蔵)。そして最終章・最終局面、大きく盛り上がった後、指揮者のフィッシャーが静かに、静かに各楽器を押さえるように、静寂の時が。その時が、1分近くも続いたように思います。観客席も安易にブラボーとも言わず、フィッシャーが終わったよ、という合図を何となくしたような後に大きな拍手が。

マーラーには死の2年前に大きな発見があったのと思います。それをこの9番に詰めた。そんな感じがしました。フィッシャーに会うのはこれが最初で最後の機会だろうと思います。それだけに彼の熱演に思わずひきづり込まれる思いでした。

★今回の教訓:生のコンサートはいい。いくつものインスピレーションが湧いてくる。

(2019.2.20)

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